第43話 王の司令

 一晩眠った白ウサギは、翌朝、目を覚ました。


 ベッドには、座ったままの格好で横たわったなぎが眠っている。


 背に生えた幾らか小さくなった青いきのこを気にしながらもその周囲だけを舐め、ウサギは毛繕いを終えると、ぴょんと向きを変えた。

 鼻をヒクヒクさせて近づき、ふさふさの前足をポンと置くと、なぎの頬をペロペロと舐めた。


「う、う〜ん……」


 なぎの瞼が開くとほぼ同じタイミングで、突然ベッドが沈む。

 ウサギがリゼの姿に変化したのは、なぎの頬を舐めた直後だった。


「へっ!?」


 リゼのシャツは片腕だけ袖を通し、ボタンをかけず開いたまま、なぎの頬から離れたばかりの距離で本人も目を丸くし、戸惑っていた。


 なぎは見開いた目で、これまで誰も接近させたこともない触れ合いそうな位置にあるリゼの顔に、驚きを隠せず、固まっている。


 ボッと二人の顔が上気すると、すぐにリゼが離れた。


「す、すみません! ウサギの習性で、つい……! しかもいきなり姿が変わるなんて……!」

「わ、わたしも、ついうっかりここで寝ちゃってすみません!」


 同時に謝りながら、なぎは飛び起きた。


「なぎさんは悪くないですよ! これじゃ、ぼくがヘンタイみたいで!」

「そ、そんな! リゼさんはヘンタイなんかじゃ……!」


 バタバタバタ! と部屋の向こうから足音が近づいて来ると、バタン! とドアが開いた。


「よー、リゼ! 元気になったか? ああっ!?」


 弥月がロップイヤーをピン! と真っ直ぐに立て、顔を強張らせて固まった。


「リゼが半裸のヘンタイになってなぎを襲ってる! オマエー! いつからそんなヘンタイになったんだっ!」


「違うよ! のせいで、ちゃんと着られないんだよ!」


 背にきのこのある左側は、腕も袖を通せそうにない事実を認めると、弥月の耳が垂れた。


「なんだ、そっか! 仕立て係は何やってんだよー! おーい!」


 弥月が大声で呼ぶと、メイド服のウサギ女子二人ほどがやってきた。


「ここに運ばれた時は服もボロボロで血だらけだったから、アールグレイ様がその服は捨てておけって」


 血……!?


 ビクッと震え、なぎはリゼを見上げた。改めて、回復が見られて良かったと、心の中は薬を調合したアッサム博士に感謝しかない。


「それ以来ずっとウサギ姿で寝てるだけだったし」

「昨日やっと目覚めて、ヒト型になられたばかりだしー」

「アタシたちのせいじゃないよねー?」

「ねえ?」


「だからってさー、怪我してる間だけでも着られる服をリゼに作ってやれよ。いつまでもシャツのボタン開けてるなんて、ヘンタイだろー?」


 腕を組み、弥月がぶーぶー文句を言った。


「え〜、でもその方がリゼ様の色気が……ねぇ?」

「タダで拝めるし!」


 きゃ〜っ! と、二人は黄色い声を上げて騒いだ。


「なんだ、お前らもヘンタイかよ!?」


 弥月が肩をすくめた。


「あ、あの、わたし、作ります」


 なぎがベッドから降りた。


「何か布と、ゴムとか紐があれば。ああ、リボンでもいいです。針と糸も」

「それなら、あっちにミシンもあるよ」


 いつの間にか現れた紫庵が、開けっ放しのドアにもたれかかり、親指を廊下に向けた。


「きゃっ、アールグレイ様♡」


 メイド達が顔をほころばせて小さく叫んだ。


「ミシンあったのね」


 基本的には、と変わらない。住民たちが違うだけのようだ。


 弥月の作った朝食の後で、なぎはミシンのある部屋にこもり、黄色い布と、首元に赤いリボンを通してたっぷりとしたスモックを作った。布もリボンも、仕立て係が面倒そうに出してきた余り物だった。


「薬塗る時は背中だけまくればいいし、これくらいなら技術いらないから、わたしでも出来るかなぁって」


 たたんだスモックをなぎがリゼに手渡そうとすると、仕立て係ウサギ女子二人が横から取り上げ、スモックを掲げてじろじろと見回した。


「縫い目が曲がってるわ」

「ここも揃ってないし、雑な作りね!」


「あはは、すみません、わたし、縫うの苦手だから。ミシンなんて高一の時以来だから五年くらいブランクあるし」


「デザインもダサッ!」

「簡単にしか出来なくて……とりあえず怪我が治るまでだからいいかなぁって」


 誤魔化すように笑うなぎの前で、スモックを被ったリゼがにっこり笑った。


「これ、着やすくていいですね!」


 ウサギ女子たちはピタッと黙り、なぎの表情が晴れていく。


「ホントですか!?」

「はい! ぼく、これ着てます」


「あ、でも、怪我が治るまででいいんですよ、ホント、ダサダサなので」

「いいです。ぼくずっと着てます。あ、洗い替えでもう一着作ってもらってもいいですか?」


「え、……作るのは構いませんが、なにもわざわざそんなヘンなの着なくても……」

「いいんです、ぼくが着ていたいんです!」


 なぎは顔を赤らめ、下を向いた。


 ウサギ女子たちはぴったりとくっつき、こそこそブツブツと文句を言っているようだった。


 その後、リゼは弥月に肩を借りてメイドウサギたちの集まる部屋に行くと、今後はなぎに身の回りのことを頼むから大丈夫だ、これまでありがとう、と告げた。


 メイドたちは悲痛な声を上げた。

 キッ! と睨みつける様々な目に、なぎは小さくなった。




 王の部屋には天蓋付きベッドがあり、そこではウェーブのかかった金色の髪の白人男性が眠っている。護衛の意味もあってその隣にある部屋では国の重鎮たちが集まり、会議を始めていた。


