第28話 一歩近付いて

 なぎとリゼとでキリキリと働き、午後三時になると、ユウは休憩室でありすに紅茶を淹れた。


 ありすが少し笑顔を見せて紅茶を飲む姿を遠くから見ていたリゼは、その後、客がいなくなった合間に、ぽつんと言った。


「ありすにお茶を淹れるのは、ぼくじゃなくても良さそうですね」


 なぎは振り返り、どことなくさびしそうな顔になっているリゼを見た。


「あの、ユウさんが手伝ってくれるのは三日間の約束ですから、明日までです。紫庵とみーくんが元の姿に戻るまでは人手が足りないと思って頼みましたけど、ユウさんもご自分のお店があるから、今だけ無理に時間作って来てくれてるんです。それも今回限りにして、来月以降はまた何か考えないと」


「すみません、ご不便をおかけして」


「いいえ、なんとか毎月その時だけ……三日月の時ってはっきりしてるなら、うまく定休日をその日に合わせるとかして乗り切ればいいだけですから」


 なぎは、リゼがじっと自分を見つめていることに気が付き、彼の言葉を待った。


「……なぎさん、ありがとう。ぼく、ここにいていいんですね……」


 リゼの一族『時の番人』にはもう故郷はないと言っていたことが、なぎの脳裏に浮かんだ。


 遣る瀬無い思いが沸き起こり、きゅうっと胸が締め付けられる。


「いていいに決まってるじゃないですか。リゼさん、いてください。リゼさんがいてくれるから、わたし、頑張って来られたと思ってます」


「でも、毎月ウサギになってしまうんですよ? そんな体質の者よりも、ユウさんや湊さんのような『この世界』の人なら、いつでもあなたを支えられるし……」


 なぎは、一歩、チェス盤のような床を踏みしめ、弱々しい表情のリゼをさらに見上げた。


「わたしは、リゼさんにそばにいてもらいたいんです!」


 面食らっているのはリゼだけではなかった。

 なぎ自身も自分がそんなことを言い出したことに驚き、困惑していたが、止められなかった。


「だから、だから……! そんな、どこかへ行っちゃいそうなことは……言わないで……」


 たかぶった気持ちを抑え切れず、なぎの瞳からポロポロと涙がこぼれていく。それを手で拭い続けていた。


 ふわりと、リゼの腕が、なぎを抱えた。


「あなたが泣くと、ぼくも辛くなります。アズサにも、お孫さんを悲しませて申し訳ない気持ちになります」


 おばあちゃんへの義理……。


 それでもいい。


 なぎはリゼの胸に顔をうずめかけてから、ハッと離れた。


 休憩室から、ありすとユウ、そして、猫とウサギも顔を出して見ていることに気が付いたのだった。


「あ、あのっ……、これは、その……!」


 真っ赤になったなぎが慌てながら、猫とウサギに目を留めた。


「あっ! あなたたち、なんで休憩室にいるの? お店に毛を運んじゃうからダメだって言ってるでしょう?」


 逃げるように、猫とウサギはサッと奥に引っ込んだ。


「ああ、どうぞこちらにはお構いなく」


 ユウが微笑ましく笑って手を振ると、ありすはリゼとなぎに微笑んだように見え、二人は何事もなかったように休憩室のドアを閉めた。


 リゼは立ち尽くし、なぎは恥ずかしさからリゼを見られそうになく、離れた客席のテーブルを拭き始めた。




 ユウは帰り、午後五時を過ぎた紅茶館は、バーの時間帯となる。

 窓の外はまだ明るいが、空の下の方は夕焼け色が顔を出していた。


 白ワインにダージリン・ファーストフラッシュの茶葉を浸したティーワインとチーズで話を弾ませていた女性客二人が、ブランデーの入ったホットのココナッツミルクティーと、ノンアルコールで昼間のメニューにもある紅茶葉を使ったマンゴースムージーを頼んだ。

