第30話 リハビリなの?

「久しぶりー!」


 東京、有楽町駅付近のイタリアン・バルの個室で、久々に会った日和と若菜となぎはグラスビールで乾杯した。


「なぎちゃんのところの喫茶店、夜も営業するようになっちゃったから大変だよね」


「今日は抜けて来て大丈夫だった?」


「うん。夜はわたしはあまりお店には出ないから。奥の部屋で昼間の分の伝票チェックしてて。従業員が『なんでもない日のお祝い』とか変なサービスをしていないかとか、ちゃんと予算内で買い出し行ったか、翌日のティーフードも予算内で済むメニューかどうか確認するとか……まあ、主に、みーくんの行動チェックなんだけど」


 後の方は、ボソボソと二人には聞こえないように言った。


「へぇ〜、お店には出なくても何かと大変なんだね」


 日和が生ハムのサラダを三人分取り分けながら、なぎの話に耳を傾けていた。

 若菜はメインの肉料理が来る前に早々とビールを空け、赤ワインに切り替えている。


「昼も夜も仕事だと、出会いもなくて大変だね」

「違うよ、日和ちゃん。なぎちゃんは外で出会えなくたっていいのよ。従業員がイケメン揃いなんだから!」

「あ、そうだったね!」


 なぎは飲んでいたビールのグラスをテーブルに置くと、二人がニマニマと自分を見ていたことに気が付いた。


「その後どうなの? あのイケメンくんたちとは何か進展はないの?」


 若菜がわくわくとした顔で尋ねると、なぎは少し考えてから冷静な表情で口を開いた。


「……まあ、向こうからしたら、わたしのことは『お世話になった人の孫』程度なんだけど、だから、完璧わたしの片想いなんだけど……」


 二人は、なぎの正面で、テーブルに身を乗り出した。


「えー、なぎちゃんが!?」

「イケメンなだけじゃときめかないなぎちゃんが、すごい進歩じゃない!」

「どの人なの? 確か皆ハーフだったよね?」


 彼らのことは、全員ハーフということにしている。

 なぎは誰とは明かさずに、差し障りのない部分だけ、二人の質問に答えていった。


「ふうん……、時間にきっちりしてる人なんだね」

「え、デート中でも、三時には戻ってお茶の時間だなんて、そんな人、せわしなくない?」

「九時には、子守りで絵本を読み聞かせて寝かしつけるって……」

「母性的なウサギ系男子……?」


 初めはウキウキと話に興じていた日和も若菜も、次第に表情を曇らせていく。


「いくらイケメンでも、それはちょっと……」

「私も、ちょっと耐えられないかも」


 理解不能なのが普通だろうとは、なぎにも予測は付いていたが、案の定な反応だった。


「それでも、わたしは構わないの。イケメンてことはどうでも良くて、ちょっとくらい変なところがあっても……例えばだけど、ウサギとか猫とか犬とかの動物になっちゃったとしても、わたしはその人のことを好きでいられると思うの」


 真面目にそんなことを言うなぎを、二人は顔を見合わせてから改めて見つめる。


「それって、擬人化のラノベか何かの話? てっきり紅茶館の誰かのことかと思ったら」

「なぎちゃん、ラノベなんて読むの? ラノベにハマるなんて。もっと現実主義だと思ってたけど」

「いくらイケメンでも、もし動物になっちゃったりなんて、そんなことになるんだったら私はイヤだわ」

「仮に本当だとしたら、もし結婚して、生まれた子供がウサギだったらどうするの?」

「やっだぁ! 若菜、それウケる〜!」


 若菜の冗談に、日和が吹き出した。

 理解不能は仕方ないとしても、その言葉は、なぎには突き刺さり、笑うどころか一気に悲しくなった。


「そんなんじゃなくて……付き合ったら順を追って結婚してとか、そんな先の決められた付き合いじゃなくて、ただその人のことを好きでいたらダメなの?」


 弱々しい声になり、俯くなぎに、二人は呆れたように言った。


「そんな子供みたいなこと……」

「なぎちゃん、私たちもう二一だよ? 学生じゃなくて社会人なんだよ?」

「そうだよ。そんなメルヘンチックなことばかり言ってられないよ?」

「男性不信を直すためのリハビリならいいけど」

「でも、そんなんじゃ、結婚出来るくらいになるまで程遠いよ」


 リハビリ……そんな。リゼさんを練習台みたいにするなんて……。


 ずっと一人は確かに嫌だ。

 結婚はいずれするものだと、家族を持つものだとは思っていた。

 それは、まだまだ遠い未来の話のように、今のなぎには思える。


 種族の違うリゼは、ずっと一人なのだろうか?

