* 春の紅茶 *

第2章 春の紅茶

第7話 桜と苺の紅茶

 港の見える丘公園には、JR石川町駅から急坂や緩やかな上り下りの道を通り、山手の西洋館をめぐり、外人墓地を訪れ、ようやくたどり着く。

 途中に喫茶店などは多々ある。


 つまり、なぎの祖母が経営していた『港の見える紅茶館』は、そのコースでは最終目的地にあった。


 180cmを越える長身の紫庵とリゼが年配層に声をかけるも、「ごめんなさい、もうお茶してきてしまったのよ~」と断られ、来客数は「0」に終わった。


「開店までバタバタしてたから、SNSで広告っていうの思いついたの遅かったし」


 なぎががっかりした溜め息をつき、テーブルにうつぶせた。


「あの向かいの店にはちゃっかり客が入っていってたよ。まったく目障りな」


 紫庵が尖らせた目で恨めしそうに、窓から『港の見える丘ティールーム』を見つめる。


 客はもう来ないと見込み、早めに店を閉め、なぎは、ありすとリゼ、弥月、紫庵を連れて、ティールームの閉店時間に合わせてあいさつに行った。


「ご挨拶が遅れてすみません」

「この間のお客様ですね。ご丁寧にありがとうございます」


「祖母の後を継いだ山根なぎと申します。この度、店名を『ありす紅茶館』に変えて再オープンすることになりました。こちらが店長のありすになります」


 まだ三〇歳前であろう店長の湊海音あまねは驚きながらも、なぎにもありすにもにこやかに頭を下げた。


 ゴシック・ロリータのツインテール二人組は、ありすをじろじろと見てからひとりずつを見回した。


「いやあ、でも、知りませんでした。老舗の紅茶館だということは存じてましたが、こんなにたくさんのイケメンとかわいいお嬢さんもお手伝いしていらしたとは」


 なぎには海音の言葉が引っかかった。


 紅茶館の存在は知っていても、ありすちゃんたちのことは見たことがなかったのかしら?

 彼らと金髪碧眼のクールな美少女は相当に目立つはずなのに、まるで存在を知らなかったような?


 こちら側からは彼らの住む洋館は見えないから、出入りするところも見かけなかったのかしら?


「とにかく、うちの店のすぐ手前にあるローズガーデン付近でのお客さんへの声かけでは、うちの従業員たちとも顔を合わせることもあるかも知れませんが、よろしくお願いします」


 なぎは、にこやかに牽制したつもりだった。

 少し考えてから、海音は「わかりました」と、にこっと笑った。


「ということだから、セイラ、アクア、二人とも気をつけろよ」


 ストレートの方のツインテール・セイラがちらっと紫庵を見るが、気に入らなそうな表情になるとツンと横を向いた。カールの方のアクアは、余裕の笑顔で弥月に手を振り、弥月も手を振り返していた。


