第43話 エタンキアの失踪1
あの夜のような出来事は遠い記憶ではないかと思ってしまう程、日々は忙しく過ぎた。
鍛錬が参加できるようになってからは気持ちの上では楽になったが、仕事が減らされたわけではないので体力は日に日に奪われていく。
見た目にも疲れが見えるイラステーをレノラは大変心配したが、どれも自分で言い出したことなのでやるしかなかった。
一緒に出かけるという提案にレノラは喜んだが、モドレゴの話が出ると二の足を踏んだ。
だがイラステーの気晴らしになるならと頷いてくれた。
しかしエタンキアがイラステーを解放してくれる様子は一向に無いし、イラステーの疲れ具合を見てもそれが実現するかどうかはわからなくなっていた。
エタンキアもイラステーの消耗度合を把握しているようであったが、当然のごとく必要最低限の会話でイラステーを酷使し続けた。
そうしてイラステーにも限界が近づいた頃、その事件は起こった。
ある深夜、イラステーが寝返りをうったとき、視界に入った明かりがイラステーを覚醒させた。
部屋の扉の隙間から、ちらと明かりが見えた気がしたのだ。
この離れの館にはエタンキアとイラステーしかおらず、巡回の男たちも屋敷の周辺を見て回るだけで建物の中には入ってこない。
イラステーの知る限りエタンキアがこの時間に起きていることはなかった。
今、都心の治安がどんどん悪くなっている。
イラステーはモドレゴの言葉を思い出した。
イラステーは最悪の事態を想定した。
それがイラステーが剣術の指南を受けたいと願い出た時からの役目だからだ。
そっと体を起こし武器になる物を探した。マルケからもらった文箱の中に小刀が入っている。
それを掴んで扉に近づき、足元の隙間から様子を伺った。
だが明かりはもう見えなかった。
イラステーは扉をゆっくりと開けて、隙間から外を伺った。
視界の端に明るいものを見た気がしたがそれは、母屋へ向かう扉の向こうに消えていった。
イラステーは急いでエタンキアの部屋に向かった。
扉が見えるとイラステーは足音を消し、不審な物音がしないか扉に耳を当てた。
たが物音ひとつしない。
イラステーは最悪の想定と、何も問題がないかもしれないという平常心のはざまで奇妙な感覚にとらわれた。
イラステーは自分を励まして、扉の陰に隠れるように一気に開け放った。
扉が突然開けられても中で何かが起こることはなかった。
イラステーは扉越しに部屋の中をのぞいた。
イラステーは中の様子を見て焦った。
エタンキアがいなかったのだ。
イラステーは中に入り辺りを見回すが彼女の影はなかった。
エタンキアのベッドを探るとまだ温もりが残っている。
あの明かりがエタンキアだったのかもしれない、と思考を切り替えた。
イラステーは服の裾を縛り、急いで明かりが消えた方向を目指した。エタンキアがどこにいったのか探さなくてはならない。
巡回の兵がいれば協力してもらおうと思った。
しかしあまり屋敷内で大事にすると、誘拐ならば騒ぎを聞いて犯人を刺激するかもしれないし、エタンキアの個人的な意思ならば、この時間を選んでいることから誰にも知られたくないはずだ。
イラステーは巡回の兵がモドレゴであることを願った。
しかしイラステーはざっと屋敷本館の中庭を見渡したが、モドレゴどころか誰にも会わない。
誰かを起こしている時間はないので、エタンキアがいないことを確認すると敷地内全体を見て回ることにした。
建物の外を足早に確認してまわる。
今日は月が出ていることが救いだった。
屋敷は男の身長の2倍はありそうな土塀で囲まれている。
イラステーは土塀にそって歩き出した。
すると土塀に奇妙なものを発見した。
イラステーは慌ててその場に走った。
なんと壁に梯子が立てかけられている。
イラステーは周辺を見回したが人の気配はなかった。
その梯子は土塀のそばに生えている木の陰に隠れるように立てかけてあった。
報告するかを考えながら、俊敏な足取りで梯子を駆け上った。
土塀からそっと頭を出すと、イラステーは驚いた。
なんとエタンキアらしき人物が丘を駆け下りていく姿が見えたのだ。
イラステーはどう降りようかと辺りを見回すと外に垂れる縄を発見した。
それは木の枝に括り付けられていた。
おそらくエタンキアもそうしたようにイラステーも縄を伝って屋敷の外に着地した。
イラステーは月明りを頼りに丘からエタンキアを探して辺りを見回した。
すると丘を降りていく影を見つけた。
エタンキアは城下に向かっているらしく、イラステーはそっと彼女を追うことにした。
しばらく歩くと自分がここへ来た時の道を歩いていることに気づいた。
やはり城下へ向かっているのだ。
街に辿りつくとそこはイラステーがマルケとエオナイに来た時に通った高級住宅街だった。
イラステーはエタンキアの行方がわからなくなっていた。
イラステーはやみくもに深夜の街を歩き回る。
エタンキアの足ではイラステーとそれほど距離をとれるとは思えない。
イラステーは音を立てないようにしながら全速力で走った。
ここらへんは大きな壁に囲われた屋敷が密集していて路地も狭い。
迷路のような道を行ったり来たりしながら、イラステーはエタンキアの行方を探した。
四辻は危険の代名詞で、道の角で突然切りつけられることなどよくあることだ。
イラステーは焦りと恐怖を感じていた。
ここでやみくもに探しても時間がかかるだけかもしれない。
屋敷に一度戻ろうかと考えはじめた時、かすかではあるが人の声を聴いた。