 いや、リゼには父親がいたと言っていた。時の番人は、番人の種族同士が結婚するものなのだろう。


 というと、相手はウサギ女子……!? ええーっ!


 なぎの頭の中が混乱している間にも、若菜の説教が続いた。


「普通に結婚して家族を持ちたいなら、そんなよくわかんないラノベヒーローなんかに入れ込んでないで、現実を見て探した方がいいんじゃない? 運命の人なんて、なかなかすぐに見つかるもんじゃないんだよ?」


「それに、ハーフも何かと大変でしょ? ご両親はこっちに住んでないなら、いずれ故郷に帰るんじゃないの? ああ、でも、外国って結婚しても親と同居とかはしないから、その心配はいらないか!」


「あ、ねぇねぇ、あの人は? 近所の喫茶店の店長、超イケメンじゃない?」


 なぎは小さく溜息をついた。


「あの人のお店は、うちのライバル店よ」


「だったら、ほら、あの人は? 少し前になんだか親切なバーテンダーさんも来てたんでしょう? なぎちゃんの話聞いてると、その人みたいに大人で優しくて包容力のありそうな、そういう人ならいいかもね!」


「ああ、あの人は、おばあちゃんにお世話になったからって親切にしてくれただけで。自分のプライベートは明かさないけど、大人だし、絶対彼女とかいそう。わたしには尊過ぎてとてもそんなこと考えられないし、だいいち相手にされないよ」


 少し笑って、なぎは顔の前で手を振った。


「なぁ〜んだ、残念!」

「そのうち、うちの彼の友達紹介してあげるよ」

「えっ、いいよ、いいよ! わたしは今のままで充分幸せだから!」

「そんな……」


 日和が心配そうになぎを見てから、若菜を見る。

 若菜は眉間にしわを寄せ、真面目な口調になった。


「とにかく、なぎちゃん、今は忙しくて現実逃避したくなるのもかも知れないけど、辛い目に合ったからこそちゃんと幸せにならなくちゃ。あのセクハラ男のせいで恋愛の方の社会復帰が出来ないなんて、もったいないよ。あんなヤツのしたことになんか負けないで。幸せな家庭を築いて、あいつなんか見返してやりなよ」


「もちろん、若菜ちゃんが言ってるのは、そいつを見返すだけが目的じゃないよ。まだ辛かったとしても、なぎちゃんがいつか現実に向き合ってくれればいいんだよ。なるべく早く男性不信を克服してくれればいいなって、私も思ってるから」


 日和も、若菜に続いた。




 二人と別れると、帰りの電車の中では、なぎの心は分厚い雲で埋め尽くされた、光の差し込む隙間のない空のように暗く、どんよりとしていた。


 心配した二人が自分のためを思って言ったことだと頭では充分わかってはいても、モヤモヤした気持ちは収まらない。


 確かに、結婚とか家族とか言っちゃったら、不可能な相手かも知れないわよ。

 ほのぼのデートしてる時間も、無駄なのかも知れないわよ。

 普通は、社会人なら、未来の見られる人とゆっくりじっくり付き合っていくものよね。


 本当のことを打ち明けることが出来たとしても、おそらく共感してもらえることはないだろう。

 そんなさびしさを、二人と話したことで余計に味わうことになってしまった。


 それでも……。


 理解してもらえなくても、いいもん。

 誰にも理解してもらえなくても。応援してもらえなくても。


 俯き、目尻をそっと拭う。


 気持ちを切り替えるようにスマートフォンを開け、これから帰ることを簡単にメールで告げた。


 携帯電話を持っていないリゼから、店のパソコンでメールの返信が届いた。


『元町・中華街駅まで迎えに行きますよ』


 やさしい!!