 内容は、問題の白のビショップが操るバンダースナッチ、邪悪なジャブジャブ鳥、そして、一番の脅威であるドラゴン——ジャバウォックへの対策であった。


「時にリゼ、その服はなんだね?」

「少し、いや、大分派手じゃないかね?」


 がっしりとした体格である赤のルーク二人が怪訝そうな顔で尋ねた。

 他の者たちもリゼの着ている赤いリボン付きの黄色いスモックをじろじろと見て、顔をしかめている。


「はい。そこにいるなぎさんが、怪我をしたぼくのために作ってくれたので、ずっと着てることにしました」


 弥月と一緒に紅茶を淹れたティーカップを運んでいたなぎは、びっくりして顔を上げると同時に、重鎮たちが一斉に振り向いた。


「その少女はなんだね?」


 少女? と、なぎが首を傾げる。

 まあ、外国人から見れば日本人は幼く見えるから、などとひとりで納得した。


「なぎちゃんは、クイーンの通行証を持っているんだよ」


 リゼの隣に座る紫庵が一枚のカードを取り出して、指の間に挟んで見せた。

 なぎがよく見ると、ハートのクイーンのトランプカードであった。

 紅茶館の休憩室にあったトランプによく似ている。


「おおっ! そ、それは、まさしく、赤のクイーンの通行証!」

「確か、以前、アズサという少女も持っていたな!」


「なるほど! 女王陛下と縁のあるお方であったか!」

「さあさ、そんなところにいないで、そちらへおかけくだされ!」


「は、はあ。でも、わたし、何も……」

「何も発言などしなくても良いのですよ。さあ、そちらでお茶でも」


 そう言ったのは、ダイヤ型のような顔の二倍はありそうな赤い帽子に斜めの割れ目の入った賢者とも呼べる雰囲気をまとった初老の男性と中年ほどの男性——赤のビショップたちに促され、なぎは、おずおずと末席に座ると、紅茶を配り終わった弥月も隣に座った。


「話の続きだが、アールグレイ伯爵、王が司令を出したとかなんとか言っておった件をもう少し詳しく話していただけないか?」


 ルークの一人が、紫庵を見た。


「あくまでも『寝言』だったけどね」


 紫庵は皆を見回して微笑んだ。


「なんなら直接聞いてみる?」


 そこにいる全員が互いの顔を見合わせてから、再び紫庵に注目した。




 隣の部屋の天蓋ベッドに横たわる金髪の男性は、静かに寝息を立てていた。

 ベッドを取り囲み、覗き込む臣下たちは聞き耳を立て、静かに待っていた時だった。


「消えるネコ……伯爵、……ティーを飾る……茶色ウサギ、……紅い瞳を持つ……時計……白ウサギ……」


 むにゃむにゃと黙り込む。


「キング、お呼びでしょうか? 皆、揃っておりますよ」


 紫庵がぺこりと頭を下げ、うやうやしく応える。


「俺……には、わかる。敵は、恐ろしい……怪物を、操り……国を襲う、と」


 キングの一人称が「俺」というのがなぎには意外であったが、誰もそれに触れることはなかった。寝言だからが出ているのだろうか、と思い直し、黙っていることにした。


「……俺の……ヴォーパルの剣を…使え……! 兵たちで……は、手を、読まれる……! お前たち……で、……成し遂げろ……! 怪物の首……を……斬り落と……せ!」


 絞り出されるようなその声に、一同静まり返り、一気に緊迫した空気が立ち込めた。


 本当だったんだ……!


 弥月の隣に立っていたなぎは、ぎゅっと両手を握りしめた。


 黙ったまま弥月を、紫庵、そして、リゼを見つめる。

 なぎの視線に気が付いた三人も、黙って見つめ返した。


 誰もが口を利くのを恐れるように静まり返っていた。


「アップルパイが食べたい」


 その一言だけが聞こえて以来も沈黙は続く。


「ああ、それからな、お茶もだ。ミルクティーが良い」


 沈黙の中、ちらほら目が合うが、誰も口を利いた様子はない。


「誰が言っているのだ?」


 城の塔の形をした赤い帽子をかぶったルークがひとりひとりを見回すが、皆は顔を見合わせるばかりで名乗り出る者はいそうにない。


「早く持て」


 それがキングの寝言だったと、今、全員が知った。


「……ホントに寝言?」


 ぽかんとしていた弥月の声には誰もが同調し、キングの寝顔を半信半疑な表情で覗き込んでいた。

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