 沖縄の『ハナちゃん』を思い浮かべ、弥月が作ったものだった。


 別のテーブルの三人連れの女性客には、バニラアイスの乗ったシナモンスティックが添えられたティーフロートを、リゼが運んだ。

 茶葉と砕いたシナモンで抽出したものを氷の上から注ぎ、牛乳を足してかき混ぜ、ブランデーを振りかけてある。


「秋とか冬の寒い時期にもおすすめですよ」


 と言うリゼの言葉に、三人の女性客は「じゃあ、冬も来ようかしら」などと賑やかに話していた。


「今日もなんとか乗り切りましたね」

「はい」


 洋館で遅い夕食を作りながら、なぎの言葉にリゼは笑顔で答えた。


 ダイニングテーブルで、ありすとなぎ、アッサム博士が腰かけて待ち、最後にリゼが座ってから全員で食べていると、リゼの膝の上にマーブル模様の猫が座り、肩の上を落ちないように渡り歩いていた茶色のウサギは、そのままタオルをひっかけたように前足をだらんと伸ばした。


「紫庵もみーくんも、リゼさんにベッタリなのね。わ〜、見てるだけできゅんきゅんしちゃう!」


 なぎが頬を染めてありすを見ると、ありすが淡々と言った。


「みーもシアンも、リゼには懐く。でも、元の姿に戻った時、二人とも『そんなの知らない』って言う」


「じゃあ、今のうちに証拠写真撮っておこう!」


 なぎがスマートフォンで撮影し、ありすにも写真を見せる。


「ウサギ男子に乗っかる猫とウサギ。かわいい〜!」


 冷静なありすとは対照的に、なぎだけが盛り上がっていた。




「それでは、行きましょうか?」


 湊海音が、世界の紅茶展になぎと行く日の午前中、紅茶館に迎えに来た。

 なぎは、ハーフアップにした髪にバレッタを留め、「はい」と返事をした後に続けた。


「あの、うちのティーブレンダーも一緒に行っていいですか? 世界の茶葉のことに、すっごく詳しいんです」

「え?」

「彼が茶葉をブレンドしてくれると、ホントに美味しいんですよ」


 なぎの後ろから顔をのぞかせたのは、ぼうぼうの白髪に狂気じみた瞳、緑色のシルクハットを被った、一見して奇妙な男だった。


 引きつった海音は「ま、まあいいですけど……」と言った後、取りつくろおうとして間に合わなかったような笑顔になった。


 元通りの人型の姿に戻り、コックコートとタイをした紫庵と弥月が、手を振って見送る。


『リゼさん以外の男の人と、二人っきりでは出かけたくありませんから』


 昨夜、自分でリゼに言ったセリフを思い出すと恥ずかしくなる。


 なぎがチラッと振り返ると、コックコート姿のリゼが、にっこり笑って小さく手を振った。

 なぎも手を振り返し、ほっこりとした笑顔で、ローズガーデンの中を抜けていく。


『正直、ぼくはよくわからないんです。クイーンを好きなのだと思っていたのに紫庵には違うって言われるし。実際、彼女が結婚してしまった時は喪失感のようなものもあり、淋しく思っていたんですが、それも彼に言わせると「平穏な生活になって何か物足りない気になっていただけ」だと。最近は、ありすの世話を焼くのが楽しくて生き甲斐みたいになっていると言うと、ユウさんには「保護本能とか家族愛のようなものだよ。僕の親戚の子に対する感覚と同じ感じの」って言われました』


 リゼと話をした時のことを、そのまま思い浮かべる。


『なぎさんのことは、一生懸命でかわいくて、やさしい人だと思っています。ただ、ぼくは、自分の居場所のない種族なので、誰かに憧れるということはあっても、もっと踏み込んで好きになったり、ましてや恋人が欲しいだとか、自分ではそんなことは考えられなかったのです。だから、なぎさんには迷惑をかけてしまいそうで……』


