第44話 役者が揃った?
使用人たちの部屋のソファで寝泊まりしているなぎは、メイドウサギたちと起き、弥月の作る朝食に添えるようお茶の用意をしていた。
普段はリゼや紫庵の仕事だというが、怪我が治るまでリゼは休養中であり、紫庵は城の外の状況を探りに行き、それを眠っている赤の
紫庵は姿を消せる能力も買われている上に、王からの信頼が厚いように、なぎには見えた。
余っているメイド服ではあんまりだと、リゼが仕立て係に頼み、余り物などではなくなぎの選んだ生地で、膝丈のシンプルなワンピース数着とエプロンを作らせていた。
仕立て係が真面目に作れば、なぎがリゼに作ったスモックよりは断然上等な出来栄えだ。
紅茶館にいる間に、基礎的な紅茶の淹れ方は身に着けている。
自分のいた鏡の向こうの世界を「現実世界」と呼ぶなら、そこと共通である「お茶を淹れる」ことは、違う世界である「鏡の国」にいても自分の存在を保っていられることにも繋がっているように思える。
梓の話の通り、現実世界でのことを少しずつ忘れていきそうな不安は、紅茶を淹れていると不思議なことに打ち消され、穏やかな気分になるものだった。
「ねえねえ、あなた、リゼ様の何なの?」
お茶をリゼの部屋に運ぼうと、花柄のトレーに白いティーポットと、グラニュー糖の入った揃いのシュガーポット、ミルクピッチャーを乗せていたなぎに、メイドウサギたちが尋ねていた。
嫉妬からというより、単なる好奇心に見える。
「別に、何ってほどのものでもないですけど……。リゼさんもみーくん——ああ、ダージリンもアールグレイも、私と一緒に仕事をしてくれていたんです。隣に住んで食事も一緒だったし、だから、仲間とかファミリーっていう感じなのかな」
「まっ! アールグレイ様とまで?」
「ダージリンの作るお菓子も食べ放題!」
一気にメイド達は羨ましそうな目になった。
「でも、リゼ様、今後はあなたに身の回りのことを頼むって言ってたじゃない?」
「これまでリゼ様に言い寄ってたコたちは何人もいたのに、誰一人受け入れてくれなかったのよ」
「そうなんですか?」
そんな話、聞いたこともなかったなと、なぎは思った。
リゼさんはクイーンに想いを寄せていて、その娘のありすちゃんのお世話もしていたとしか、わたしは知らない。
でも、やさしいし、イケメンだし、モテるのは当然よね。
しかも、ここにはウサギの女の子がたくさんいるんだし……。
「女王様とありす様がいたからね〜」
「特に、女王陛下の目が光ってたし、当のリゼ様はお茶のお仕事とありす様のお世話にかかりっきりで、全然隙がないし」
「わかる気がします」
なぎには想像が付き、大きく頷いていた。
「だから、何であなたはリゼ様に信頼されてるの?」
ハッとして、自分に向けられた、好奇心むき出しのクリクリとしたブルーグレーの瞳や赤い瞳を見回す。
「し、信頼だなんて……」
「まさか、恋人……ではないわよね?」
「
「でも、ウサギじゃないし」
じろじろと上から下まで、不思議そうな目で見回される。
……別に、好きだって言われてもいないし、ちょっとハグしたことあるくらいだし、それも感謝って言ってたし。
ふと、なぎの脳裏に、リゼがこの国に帰っていった時のことが蘇った。
『留守中は、なぎさんを困らせないようにね』と言って、ありすの額に軽く口づけていた。
絵本を読み聞かせてありすを寝付かせる時やこれまでにも、普段は遠慮がちなリゼが、ありすに対してはごく自然に、身内に対しての振る舞いかロリコンかと疑われるような接し方をしていたのが思い起こされた。
始めは微笑ましく見ていたなぎも、今ではさびしさを覚えるようになっていた。
「……わたし、全然恋人なんかじゃないですから」
なんだか沈んだ気分になり、そう答えると、ティーセットを乗せたトレーを持って歩きかけた。
「あなたは、ウサギでもないのに、どうしてリゼ様がいいの?」
「わかった! イケメンだからでしょー?」
「もしかして、同情したとか? 時の番人の故郷がなくて、リゼ様がこの国の民になった話を聞いて」
「結構いるんだよねぇ、同情してるだけで好きだと勘違いしてるコも」
「『リゼ様お可哀想!』ばっかり言ってね」
無邪気な甲高い声に、なぎの足が止まった。
同情してるだけ……に過ぎない……?
