* 秋の紅茶 *

第6章 秋の紅茶

第29話 メープルとチェス

 秋の日の平日、紅茶館定休日に、なぎはリゼと近所を散歩していた。


 リゼは特別な装いではないが、なぎの方は少しデートを意識してか、買ったばかりのロングスカートにブラウスを着ていて、ハーフアップにした髪にも買ったばかりのバレッタをしている。


 元町から石川町駅を横目に通り過ぎ、急坂をゆっくり登る。


 同じ景色なのに、二人で見ると違うみたいに見えるのね。

 隣にいるリゼを見上げ、なぎはそう思い、あたたかい気持ちになっていた。


 外交官の家の中は、魔女や骸骨、死神、お化けといったハロウィンの飾り付けがされていて、平日にも関わらず観光客が多く訪れている。


 なぎは履き慣れないパンプスで足が痛くなっていた。


「大丈夫ですか?」


 気付いたリゼが、心配そうに背をかがめる。


「坂道なんですから、もっと歩きやすいスニーカーとか、せめてローファーとか楽な靴にすれば良かったのに」


「だって、……綺麗な格好で出かけたかったんです。せっかくリゼさんと二人で出かけるんですから」


 普段、こんなことは男性にはとても言える気がしないが、リゼが優しいから安心して正直な気持ちを言えてしまうのかも知れないと、なぎは思った。


「どんな格好をしてても、なぎさんはかわいいから大丈夫ですよ」


 リゼが微笑んだ。

 外国人から見れば日本人は幼く見える故にそう言ったのだろう、と頭ではわかっていながらも、リゼを見つめるなぎの頬がじわじわと赤らむ。


「え、ダメです。わたしが、オシャレな服を着ているのを見てもらいたいんですから」


「服を見て欲しいんですか?」


「そうじゃなくて……」


 なぎは、目を丸くして尋ねたリゼを見て吹き出し、笑い出した。


「わかりました、今度からは歩きやすい靴にします」


「それがいいですよ。無理することはありませんから」


 リゼはなぎに歩調を合わせた。

 それだけでも、なぎにとっては感動ものだ。


 外交官の家を過ぎれば、坂は緩やかでまだ歩きやすい。


 ベーリックホールで足を留める。

 サロンではコンサートの予定はなかったが、思い付きで入ってみることにした。


 スリッパに履き替えて、レトロな西洋館の館内を見学するようになっている。ここにも観光客はぞろぞろとやってきていた。

 二階の階段手前は、紅茶館のような黒と白のチェック柄のタイルが敷き詰められている。つや消しのそのタイルは、スリッパで歩くと時々滑りそうになる。


 リゼが手を差し伸べると、はにかみながらも、なぎはそこに手を乗せた。


 魔女のシルエットが飾られた窓のある、絨毯の敷かれた階段を上る。昔の作りのままであり、階段の奥行きも幅も狭いが、二階の廊下は広い。車椅子の客も悠々と通ることが出来るほどだ。


