第50話 時の番人とビショップ その1

      *


 白を基調とした城の中では、白と黒のチェック柄の艶のある床に、壁には優雅な宮廷での茶会の様子や、チェスをする貴族の絵画が飾られている。

 窓から差し込む月明かりが青白く照らす真夜中。警備の兵士が交代で持ち場につき、彼ら以外に動くものはいなかった。


 ビショップが眠る部屋では、床の隅から黒い人影が浮かび上がり、しばらく彷徨うろついてから消えた。

 間もなく同じ影が現れたのは、城の隣に立つ白い塔——教会の司祭の眠る部屋だった。


 ベッドの脇には、司教の帽子が置かれたサイドテーブルと、木製と思われる白い杖が立てかけられてある。

 影は、杖に手を伸ばしかけて、とどまった。違う、とでもいうように。


 クイーンから聞いていた形と似てはいるが、目当てのロッドであれば、それが発するわずかな魔力でも感じられるという話であった。


 その時、仰向けに寝ていた五〇代と見られる男が目を開けた。


「来たか、時計ウサギ。思いのほか早かった……ん? お前はグルジアではないな?」


 影は窓辺へ移動し、月の灯りで姿を現した。


「ほう、時の番人は、ウサギとは限らないのか」


「ぼくも、本体はウサギのようなものです」


 深い紺色の、今は黒く見えるローブを羽織ったリゼは凛とした紅い瞳で、白髪に黒い毛の混ざった、白い口髭をはやした男を見つめた。


 城で眠っていたビショップとも似たような背格好で、白髪の混ざった黒髪に黒い口髭の男だった。

 それを『黒のビショップ』、目の前にいる者を『白のビショップ』として、リゼは区別をつけた。


「白のクイーンの持つロッドは、城にもここにもなかった。ロッドを返していただけませんか?」


 白のビショップは高らかに笑い声を上げた。


「これはまた随分と丁寧な取り立てだな! そこら中好きなだけ探せば良いではないか!」


「強引なのは好きではありません。頼んで返してくれるならと思ったのですが、やはり、そうはいきませんか」


 笑っていたビショップの声は、ピタッと止まった。


 いつの間にか、リゼが目の前に迫っていたことに気が付いたのだった。


「……そうか、のか」


「あなたがいくら眼を凝らそうが、ぼくの動きを目にすることは出来ません。ロッドを出してください。ぼくからクイーンに返します。そして、やめてください。無意味な戦いです」


「ほほう! 明日の朝、赤の国に総攻撃をかけることも知っていたか! ……そうか、コトが起こってから数時間前の過去である『今』に来た、つまり、数時間後の未来からやってきたというわけか」


 自分の推理に感心し、嬉々とした声を上げる。

 

「生憎、私はクイーンのロッドは持っていないぞ。な」


 リゼの目が見開かれる。


「白のクイーンはロッドがなくなると不安にかられて幼児退行したが、ニセモノでもロッドが戻れば術が解けるような仕組みであったのか」


 顎を撫で、他人事のような独り言を言うと、リゼを見てニヤッと笑った。


 グルジアの時計は十年前に取り上げられ、しばらく後に返された。クイーンが幼児退行した少し前とは時期が違う。

 怪我が治りかけた父グルジアから聞いた言葉を、リゼは思い起こした。


『盗まれた時計が返った時に調べたら、ビショップのような一般人でも使えるよう特殊な細工がされていた。すぐに直したが、クイーンのロッドが盗まれた時には時計は使われていない、細工もされていない。つまり、それは、細工を施した張本人——『ジョーカー』が現れ、ビショップを運んで時を渡ったに他ならないということだ。そして、それが出来るほどに、今のビショップは……で、それはだということだ……!』


 時間を行き来し、特殊な術を使うことが出来るのは、自分たち以外にも、リゼたち時の番人には思い当たる節があった。

 夜が明けて怪鳥たちに突撃命令を出すのは、がそそのかした黒のビショップ。


「やはり——」


 リゼはビショップの目を見据えた。


「時計がなくても過去に行けたビショップ、あなた方は明らかに、『時間を行き来できる者』の協力を得ていますね? つまり、『ジョーカー』の」


「ふはははは! わかったところでどうする? 残念だったな! 衛兵、連れて行け!」


 バン! と扉が開いたと同時に白いポーン兵たちがなだれ込むが、リゼの姿は一瞬で消えた。


『ビショップ、あなたはジョーカーを切り離すべきだ。でないと、……破滅する!』


 ポーン兵たちもビショップも、そのリゼの声のする方向を探そうと見渡すが、声は空間を彷徨うように、聞こえ方までが一方方向ではなく、部屋の中を移動しているようだった。


「『時空の中』に逃げ込んだようだな。過去に行ったか、はたまた逃げ帰ったか。いずれにせよ、あやつはロッドを取り返すために『過去』に行かねばなるまい」


 ビショップの目が一瞬だけ金色に光り、元の青い色に戻った。


      *


「アールグレイ!」


 すぐ横にいきなり現れたリゼに、腕を組んで鏡の前に立っていた紫庵は、特に驚く様子もなく、完全には鏡からは目を離さず、チラッとだけ視線を向けた。


「現在のビショップはロッドは持っていない。過去のビショップに渡したらしい」


「なんと!?」

「それでは、怪物たちを鎮められないわ!」


 ソファに腰掛けていた白のキングが叫んで立ち上がり、続いて立ち上がったクイーンは両手を組み合わせ、オロオロとし始めた。


 紫庵は驚くことなく、冷静な様子で頷いた。


「やっぱり、そのロッドを過去のもう一人のビショップに渡し、ジャブジャブ鳥たちを手懐けたのか」


「そうだと思う。ロッドを過去に運んだ時は父の時計は使われていない。ということは、他の『時を行き来できる者』が協力したことになる」


「え……、そんなヤツが……?」


 白のキングとクイーンがうろたえていて、自分たちに注目していないことを確かめてから、リゼは紫庵にだけ聞こえるよう近付き、小声になった。


「そんなことが出来るのは、時の番人か、もしくは別の存在……。実は、父さんが脅されて協力したのか、他に裏切った時の番人がいたのかということも考えられたけれど、別の存在の可能性の方が高くなった」