 考え考え語るリゼを見つめながら、なぎは黙って聞いていた。


『居場所がなく、厄介者扱いされていたぼくを赤の国の民にしてくれたクイーンには感謝しています。そばにいてもらいたいと言ってくれたなぎさんにも、感謝しています。ここにいていいと言ってもらえただけで、ぼくはしあわせを感じられるんです。……今は、そうとしか言いようがないんです』


 淋し気な色合いを映す瞳で、リゼがなぎを見つめる。

 それを見つめ返すうちに、なぎは自然に語っていた。


『わたしもどうしたらいいのかよくわからなくて、こんなこと言うのは初めてなんですけれども、リゼさんのことは……好きなんだと思います。男の人として好きなような気もするけど、人としても好きだと思います。わたしも、はっきりとは説明出来ないんですが、今は、この想いを大事にしてみたいと思いました。だから、付き合うとかそういうんじゃなくて、リゼさんは普通にしてくれていればいいんです。わたしも普通に、自分の心に従ってみたいと思います』


 何を言ってしまったんだか。

 思い出すと恥ずかしくなる一方だったが、そのあとのリゼの穏やかな笑顔が、なぎには印象深かった。


『アズサの大事なお孫さんだから、ぼくにとっても、なぎさんは大切な人です。大切な人を困らせるようなことは絶対にしませんから』


 彼にとっては、『おばあちゃんあってのわたし』なのだろう。

 だとしても、リゼなりに自分の想いを受け入れてくれているのが、彼の表情からも読み取れた。


 なぎはバスの中で景色を眺めながら、リゼとの会話を何度も思い出し、じんわりと心が温まる想いに浸っていた。


 会場に着くと、博士が、無言でじっくりと展示物に見入っていると思えば饒舌に語り出し、それになぎも関心を持って聞き入っているうちに、海音の姿が見えなくなった。


 そのうち、スマートフォンにメッセージが届いた。

 腹痛のため、先に帰る、と。


 なぎは「お大事に。今日はありがとうございました」と返信すると、博士の選んだ茶葉をいくつか買い、リゼたちの待つ紅茶館に帰ったのだった。




【ココナッツミルクティ】(2杯分)


茶葉 6g(アッサム、ルフナ、キャンディなどミルクティー向きのもの)

熱湯 適量

ココナッツ(フレーク) ティースプーン2杯

グラニュー糖 ティースプーン2杯

牛乳 340ml

ブランデー 適量


①耐熱容器に茶葉を入れ、熱湯をかけて湯がいておく。

②手鍋にグラニュー糖、ココナッツを入れ、茶色くなるまで炒めたら、牛乳を加え、沸騰直前で火を止める。

③②に①を入れ、蓋をして5分程度蒸らす。

④カップに注ぎ、好みでブランデーを垂らす。



【マンゴースムージー】(2杯分)


茶葉 6g(キャンディ、ニルギリ、キームン)

熱湯 170ml

A……マンゴー2片、コンデンスミルク40ml、牛乳80ml

ローズマリー 適量


①ポットに茶葉と熱湯を入れ、2分半蒸らしてホットティーを作る。

②①を少し冷まし、Aと合わせてミキサーにかける。

③よく混ざったら冷蔵庫で冷やし、グラスに注ぐ。

④ローズマリーを飾る。



【ティーフロート】(2杯分)


茶葉 6g(ルフナ、フレバードティーなど)

熱湯 170ml

牛乳 60ml

シナモンスティック 3本(うち2本は飾り用)

バニラアイス 適量

ブランデー 適量

ガムシロップ(好みで)


①ポットに茶葉、砕いたシナモン、熱湯を入れ、10分蒸らす。(3〜4倍の濃さのホットティー)

②氷をグラス一杯に入れ、4分目まで①を注ぐ。

③②の7分目まで牛乳を注ぎ、よく混ぜる。

④③にバニラアイスを乗せ、牛乳を注いで混ぜ、ブランデーを振りかけ、シナモンを飾る。

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