 ここでもハロウィン仕様である。

 棺桶のそばに座り込む死神の人形を指差し、「こわ〜い!」となぎが言うと、リゼも笑う。


 子供部屋風の部屋に入ると、ハロウィンの飾り付けの棚に、不思議の国のアリスの白ウサギの置物を見つけた。


「リゼさんみたい」

「へー、ぼくはこんな感じなんですか」


 物珍しそうに観察するリゼに、クスクス笑った。


「このウサギよりは、リゼさんの方がずっとずっと優しいですけど」

「そうなんですか?」


 ホールを見学し終わると、喫茶店で二人はお茶を飲んで休憩した。


「アズサがいた時にも、こんな風にじっくりこの辺りを散歩したことなんてなかったので楽しかったです」


「わたしも」


 二人ともオレンジティーを頼んだ。


「わぁ、思ったよりもオレンジの香りがして美味しい!」

「これにクローブを刺しても美味しいですよ」


 開いた窓からは、ちょうど良い風が入ってくる。

 オレンジティーの爽やかな香りと味が、さらに気分をリフレッシュさせた。


「もうすぐ、ありすちゃんのお茶の時間ですね。帰りましょうか?」


 腕時計を見て、なぎが顔を上げた。


「ああ、今日は、紫庵が淹れてくれるそうなので大丈夫ですよ」

「あら珍しい。紫庵たら、気を利かせてくれているのかしら?」

「そうですね。普段なら時間に縛られるのはイヤだからと断るんですが」

「博士みたいなこと言うのね」

「はい、まったく」


 笑うリゼを見るとなぎも嬉しくなり、自然と笑顔になることが増えているように自分でも気が付いた。


      *


 ありすに時間通りにお茶を出してしばらくしてから、紫庵は、開店前のユウのバーに顔を出していた。


「ユウさんとこのバー、遠いよ〜。歩いたらとんでもないね!」


 赤レンガ倉庫近くの建物の地下にあるバーカウンターで、紫庵がへたっていた。


「とりあえず、何か作ろうか?」

「ああ、ありがとう。ただし、ワインだけはダメだから。飲むと女の人ハグしてるみたいなんだけどさ、覚えがなくてさ」


「それは、トラブルのもとだね」

「そ。後で必ず怒られるんだよ。なぎちゃんにも」


 笑ってから、紫庵は綻んだ顔のままで言った。


「なぎちゃんさ、最初はお固いと思ったけど、リゼにはだんだん柔らかい表情になっていって、今ではちょっと可愛くなってきてさ。惜しいことしたかなぁ、なんて」


 照れ隠しに笑うのを、ユウはにこにこと見ている。


「それとさ、秋の紅茶にこんなのはどうかな? 『メープル・ミルクティー』。メープルシロップとミルクを入れるホットティーだよ。簡単だから、もっと早くメニューに入れれば良かったよ」


「いいね! メープルシロップは、上白糖や蜂蜜よりも炭水化物は少なくてカロリーも抑えられる上に、骨を作るのに必要なカルシウム、マグネシウム、マンガンもあるし、余分な塩分を体外に出すカリウムもあって、活性酸素から身体を守る抗酸化物質も含んでるんだって」


 紫庵は、きょとんとしてまばたきをした。


「栄養学的なことはわからないけど、要するに身体にもいいってことなんだね」

「そうそう! 女性ウケもするよ」

「へー、さすが、女性のことはなんでもよく知ってるんだね!」

「あの、誤解を招くから、その言い方はやめてくれる?」


 紫庵は構わず続ける。


「他にも、この間はりんごのカクテルを教えてもらったから、お酒抜きでりんごを浮かべるアップルティーとかね。りんごの皮を水と一緒に沸騰させたお湯でお茶を淹れるんだよ。りんごの実を軽く指で潰して茶葉と一緒にして」


「美味しそうだね!」

「でしょ?」


 ユウはカウンターにジントニックを置くとテーブル席に移動し、チェス盤をおいた。

 透明なガラスのような見た目の駒と、磨りガラスのようにつや消しの駒を盤の両端に並べる。


「毎回カクテル一杯分でチェスを教えてなんて。ありすにボロ負けしたからってさ、ユウさん、温和な見た目に似合わず負けず嫌いなんだね。それとも、ありすにいいとこ見せたいロリなの?」


 紫庵がからかうと、ユウは笑った。


「負けず嫌いじゃなきゃ音楽も続かないし、バーテンダーにもならないよ」


「音楽やってたの?」


「あれ、言わなかったっけ? まあ、とにかく教えてくれる? チェスが将棋と似てるっていうのは知ってるけど、チェスだけのルールもあるでしょ? 将棋は小・中学生の頃にちょっと遊んだくらいで、友達の中では強かったんだけどそれ以来やってないから」