 ひとまず、これで多少すっきりとした。

 SNSでも店のアカウントを作り、写真や宣伝文句を考え、流すことにした。




 翌日の午後、初めての客が来た。

 なぎの友人が二人。短大の時の同級生だ。


 接客にと歩き出した紫庵の足を止め、なぎはリゼを伴って二人の席に行く。


「早速来てくれてありがとう!」

「ううん。なぎちゃん、大変だったね」

「大丈夫?」


 日和ひより若菜わかなは春を感じさせるパステルカラーを取り入れた服装で、なぎの目も心も癒された。


 積もる話は店を閉めた夕方にするとして、リゼの発案した季節のメニューから二人は紅茶とミニパンケーキを頼んだ。


 パンケーキをありすが運び、「どうぞ」と無表情でテーブルに置くと、二人は「かわいい〜!」と声を上げた。


「でしょう? うちの店長なの」


 なぎがホクホクとした笑顔でありすの肩に手を乗せ、紹介する。


「なぎちゃんが店長じゃなかったの?」


「うん。わたしよりも前から紅茶館を手伝ってくれてたから、ありすちゃんの方が断然先輩なのよ」


 二人が感心しているところへ、リゼが紅茶を運んだ。


 日和の前には桜の花びらの浮かぶホットの「桜ティー」を、若菜には半分に切った苺を浮かべたストロベリー・ティーを置いた。


「苺の香りが良いね!」


 若菜が喜んだ。

 日和も、桜の花びらを眺めてから紅茶を啜った。




 閉店後になぎは二人と落ち合った。東京に住む二人は、なぎが到着するまで観光を楽しみ、夜はレストランで一緒に食事をすることになっていた。


 それぞれが違う会社に勤め、近況を報告し合う。

 仕事の話が終わると、二人はそれぞれの付き合う彼の話を始め、そうなると、なぎはいつも聞き役に徹するのだった。

「そういえば、なぎちゃんのお店の従業員て全員イケメンでびっくりしたよ!」


 若菜が言うと、日和も頷いた。


「そう? ハーフのイケメンて、なんだかあんまり馴染みがなくて……別世界の人みたい」


 実際にはハーフかどうかはわからないが、整い過ぎた外見と流暢りゅうちょうな日本語、紅茶の名前を名乗っていることから、なぎが彼らをハーフということにしていた。


 二人は顔を見合わせた。


「なぎちゃん、前から特にイケメン好きでもなかったもんね」


「……っていうか、そもそもイケメンがわからなかったよね?」


「そうそう、皆がイケメンだって言う人のことを『どこが?』って言ってたもんね」


 そうだった。自分は美的感覚が普通の人と違うのだろうか?


「さすがに、紅茶館の彼らのことはイケメンだってはっきりわかるけど、だからって別になんとも」


 なぎの言葉に、またしても二人は顔を見合わせた。


「ときめかないの?」


「え……、イケメンだからって、ときめかないとダメなの?」


「……普通は、ときめくんじゃないの?」


 首を傾げているなぎに、二人は、やれやれ、と肩をすくめた。


「なぎちゃんは、まだまだかわいいよね」


「ずっとそのままでいて欲しい気もするけど、もう二十一なんだしさ、せっかくかわいいんだから、もう少しオシャレするとか」


 二人には毎年そんなことを言われてきたように思う。


「ひどい会社辞めて、あんな素敵なローズガーデンの隣で、絶景スポットでオシャレなお店をやることになったんだから、これからは、もう少し楽しんでもいいんじゃない?」


 なぎは慌てて手を振った。


「わたしなんか日和ちゃんと若菜ちゃんみたいにかわいくないし、オシャレしても続かないと思うから」


 今はそれどころじゃない、というのが本音だが、あまりいっぱいいっぱいなところを見せたくないと思ってしまった。


 二人をみなとみらい線の元町・中華街駅まで見送ってから、なぎは、とぼとぼと紅茶館に戻った。


 以前から二人ほどオシャレに興味がないとしても、二人ほど、いや、普通の女子たちほど男性に興味が湧かない。


 自分には無縁だと思っていた。

 かわいい女子らしいリアクションもしないせいか、学生の時からコンパでも男子から今度会おうだとか声がかかったことはない。


 最新型腕時計をこれ見よがしに見せるような男子や、ヘラヘラと愛想笑いで自分と話しながら他の女子を見ている男子、他愛ない話だけで続かないこともあったりで、また会って話をしてみたいと思うような男子には、これまで会ったことがなかった。


 正直に言うと、日和と若菜の付き合う男たちのことも、なぎはあまり好きになれなかった。


 おかしいのは、自分の方だとわかっている。

 だから、会社のセクハラ醜男ブおとこなんかに同情された、いや、見下されたのだ。


 駅から、谷戸坂という、文字通りの急坂をゆっくりと登りながら、溜め息を吐く。あえて、その坂を登りたい心境だった。


 わかってるんだ。わたしって、つまらない女なんだって。


 ローズガーデンの先を曲がると、紅茶館に灯りがついていた。

 まだ彼らが残って、なにかやっているのだろうか?