イラステーは聞き逃すまいと耳をそばだてて声のする方に駆ける。
角を曲がったところで、声の主らしき人の陰が見えた。
イラステーは近づこうとしたが、思いとどまった。
言い争っているように聞こえたからだ。
イラステーはそっと角の陰に隠れる。
幸い言い争いに気を取られていて向こうはこちらの存在に気づいていなかった。
わずかな月明りをたよりに目を凝らすと全員顔が判然とせず、どうやら布か何かで顔を覆っているらしかった。
イラステーは会話に集中した。
どうやら話をしているのは3人。そして全員男だ。
「どうしてこんな所に女がいる。」
「まさか俺たちの動きを知ってたんじゃ。」
「そんなはずがない。」
イラステーは会話から、もう一人の人影はエタンキアに違いないと思った。
彼らが噂の強盗たちならエタンキアは危険な状態にある。
イラステーはここをどう切り抜けるのか、思考を巡らせた。
イラステー1人でエタンキアを連れてこの場を切り抜けるのは難しい。
しかし今から助けを呼ぶ余裕はなかった。
一か八か賭けに出るしかない。
イラステーは狭い路地に飛び出した。
「ご主人さま!こんな所にいらっしゃいましたか。」
男たちが身構える気配がした。
イラステーも後ろ手に小刀を構える。
そしてどんどん近づいて行った。
「申し訳ございません。酔った勢いで外に飛び出してしまわれたのでございます。見つけて頂きありがとうございます。何とお礼を申し上げればよいか。」
イラステーは頭からフードを被った女性を見上げた。
表情は判然としなかったがエタンキアに間違いなかった。
しかし、エタンキアは何の反応も返してこない。
「さぁ戻りましょう。皆探しております。」
イラステーは強くエタンキアをこちらに引き寄せた。
しかし、そばの男がエタンキアの腕を離さなかった。
「おい、お前どこのもんだ。」
「それを聞いてどうされるのですか。」
イラステーは表情を強張らせたが、声は努めて驚いてみせた。
「こんな時間にこんな所を貴族の女が歩いているわけがねぇ。」
イラステーはもう無理だと思った。決断すれば早かった。
エタンキアの掴まれた腕と掴んでいる男の腕を視界に捉え、一瞬で引きはがした。
両腕を狭い両の壁に張って、エタンキアのそばにいた男を渾身の力で蹴り倒す。
他の2人もその勢いで押し倒された。
イラステーは着地すると、そばに倒れた男の足を深く切りつけた。
男のうめき声を聞くか聞かないかのうちに、イラステーはエタンキアの腕を掴んで全速力で逃げた。
どこもかしこも景色が同じで、イラステーには全く方向がわからなかったがとにかく無我夢中で走った。
驚いたことにエタンキアもしっかり着いて来た。
男たちが何事かわめきながら追いかけてくる。
イラステーはとにかく走った。
そこで十字路に出ると、エタンキアははじめて声を発した。
「右だ。」
今度はエタンキアが先頭を切った。
しかしすぐにイラステーが追い越し、まっすぐに走った。
すると突然視界が開けた。
イラステーはここを知っていた。
わずかな月明りしかないが、ここはイラステーがマルケたちとはじめて王都に来た時に通った道だ。
やたらと大きな門が多いなと感じた記憶がある。
またエタンキアが叫んだ。
「こっちだ。」
イラステーは我に返って走った。
驚いたことに向こうに松明が見える。そこには門があり門番が二人立っていた。
イラステーは叫んだ。
「助けて!」
門番がこちらを振り向く。
イラステーはエタンキアを引っ張って走った。
イラステーが松明のもとに走りこむと驚いたことに門番たちはハグノス家の傭兵だった。
しかもいつも一緒に稽古を受けている男たちではないか。
確か名前はアネスとタロンだ。
男たちも驚いている様子だがそれどころではない。
「エタンキア様を中へ!」
アネスたちの反応は機敏で、すぐにエタンキアを門の中に匿った。
男たちがこちらに駆けてくる。
「女を出せ!中にいる女が俺たちの物を盗んだんだ。」
門番とエタンキアが主従関係であることを知らない男たちは難癖つけて彼女を引きずり出そうとしている。
アネスたちがエタンキアの正体を口走る前にイラステーは叫んだ。
「違います。こいつら最近ここらへんを襲っている強盗です!
私のご主人様が現場を目撃してしまったので亡き者にしようとしたのです!」
これでアネスたちには十分だった。
二人とも動きが鮮やかで、あっという間に男たちを捕えた。
しかし、捕えたのは二人。
イラステーは嫌な汗が出た。もう一人足りない。
するとイラステーたちが出てきた角に人の気配がした。
イラステーが足を切りつけた男だ。
様子を見に追いかけてきたのだ。
アネスとタロンは暴れる二人を抑えるのに手いっぱいだ。
イラステーは迷わず駆けた。
男は形成が不利になっていることを感じたのか、全速力で逃げた。
しかし相手は手負いだ。
イラステーは追いつくやいなや、そのまま勢いにまかせて相手を前に突き飛ばした。
男は前のめりに倒れる。
イラステーは容赦なく勢いつけて男に飛び乗った。
男が痛みで抵抗できないうちに腕を後ろにねじりあげる。
男の悪態を無視し、イラステーは男の後ろ手に体重をかけながら、自分の腰布を急いで抜き取り起用に縛り上げた。
イラステーは細心の注意を注いで全体重で男を抑え続けた。
そこでタロンが来てくれた。
一刻で人生を駆け抜けたような気がした。
空は白みかけていた。
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