第31話 ローズティーとフシギな客たち

 外交官の家を見学した時に買ったローズジャムを紅茶に溶かし、なぎがありすに差し出した。


「今日のおやつはローズティーと、みーくんの作ったローズ・ロールケーキよ」


 紅茶館の休憩室では、ありすとなぎが三時のティータイムを過ごしていた。

 薔薇のフレーバーティーにローズジャムを入れ、ロールケーキのピンク色のクリームにも食用の赤い薔薇のつぼみが添えてある。

 薔薇の香りが漂う。


「ありすちゃんには薔薇も似合うわね」


 なぎは、惚れ惚れとありすを見て微笑んでいた。


「あら、薔薇の花びらだわ」


 自分のローズティーにもローズジャムを入れてかき混ぜていたなぎは、花びらをティースプーンで掬い、口にしてみた。


「もっとペラペラかと思ったけど、薔薇の花びらって元が厚いのかしら。意外としっかりしてるのね」


「美味しい。ロールケーキも」


「そうね! みーくんと薔薇は結びつかないけど、相変わらず作るものは可愛くて美味しいわよね!」


 いつものように表情には表さず、淡々と食べ、紅茶を飲むありすだが、なぎはその姿にも見入ってしまい、つい笑顔がこぼれてしまう。


「その花びらは、赤い薔薇だったのかな? それとも白い薔薇かな?」


 休憩室に顔を覗かせたのは、紫庵だった。

 色褪せたセピア色のような花びらは、元はどのような色をしていたのかわからない。


「どっちでもいいでしょ? 紫庵、サボってないで、ちゃんとお店に出てて」

「はいはい」


 顔をしかめるなぎと無表情なありすに笑ってから、紫庵は店に戻った。


 休憩が終わったなぎが店に戻る。

 テーブルの上に残った食器を片付けていると、隣のテーブルの男性客が独り言のように呟いた。


「この店では、なんでもない日はお祝いしてくれないのかね?」


 なぎは手を止め、男を見た。

 弥月が、以前「なんでもない日のサービス」をした時のことが蘇る。作ったケーキが余ってはもったいないと、客に振舞っていた。

 ただし、その後なぎが目を光らせていたので、それ一度切りであったはずだ。


「お嬢ちゃん、きみはなんでもない日の価値がわかるかい?」

「は?」


 椅子からはみ出るほどのずんぐりとした巨体の、スキンヘッドの男を、なぎは改めて見た。


「誕生日は一年に一度だけ。だが、誕生日以外の、つまり『なんでもない日』は一年のうちの……」


 言いかけた男は、指を折り始めた。


「あの……何を……?」

「なんでもない日を数えておるのだ」

「指で数えても追いつきませんよ」

「じゃあ、どうやって数えるのだ?」

「え、考えるまでもなく、すぐにわかりますよ、364日って」

「何!? 300……なんだって? なぜそうだと言い切れる?」

「だって、一年は365日ですから、誕生日以外の日は364日ですよね?」


 客は「その計算は果たして合っているのか?」などと絡む。そんなことをわざわざ説明する必要があるのだろうかと、なぎが首を傾げていると、男はふいに視線を逸らした。


「おい、グレイ」


 通りすがった紫庵が足を止める。


「王は大丈夫なんだろうな? 最近眠ったままだと聞くが、私に何かが起こる前に王のナイトたちが私を助けることになっているはずだが、王が眠っていてもちゃんと助けに来るんだろうな?」


 なぎがわけのわからない顔で紫庵を見る。

 紫庵は肩をすくめて見せた。


「さあ?」

「なんだそれは! それでは困るのだぞ! それが唯一の心配事で、こうしてわざわざ聞きに来たというのに!」

にいたらいいんですよ」

「落っこちるなんてことはない!」


 わけのわからないことで絡む客であったが、男の声の大きさが気になったなぎが周囲を気にすると、他の客たちはまるで彼のことは目に入らず、話も聞こえていないように静かに紅茶を飲んでいるか、仲間同士の話に興じているかであった。


「冗談じゃない! 私は帰るぞ!」

「ああ、帰った方がいいと思うよ」


 男は「私は気なのだ、の上にいようが」などとブツブツ言いながら、ドアから帰っていった。


 その途端、ドターン! と地響きがして、なぎが驚いて外に出るが何も見当たらなかった。


「……今のお客様って……」

「ああ、気にしなくていいよ。僕の知り合いだから」

「知り合いって……」


 なぎには奇妙に思えてならない。


「今の音は?」


 厨房から紅茶のポットを運んできたリゼにも、紫庵は「卵のオバケだよ」と面倒そうに応えると、それだけでリゼにも伝わり、「ひどいね」とだけ言って苦笑いした。


 それ以来、奇妙な客がちらほらとやって来ていた。

 椅子から落ちそうな格好でお茶を飲む老紳士がいる時もあれば、恰幅のいい、よく見ると鳥顔に見える別の紳士は「上着を乾かさないと」とわざわざ言ってバサバサと仰いだスーツの上着を椅子の背にかけていることもあった。