 なぎが扉を開けると、リゼとありすがいた。


「お帰り」

「お帰りなさい」


 二人の声がそろう。

 ありすには相変わらず表情はなく、リゼは微笑んでいる。


「お友達とは、楽しんできましたか?」


「あ、ああ、うん、……まあね」


 テーブルでは、ありすがガラスの皿で苺を食べている。


「苺、いいわね。若菜ちゃんが飲んでたストロベリー・ティーも美味しそうだったし」


「なぎさんも作ってみますか? 簡単ですよ」


 リゼにそう言われて、少し興味が湧いた。

 なぎは調理場で手を洗った。


 リゼは、クセもない、香りも強くない、悪く言えば個性のないニルギリの茶葉をポットに入れ、洗った苺を半分に切る。


「この苺を指で潰して、入れてください」


「え、指で?」


「仕事でお出しする時はさすがに手袋をしますけど、ご自分で飲む時は、手を洗えば素手でも大丈夫ですよ」


 飛び散らないよう、ポットの中で潰す。

 子供の頃ですら、指で苺を握りつぶすなんて、したことがない。

 背徳的な行為のようにも思えるが、つぶすたびに、明るい赤い汁がポットの底に広がり、苺の香りが舞い上がる。


 思った以上に茶葉の上に乗ったつぶした苺の上から、リゼは、さらに背徳行為を重ねるように沸かした湯を注がせた。

 蓋をして、そのまま三分ほど待つ。


 白い茶器にそそがれた紅茶は、いつもよりも苺の色が加わった分、明るい赤みが加わり、香りをまき散らす。

 気分も華やいでくるようだ。


 グラニュー糖を入れてまぜてから、飾り用にとっておいた半分に切った苺を浮かべる。


「美味しい……!」


 思わず笑顔になってしまう。


「わたし、紅茶を飲む時は大抵無糖だから、砂糖が入ると甘くなっちゃうかと思ったけど、美味しいのね!」


 リゼが笑った。


「砂糖を入れると紅茶の色につやが出て、えぐみや渋味も抑えられます。ストレート・ティーに苺を浮かべるだけだと、レモンティーみたいに酸味が目立ちますが、砂糖を入れた方が甘味もあって、より苺らしい味になりますよ」


「ホントだわ」


 無糖のものと飲み比べて、なぎは納得のいったように頷いた。


「アイスティーにしても楽しめます。もう一つ、桜ティーのアイスティー・バージョンも美味しいですよ」


 洗って塩抜きをしておいた桜の塩漬けを、茶葉を入れたポットに入れ、熱湯をホットティーより半分の水の量を注いでから、二分半ほど蒸らす。

 ここまでは、ホットティーと同じ作り方だった。


 リゼは、カクテルグラスをテーブルに置いた。

 その中に、ガムシロップと白ワインをほんの少しだけ注ぎ、スプーンで軽く混ぜた。


 グラスいっぱいに氷を入れ、ポットの紅茶を氷の上から注ぎ、最後に金平糖を沈めた。

 白や薄緑色と、ピンク色の金平糖が、見た目にも桜の花を連想させる。


「ただのアイスティーじゃないのね」


「ワインもちょっとだけ入ってますしね、大人の女性向けアイスティーですよ」


 普段通りの、にっこり爽やかな笑顔だ。


 なぎの正面では、ありすが金平糖を食べ、こりこり言っていた。


「ありすも金平糖が好きでしたね」


 リゼが微笑ましそうに見守っている。


 グラスの足を持ち、眺めてから、なぎは桜アイスティーを口にした。


「美味しい! ちゃんと紅茶の味がして、甘くて、白ワインのせいか後口がさっぱりしてるわ。桜の塩漬けって苦手だったんだけど、ほんのり桜っぽくて雰囲気は楽しめて、いい感じ。見た目もきれいだし、かわいいし、ありすちゃんもかわいいし、あ〜、なんか癒されたかも!」


 お客は友達の二人だけだったけど、明日もなんとかやっていけるかなぁ。


 微笑むリゼと、無表情なりに微笑んでいるようにも見えるありすを前に、そんな気持ちになれた。




【ホット桜ティー(二杯分)】


茶葉(あればダージリンやニルギリなど。なければティーバッグでも)

熱湯(茶葉のパッケージ通りに)

桜の花の塩漬け……4個(2個は飾り用)


①桜の花の塩漬けは、水の中で振り洗いしてから、しばらく水につけて塩抜きをする。

②ポットに茶葉と①を入れ、熱湯を注いで2分蒸らす。

③カップに注ぎ、飾り用の桜の花を浮かべる。



【桜アイスティー(二杯分)】


ホットティーの作り方で淹れた後、グラスにガムシロップと白ワイン(10ccくらい)を入れ、軽く混ぜ、氷で満たしてから、ホットティーを6分目ほどまで氷の上から注ぎ、金平糖を入れる。



※ストロベリー・ティー(二杯分)も、茶葉(ニルギリなど)と水の量は、ホット桜ティーと同じ。

苺6個を半分に切ったのうち4個は飾り用で、最後に浮かべる。

グラニュー糖、または角砂糖でも。

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