なぎは、すぐには反論出来ずにいた。
「ああ、お茶が美味しいです! ありがとうございます!」
リゼが、ほくほくとした笑顔で、なぎを見ていた。
「さっき、背中のきのこが取れたんですよ」
「そうなんですか!? あれって取れるものだったんですか!?」
サイドテーブルに置いてあったカゴをなぎに見せると、分厚い椎茸以上に大きかったものがしめじほどに小さくなった青いきのこが並んでいる。
リゼの背は、吸盤でも吸い付いていたかのように、丸く赤くなった跡がいくつも残っているだけとなっていた。
「もう痛みもないんです」
リゼは朝に見た時よりも晴れやかな笑顔であった。
「良かった〜!」
「ご心配をおかけしました」
「いいえ。思いの
「はい。なので、なぎさん、今夜からはここで寝てください」
腰掛けているベッドを、リゼがポンポンとたたいた。
「……えっ!?」
ティーカップを持ったまま、なぎが固まってリゼを見上げる。
「なななな何言ってるの!?」
おでこにちゅーすらしていないのに、ありすちゃん以下の扱いなのに、唐突過ぎでしょ!?
なぎの心臓がバクバク鳴っていることには、リゼはまったく気付く気配もない。
にっこりと屈託のない笑顔で、何言ってるの? 何言ってるの? 何言ってるのーーーーっ!?
「ぼくは普段通り向こうのウサギ小屋で寝ますから、どうぞこのベッド広々使ってください」
「……あ、そういう意味でしたか」
「? 他にどういう意味が……?」
「いえ、いいんです! 自意識過剰でした」
もごもご言いながらティーカップをテーブルの上に置くと、なぎはリゼの方を見ずにクッキーに手を伸ばした。
「……わたし、別の部屋借ります」
途端にリゼが慌てた。
「ダメです! キングの部屋に近い部屋は護られているからまだ安全ですが、全部埋まってるそうですし、空いているのはクイーンとありすの部屋と、あとはもう屋根裏しか……」
なぎの目が丸くなった。
「お城に屋根裏部屋……あったんですね」
「物置ですけど。だ、だから、この部屋にいてください! なぎさんを物置なんかに泊めるなんて出来ませんよ!」
必死に引き留めるリゼに、なぎは横目になり、平淡な声で答えた。
「はい、わかりました」
「はー、わかってくれましたか! 良かった! ところで、……なぜ、そんなコワい目になってるんです?」
「目付きが悪くてすみませんね」
不思議そうに見ているリゼの横で、憮然として、空になった自分のカップに新たに紅茶を注ごうとすると、「ぼくがやりますよ」と、リゼが注いだ。
ドアが開くと、弥月がバターを塗ったトーストとサラダ、ハムエッグをトレーで運んできた。
「おっ! リゼ、きのこ取れたのか?」
サイドテーブルのカゴを見つけた。菓子をテーブルに置いてからカゴを持った。
「そのきのこでバンダースナッチの毒に対抗する解毒剤が出来るんだってさ。今、博士から聞いて」
そう言いながら、職務から一旦解放されたらしい紫庵も部屋に入り、その後からは、博士とありすまでが入ってきたのだった。
「博士! ありすちゃん!?」
なぎはその場に棒立ちになり、リゼもベッドから立ち上がった。
「大丈夫じゃったか? リゼ」
「博士! おかげさまで薬が効きました! ちょっと……いえ、すごく痛かったですが。ありがとうございました!」
「ふむ、良かった良かった!」
リゼは早足で出入り口に近付くと、博士の手を両手で握り、大きく振った。
「ありすも、戻ってきたりして、危ないじゃないですか」
博士の手を放すと、リゼは中腰になって、注意するようにありすと目を合わせた。
「『クイーン』は一人は必要だろうからって、ママが」
それには、紫庵が顔をしかめた。
「——って、自分が来なくて、娘を来させるのか?」
「今、お店が忙しいから」
「だって、店長はありすだろ?」
弥月も片耳を上げて言った。
「ママにお客さんが多くて、アズサが紅茶を淹れて、昼間はユウも淹れるの手伝ってる」
「ああ、またユウさん働かせて……」
紫庵が呆れる。
「アズサがチェス教えてるから」
「……ユウさん、まだ諦めてなかったんだね。そして、客は相変わらずMなキモオタばかりか」
「そ、そんなこと言っちゃ……」
ありすと話して意地悪な顔になる紫庵に、なぎが苦笑いになる。
「ありす、リボンを変えようか? ここに置いていったのがあるでしょう?」