「……グルジアが、無理矢理言うこと聞かされてたんじゃなかったんだな?」


 希望を持った声に、リゼはこくんと頷いた。


「別の存在っていうのは、通称ジョーカー。ふとした出来心に付け込む『魔』が、無念な思いを残したまま負の念にかられて亡霊となった時の番人と融合したものだ。それが、時の番人の故郷を失うほどの大きな力にまで膨れ上がって暴走したけど、当時の番人達が集結してなんとか鎮めた。でも、完全な消滅は難しかったって聞く」


 困惑した言葉を吐き出しながら、立ったり、座ったり、歩き回ったりと落ち着かない白のキングとクイーンを気にしてから、リゼと紫庵は再び顔を見合わせた。


「その『魔』が湧き出し、邪心を持った者に取り憑いて時の流れを弄び、最終的には取り込んでしまう。白の国のビショップ二人は、そのジョーカーと組んでいたんだ」


 碧い瞳が見開くのを、リゼは見つめた。


「ジョーカーは厄介なことに元が時の番人だったから、番人の時計をいじることも、時を行き来することも出来る。だけど、どんな人でも過去の自分には会ってはならない、例え時の番人であっても。会ったら時間の流れに巨大な歪みが生じる。そして、他の時の番人によって裁かれ、排除される」


「排除……」


「そう。存在そのものがなくなる。そういう修正の仕方になるんだ」


 紫庵とリゼの瞳がぶつかり合った。


「そうなっては自分も破滅してしまうから、ビショップは、過去では自分ではない方のビショップにロッドを渡した。内密に成功させるには、二人で王国を裏切る必要があった。ジョーカーは二人のビショップをそそのかした、ってことになる」


「時の番人の先祖が関わっていたとはな……」


「だから誰にも言えなかった。実は父さんが協力させられてたかも知れないとも思ったし」


「もしそれが大っぴらになれれば、グルジアやそれ以外の時の番人たちを吊るし上げようと勘違いする輩も出てくるかもしれない。お前たち子孫にとっては大迷惑だしな。黙ってた方が正解だ。お前はそれを一人で抱えて……」


 やるせない瞳でじっと表情の変わらないリゼを見つめ、紫庵が慎重に言葉を発した。


「そのジョーカーをお前が裁くのか。それとも、魔に取り憑かれたビショップたちを裁くのか。どっちにしろ、荷が重いな」


「排除しても、ふとしたきっかけでジョーカーは湧いてしまう。その邪な念を見つけることも、時の番人の永遠の仕事だ」


「リゼ、……もし失敗したら……?」


「……ジョーカーに精神を乗っ取られ、ジョーカーの一部分となってしまうかも。そうなったら、ぼくは、他の時の番人に裁かれ、にされるだろう」


「……!」


 リゼの温和な表情で語る真実を、信じたくない一心で紫庵は見つめ返した。

 それを受け、覚悟を決めたリゼの凜とした瞳がわずかに揺れる。


「今こんな話をしたのは、万が一ぼくが失敗した場合にきみには真相を知っておいて欲しいと思ったから。こんなこと、とてもなぎさんには言えない。心配しちゃうだろうし、ぼくが行くのを止めるかも知れないから。でも、ぼくは、父を巻き込んだジョーカーを許せない。だから、ぼくが食い止めたいんだ」


 紫庵は強くリゼの肩を抱き寄せた。


「わかった。失敗なんか絶対するなよ! 僕が親友と呼べるのはリゼ、お前だけなんだからな! ……あ、ついでにダージリンも」


「ついでだなんて、ひどいよ」


 肩の力の抜けた笑顔になると、リゼは紫庵から離れ、うろうろしている白のクイーンとキングの前に片膝をついた。


「キング、クイーン。過去に戻って、クイーンのロッドがすり替えられた日の周辺を探ってきます。取り返せたらクイーンにお返ししますので、どうか怪物たちを鎮めてください」


「わかっていますわ」

「頼んだぞ、時計ウサギ」


 オロオロしながらも立ち止まり、落ち着かない表情のままクイーンとキングはなんとか返答した。


「ああ、そうだ! ダージリンが怪物たちを食材として調理したいから、鎮めるのはその後にしてくれって。それで今、ヴォーパルの剣を探しにありすとなぎちゃんも一緒にヨコハマに行ってるんだ」


「え、そ、そうなんだ?」


 幾分拍子抜けして、リゼは紫庵を見た。


「なぎちゃんに会えなくて残念!」


 ウィンクして紫庵が笑ってみせると、リゼは少しだけ目元を緩ませた。


「約束したから。また会うために絶対戻るって」


「そっか。それなら僕と約束するまでもないな」


「そんなことないよ。いつもありがとう、アールグレイ。きみとの約束だって充分ぼくに力を与えてくれてる!」


 珍しく勝気な表情を見せて笑ったリゼは、迷いもなく、空間の中に消えていった。

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