 感動して、なぎはスマートフォンを握りしめた。


 現実離れしてる相手だってわかってはいるけど、誰かに迷惑かけてるわけでもないし、なにより、会いたいんだからしょうがないじゃない。


 そう思うと、モヤモヤも霧が晴れるように引いていく。


 リゼは出口ではなく、改札口まで迎えに来て手を振っていた。

 弾むような足取りで改札を抜けたなぎは、嬉しさに顔をほころばせていた。


「アメリカ山公園口じゃなくて、元町口から出ませんか? その方が、少しですけど一緒に歩ける距離が長くなるから」


 リゼは立ち止まり、不思議そうに見つめた。


「……そんな風に思うものなんですね。疲れてたら早く帰りたいのが普通でしょうに」


「リゼさんとだからです。少しでも長く一緒にいたくて」


 言ってしまってから、なぎは弁解するようにリゼを見上げた。


「あ、あの、わたし、なんかペラペラと……! あんまりこんなこと言っても引きますよね。こういうことには慣れてなくて加減がわからないもので……わたしの一方的な片想いなのに、ごめんなさい」


 鈍感なリゼには、つい説明過多になってしまう。


 これまで、男の人に自分からこんなこと言ったことなんかないのに、なんだかそう言いたくなっちゃって……。

 舞い上がってあんまりオセオセだと、リゼさんが困っちゃうじゃないの!


 なぎは、さらに自己嫌悪に陥った。


「なぎさん」

「は、はい!」


 ビクッと肩を竦め、なぎはリゼを見上げた。

 リゼは真面目な表情だが、どことなく紅茶色のあかい瞳が輝いている。


「ハグしていいですか?」

「はいっ!?」


 びっくりしたなぎを見つめ、リゼが微笑んだ。


「ぼくとほんの少しの間でも一緒にいたいと思ってくれたんだ、って思ったら、なんかきゅんて来ちゃってハグしたくなったんです。でも、なぎさんは『悪臭豚』に嫌な思いをさせられてきたから男に触れられるのは嫌だと思うので、ちゃんと断ってからにしようと思って」


 動揺するあまり、なぎは口をパクパクさせた。


「ななな何をそんなことを改まって……! だって、前にもハグしてくれたことあったでしょう?」


「あの時は、ぼくのために泣いてくれてたから感謝して思わず……。でも、今は、なんだかちょっと違う気持ちなんです。嬉しくて、なぎさんのことも一人の女性として可愛く思えて……だから……」


 なぎの顔と耳までが紅潮してしていき、目は焦点が定まらず、ぐるぐると回る。


「……だっ、だからって、そんなこと言われても……答えに困るじゃないですか」


 後半は、ごにょごにょと声が小さくなる。


「すみません」


「ああ、謝らないでください。わたしが気を遣わせてしまったのが悪いんです。だから、その……」


 戸惑っていたなぎは、深呼吸してから、震える手を差し出した。


「……手、つないでもらうだけで、いいですか?」


 リゼは、なぎの細い手を見下ろした。


「構いませんけど……、そんなことでいいんですか?」


「いいんです。今、ハグなんかしてもらっちゃったら、心臓がどうにかなっちゃいそうで」


「えっ!? 心臓がどうかしたんですか!? 病院に行かないと!」


 リゼが心配して、なぎの顔をのぞき込む。


「いえ、違うんです! ものの例えで。緊張してしまうってことです」

「そうか……、じゃあ、ハグはしない方がいいですね」

「そうじゃなくて! あ……だから、そういう意味じゃなくて!」


 なぎは顔を赤らめたまま、なんとか言い続けた。


「改めて聞かれると照れちゃうから、いちいち聞かなくても、リゼさんなら……いいんです。だから、今度で……。今度、そんな気持ちにお互いなれたら、……その時は……よろしくお願いします」


 終わりの方は、消え入りそうな声になっていた。


 目を丸くして話を聞いていたリゼは、すっかり小さくなったなぎを見つめた。


「わかりました。……ありがとう」


 そして、なぎの手を軽く握り、隣に並ぶと、にこやかに言った。


「帰りましょうか」

「は、はい」


 自分の手を握るリゼを頼もしそうに見つめると、なぎははにかんだ笑顔で歩き出した。


 若菜たちには「子供じゃないんだから」とまた言われそうだけど……。


 なぎは、リゼを見上げてから、つながれた手に視線を落とした。


「素直に嬉しいんだから、仕方ないじゃない?」


 思わず、声に出してそう呟いていた。

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