リゼがいそいそとありすの髪を撫で、今にも結びたそうにしているが、先ほどからありすは、リゼの着ている黄色いスモックと、首元で結んでいる赤いリボンに珍しそうに目を留めていた。
「その服、どうしたの?」
「ああ、これはね、なぎさんが作ってくれたんですよ。背中にきのこがいっぱい生えちゃってね、着られる服がなかったんです」
なぎが慌てて進み出た。
「あ、あのね、これしか布もリボンも分けてもらえなくて、縫うのも上手じゃないし……。リゼさん、きのこはなくなったんだから、もうこんな変な服は着なくていいんですよ!」
「いいじゃないですか、ぼくが着たいんですから」
「そんなピエロみたいな格好しないでください」
「えーっ! なんでですか!?」
くすっと、ありすが笑った。
「ナギ、やさしい」
なぎはティーカップを弥月に押し付けると、夢中でありすを抱きしめた。
「わーん、かわいいーっ! ありすちゃーん、ありがとうー!」
「ところで」
と、言い出した博士に、皆注目する。
「バンダースナッチの解毒剤を作るのに、このペースト状の万能薬では携帯しづらい上に塗りにくい。したがって、これをもっと液状に伸ばし、香水のようにシュッシュと振りかけて使えるようにした方がいいだろう」
ハッと顔を見合わせると、弥月がポンと手を打った。
「ってことは、紅茶かスープか何かで溶き伸ばせばいいんだな!」
なんでよ? と、なぎが口を開こうとする前に、博士が頷いた。
「そうじゃ! 海ガメもどきのスープが必要じゃ!」
なぎが首をかしげる。
「海ガメもどきって、どこかで聞いたことが……」
「代用スープのことじゃ」
ありすが、ますますわけのわからない顔になるなぎの服を引っ張る。
「寝る前にリゼが読んでくれた絵本にあった」
「ああ、それでわたしでも聞いた覚えがあったのね!」
弥月がバタバタと廊下を走っていき、すぐに戻ると、コルクの蓋をした瓶をいくつもバスケットに入れて持っていた。
「これにもらってくるぜ」
「ええっ、ちょっと、みーくんが行くの?」
「そうだよ。海ガメもどきのところまでは、グリフォンに案内してもらえばいいな!」
「グ、グリフォン!? そ、そんなファンタジーな生き物がここに!?」
言いかけて、それも絵本にあったことが頭をよぎるが、面食らっているなぎのことは放っておき、弥月はさっさと部屋のアーチ型をした大きい両開きの窓を開けた。
「おーい! グリフォーン!」
「そうやって呼ぶの!?」
遠くから羽ばたくような音が近づいてくる。
鳥のようなものは近づくと、馬ほどの身体を窓の近くにまで寄せるが、羽ばたくたびに風が起こり、ありすやなぎの髪を舞い上げる。
鳥のように羽毛でできた羽ではない。鋭い目付きの鷹のような顔をしてはいても、哺乳類のような白いふさふさの毛に覆われている。
目が大きく、可愛くも見えるが、足の指は獲物をいつでもしっかりと掴めるように大きく曲げられ、黒く尖った爪が金属のように光を反射している。
その背に、ひょいっと弥月が飛び移った。
「大丈夫なの? みーくん!」
「へーき、へーき! おい、グリフォン、お前が仲良くしてる海ガメもどきのところに急いで連れてってくれ。代用スープが欲しいんだ」
鳥のような鳴き声を上げてから、グリフォンは言った。
「だけど、あいつ、泣いてばかりだぜ?」
「じゃあ、涙でもいっか」
「そ、そんなことでいいの? みーくん」
「いいのじゃ!」
堂々と言い放つ博士に、なぎは唖然とした。
「でも、外は危ないんじゃなかったの? いつドラゴンとかナントカ鳥が来るか……!」
「お茶の時間だから、へーきじゃね?」
「そうじゃ!」
「ほ、本当に……?」
あまりに自信たっぷりな弥月と博士に押され、なぎは
「じゃ、じゃあ、ホントに気を付けてね、みーくん」
「ああ、行ってくるぜー!」
バッサバッサと羽ばたき、弥月を乗せて飛んで行ったグリフォンが見えなくなるまで、なぎとありすは窓の外を見送っていた。
「それじゃ、リゼ、僕たちはキングの指令を聞きに行こう。また寝言で僕たちに来るよう言ってたから」
紫庵の声に振り向くと、リゼはわかっているというように頷いた。
「ありすもなぎちゃんも一緒においで」
なぎは反射的にありすの手を握り、紫庵とリゼを見上げた。
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