 それらを、他の客たちも、隣に座る客ですら全く気にすることはないのだった。


「わたし、最近疲れてるのかしら? どうも他のお客様には見えていない人が見えるみたいなんだけど」


 洋館で夕食を取っている時に、頭を押さえながらなぎが打ち明けた。


「ああ、ナイトとドードーが来てたよなー」


 弥月がガツガツ食べながら興味のないように答える。ありすと博士は表情を変えず、食べているが、紫庵とリゼは顔を見合わせた。


「こうもが頻繁に現れるってことは……」

「もしかすると、鏡の国で何かさらに異変が起きているのかも知れないな」

「紫庵もそう思いますか?」


 リゼと紫庵を交互に見ていたなぎは、心配な顔になっていった。


「心配しなくても大丈夫だよ、なぎちゃん」


 紫庵が微笑んだ。


「ちょっと鏡を覗いてこよう」


 一人抜けて紅茶館の休憩室に入った紫庵は、暖炉の上にある巨大鏡の前で、両手を腰に当てて呼びかけた。


「白のナイト、さっき来てたよね。白の王様の護衛? ありすに何か用だったんじゃないの?」


 ぼやぼやと鏡に映る景色が、休憩室から森の中へと移った。

 そこには、先ほど客として来ていた、椅子から落ちそうな体勢で紅茶を飲んでいた白髪の老紳士が、甲冑を着て馬に乗った姿となって現れた。


「アールグレイ殿、ありす様には心配させないよう、お主からうまく伝えておくれ」


 深刻な顔でそう言うと、甲冑の騎士のような老人は、落馬しそうにズリ落ちかけたが、なんとか馬の上に戻った。


「お主の母親——公爵夫人が、檻に入れられた」

「ほう?」

「飼っていた子ブタも一緒に」

「……」


 紫庵は片方の眉を上げただけで、どちらかというと呆れているような顔だった。


「またメアリー・アン——赤のクイーンがウザがるようなことをやらかしたの?」


「立て込んでいる時に、なんだか騒がしくされておったようでな。女王陛下は夫人のことは以前から気に入らないが、お主のことは特別に扱っておられるから罰せられることはない、安心せよ、という話じゃ」


「わかってるよ。特別扱いっていうか、メアリー・アンは知ってるんだよ、僕を檻になんか入れても無駄だってね」


 紫庵は肩をすくめて、ウィンクしてみせた。


「それで? 僕の母が檻に入れられたのがそんなに一大事? 白の国の女王はまだ赤ん坊のままなの? 白のビショップは?」


 鏡の国に混乱を招いた張本人の行方は、誰もが知りたがっていた。

 ナイトは、ため息交じりに首を横に振った。


「国境付近で目撃はされておったが、赤のビショップが追いかけた時にはもういなかったという」


「白の国は大丈夫なの?」


「白の国の広場ではライオンとユニコーンが巨大化し、王冠をかけて争っておる。まあ、これもいつものことじゃが、広場に連れて来られた白の王は、王冠を取られるわけにはいかないとビクビクされておられる」


「おいおい、白の城は王様不在で大丈夫なの!?」


「皆、ライオンとユニコーンの戦いに気を取られておるそうじゃ」


「そういう問題!?」


 馬から落ちかけた老騎士は、体勢を立て直してから続けた。


「そんなことよりも、ここからが重要な話じゃ。赤の女王とアズサがまだ戻らないのじゃ。二人とも迷いの森に行ったきり」


 初めて紫庵の表情が強張った。


「まさか……! あの二人があそこで迷うなんて……有り得ない!」


 老騎士も頷いた。


「明らかに何かが潜んでいたのじゃろう。とりあえず、グリフォンを助けに向かわせておる」


 紫庵は首を捻った。


「念のため向かわせるのはいいとして、もし、ビショップが罠を張っていたんだとしたら、それじゃ間に合わない。グルジアは?」


「ワシらも探してるんだが、時計ウサギのヤツ、数日前から姿が見えないんじゃ」


 ためらってから、紫庵は独り言を言った。


「リゼに伝えとこう」

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