第27話 ウサギと猫と黒髪イケメン

「ああ、疲れた〜!」


 洋館のリビングのソファに、なぎは倒れこんだ。

 今日に限って客が多かった。


「ずっと立ちっぱなし、歩きっぱなしで、足がむくんでるわ」


 絨毯の敷かれた部屋を走り回っていた茶色いウサギが、なぎのふくらはぎを踏み付けていった。


「痛っ! ちょっと、みーくん! 痛いじゃないの!」


 飛び回っていたウサギは、ありすの膝の上に飛び乗ると、警戒するように体勢を低くし、縮み上がっている。


「安全なところに避難したってわけ?」


 憎々しげに言ってから、ふと思い出したように白ウサギを探すと、リビングの入り口でじっとしていた。


「……おいで」


 リゼはウサギの時の記憶があると言っていた。そう思うと恥ずかしい気もした。

 呼びかけたなぎの方へ遠慮がちにぴょんぴょん跳ねてやって来た白ウサギは、ソファに飛び乗った。


 ウサギの紅茶色の目を見つめても、なにを考えているかは当然わからなかったが、なぎは座り直すとウサギを抱き上げ、膝に乗せた。


 ウサギは前足を折りたたむと、丸くなって座った。


 ふわふわな背を撫でていると、思わずなぎの頬も緩む。

 ウサギもペロペロとなぎの手の甲や腕を舐めている。


「リゼさん……なんだよね?」


 耳をピンと立て、ウサギが下膨しもぶくれな顔で見上げた。つぶらな瞳で見つめられると、ポーッと、なぎの頬が熱くなっていく。


 かわい過ぎる!

 だからって、ウサギ相手に赤くなることないじゃないの。


 ウサギはなぎの言葉を待っているかのように、まだじっと見上げている。


「あ、あの……」


 なぎがまごまごしている間に、ウサギは毛繕けづくろいを始めた。それが終わるとそのまま丸くなり、耳を寝かせ、目を閉じて動かなくなった。


「……寝ちゃった?」

「うん、リゼ、寝ちゃった」


 なぎは、ありすを見直した。

 耳の垂れた茶色いウサギをだらーんと頭の上に乗せたまま、ありすが珍しくクスッと笑った。


「そのまま寝かせてあげて」

「えっ……」

「ナギやさしいから、リゼ安心してる」


 冷房の効かせた部屋では、ウサギのふわふわな心地良さと体温は暑苦しくはなかった。


 すぐ後ろのキッチンでは、博士がアールグレイを自分にだけ淹れていた。

 グレーの縞猫が身軽にテーブルに乗り、横からカップを覗き込むが、熱さに顔をしかめ、湯気を引っ掻くように前足を振り回していた。


「こら、グレイ、邪魔じゃ。あっちへ行かんか!」


 博士の叱るような声の後、バシッと、猫の手が新聞を叩いた音がした。


「なにをする! 新聞が読めんじゃろ!」

「フーッ!」


 また紫庵が威嚇してる、猫の姿だと気が強いのかしらとクスクス笑いながら、疲れが溜まっていたなぎもうとうとし始めていた。




 うっすらと瞼が開く。

 キッチンの小窓から差し込む光が床の一部分を照らし、朝だと悟る。

 ソファで横になったまま眠ってしまったのだと思い出した。


 ふと、なぎの目の前には、赤茶色の何かが見える。弥月のウサギの毛ではないような……?


 広いソファのすぐ隣では、横になったリゼが静かに寝息を立てていた。


「へっ!? なにっ!? 近っ!」


 慌てて飛び退すさり、ソファの背もたれに張り付くと、背から何かが転がり落ちるのがわかった。

 猫がゴロゴロと転がり、絨毯の上で伸びて寝ている茶色のウサギの上に落ちたが、二匹とも眠ったままだった。


 ウサギの弥月の隣では、ありすが横向きに背を丸めて寝ている。

 博士の姿だけがそこになく、二階で寝ているのだろうと見当が付いた。


 なぎの声で目が覚めたのか、リゼの身体がピクッと動き、眠たそうな顔で起き上がった。


「あれ? なぎさんが小さい……?」

「よ、良かった! リゼさんだけでも戻って」


 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。

 顔が火照るのがわかる。

 それを抑え込み、平静を装うつもりでいてもうまくいかない。


 なぎの心中など知る由もない同じソファの目の前にいるリゼの方は、片足を下ろした体勢で周りを見渡してから、なぎに視線を戻す。


「時計の文字盤から読み解くと、三日間はウサギのままのはずだったんですが……どうも『こちらの世界』では、その通りには行かないことも多くて。紫庵たちはまだ元の姿に戻っていないんですね」