「ありすはああ見えてチェスの達人なんだぜ? ちょっと僕が教えたくらいじゃ勝てないよ。しかも、あの子、手加減しないし」


「だから面白いんだよ」


 そんな会話をしながら、さっさと駒を盤の上に並べていく。


「そっか、将棋でいう『歩』が『ポーン』で、最初だけ二マスまで進めるけどそのあとは一歩ずつで、敵を取る時は斜め前のマスだけ。目の前に来られたら動けなくなるってことだね」


 透明なユウの駒の行く手を、紫庵の不透明なポーンが塞ぐ。


「こうなったら、どっちも斜め前に取れる駒がないと進めない。他にもポーンの使い方はあるけど、今日は全体的な基本ルールだけだから、また今度ね」


 と言って、紫庵はジントニックをゴクゴクと飲んだ。ユウがナイトの駒を取り出す。


「『桂馬』と動きが似てる『ナイト』は前後左右のどれか二マス進んだ隣に移動出来る。相手の駒を飛び越えて行けるところは同じだけど、後ろにも進めるところは『桂馬』とは違うんだね」


「『ナイト』は初心者には結構厄介だよ」


 紫庵がナイトの動ける可能な範囲に他の駒を置いて見せると、「こんなに……」とユウは唸った。


「これを把握して自分が使いこなせるようになるには、かなり慣れが必要だね」


「使いこなせると面白いけどね」


「縦か横に進める『飛車』が『ルーク』。斜めに進める『角行』が『ビショップ』。両方を兼ね備えた縦横斜めのどの方向にも突き進める『クイーン』は最強だね。かなり厄介だよね。『クイーン』に太刀打ちするとしたら、『ナイト』をうまく使うのがいいのかな」


「ビショップも二人ずついるからね。白いマスだけ進めるのと黒いマスだけ進めるのと。援護射撃に使えるかもよ」


「そうなんだよ! この間、ありすちゃんにはビショップとナイトでほとんど負かされたようなものだったんだよ!」


「あっははは! 確かに初心者には厄介だからね! ありすが『クイーン』を使うまでもなかったか!」


 抱腹絶倒する紫庵を前にしてもユウは構わず、盤の上でビショップとナイトの動きを確認していた。


「おっと! もうそろそろバイトくんたちが来る時間だった! ありがとう、紫庵くん。帰りは馬車道の駅からみなとみらい線を使った方が速い……」


 ユウが顔を上げると、そこに座っているものとばかり思っていた紫庵の姿はなかった。

 立ち上がり、店内を見回しても、ドアを開け、階段を登りて地上に出て見ても、紫庵らしき姿は見当たらない。


 彼が帰ったことにも気が付かずに、そんなに自分はチェスに熱中していたんだろうかとユウは首を傾げ、店の中に戻っていった。




【参考記事】

「メープルシロップの栄養価」http://maplefromcanada.jp/wellness/


【オレンジティー】2人分

茶葉(香りに癖がないもの。キャンディ、ニルギリ、ディンブラなど)

(A)オレンジスライス2枚を厚さ2〜3mmを1/4に切る。

オレンジスライス2枚厚さ3〜4mm(飾り用)

オレンジピール(皮を1cm角に切り取る)

(あればクローブ10個)

角砂糖2個


①ポットに茶葉と(A)を入れ、熱湯を注いで2分蒸らす。

②飾り用オレンジスライス(1枚に付きクローブを5個刺してもいい)をカップに入れ、角砂糖1つ乗せる。

③紅茶を静かに注ぎ、オレンジピール(皮を折りたたんで香りを飛ばし付ける)をする。



【アップルティー】2人分

茶葉(上記と同じ)

りんごの皮1/2個分

りんご銀杏切り10枚(飾り用に2個取っておく)

グラニュー糖2杯分

※りんごは、香りの強い王林がオススメ。


①りんごの皮と水を手鍋に入れ、沸騰させる。

②ポットに指で軽く潰したりんご(銀杏切り)と茶葉を入れ、①の湯を注ぎ、2分半蒸らす。

③カップに②を注ぎ、グラニュー糖を入れて混ぜ、飾り用のりんごを浮かべる。

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