「はい」


「ありすは、こんなところで寝てるんですか」


 床に、ウサギの弥月と横になっている姿を見ながら、リゼは笑った。


「ご、ごめんなさい! わたし、昨日はついウトウトしてそのまま寝ちゃったみたいで、ありすちゃんに絵本を読んであげてないんです」


「ああ、大丈夫ですよ。毎日じゃなくてもいいので。それより、お店とありすのお茶と、大変だったでしょう?」


「お店はてんてこ舞いでしたが、ありすちゃんのお茶の方はユウさんがあげてくれたので。三日間はそのために来てくれるそうです」


「えっ、ユウさんが、ありすにお茶を?」


 リゼは意外そうな声で聞き返した。


「はい。ユウさんは、うちのおばあちゃんに教わったように自分でいつも淹れているんだそうで、ありすちゃんも喜んでました」


「そうですか……」


 さびしそうな微笑みを浮かべると、それを取り払うようにリゼは笑ってみせた。


「朝食を作る時間です。待っててください」




 猫も茶色のウサギもありすも起き、アッサム博士とも一緒に朝食をすませた。

 その後、店の看板をリゼが出し、なぎはドアに飾りを付けていた。


「おはようございます」


 ユウがやって来た。


「おはようございます。開店前からいらしていただいて、ありがとうございます!」


 リゼが笑顔になって出迎えた。


「ああ、リゼくんは戻ったんだね」

「戻った……? なぜ知ってるんです?」


 リゼの表情がこわばると、ユウが不思議そうな顔になった。


「仕事で茶葉の買い付けとかに行ってたんじゃないの?」

「あっ、そ、そうなんです! リゼさんだけ早く帰って来たんです!」


 なぎが慌ててリゼの隣に飛んで来て取り繕った。少し考えていたリゼは「ああ、そういう意味か」と呟き、納得した。


「おはようございます」


 ティールームの店長、湊海音みなと あまねがユウの後ろからやって来た。


 黒髪をなびかせ、白いシャツにデニムというシンプルな服装であったが、いつもながらにさわやかな、少女漫画に登場するような細身の美青年だった。


 落ち着いた大人のユウと、まだ二〇代と思われる若い海音が並んだ。友達の若菜や日和だったら、きっと、タイプの違うイケメンのツーショットだとはしゃぐだろうと、なぎは想像した。


「ああ、先日はどうも。僕の探していた紅茶館が見つかりましたよ。山根梓さんの紅茶館は、お孫さんたちがリニューアルされていたんですね」


 ユウがにこやかに言うと、海音は少し気まずそうな顔になるが、にっこりと、「ああ、あなたはこの間のお客様でしたか。こちらのお店を見つけられて良かったですね!」と言った。


 「見付けられた……ね……」と、ユウは口の中で言った。


「ところで、なぎさん、これ興味ありませんか?」


 早速、海音はスマートフォンを取り出し、画面を見せた。


 紅茶のイベントだった。


「わぁ、これって世界の紅茶が集まってて、試飲とかも出来るんですよね! 春にやっていた時は忙しかったから気付いた時には遅くて」


「それとは別の団体が主催してますが、似たような内容です。行くと勉強になりますよ。パシフィコ横浜だから、良かったらそこのバス停から乗って、一緒に行きませんか?」


「一緒に?」


 海音を見上げるなぎを見てから、リゼは問いかけるようにユウを見た。ユウは静かな目で状況を見守っている。


「あの、でも、今は……」


「比較的空いている午前中なら、従妹いとこのセイラとアクアにお店を任せて行こうと思ってるんです」


 いつも邪魔なくらいに出しゃばって呼び込みをするあの二人が店に引っ込んでいてくれるなら、客を誘導はされないだろう。だとしたら、自分一人が抜けても店の売り上げが落ちることもないだろう。


「忙しくても勉強は大事ですよ」

「わかりました。ご一緒します。よろしくお願いします」


 海音はホッとしたような顔つきになった。


「良かった! 断られたらどうしようかと思いました! なぎさんの周りはイケメンが多いから、僕なんか相手にされないかと」


「あら、湊さんほどのイケメンが何をおっしゃいます」

「いやいや」


 簡単に日時を決めると、海音は帰っていった。


「余計なお世話だけど——」


 ユウが、なぎに言いかけた。


「彼は信用出来るのかな?」


「湊さんですか? お店はライバルですけど親切だし、いい人ですよ。ちゃんとしてますし。あの宣伝のゴスロリ双子は行き過ぎな感じですけど」


「そう。なぎさんがそう思うんなら別にいいんだ」


 微笑んだユウを、なぎもリゼも見つめた。

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