第48話 約束

「おお、赤のキング! 未だ眠り続けておられるとは、なんとおいたわしい!」


 赤のキングが眠る天蓋てんがい付きベッドの脇に寄り添った白のキングは、嘆いた後でリゼの淹れたグレープフルーツ果汁と炭酸の入った「セパレートティー」をゴクゴクと、白い顎髭あごひげにもこぼしながら喉を鳴らして飲んだ。


 セパレートという名の通り、紅茶の明るいブラウンの上にくっきりとしたグレープフルーツの黄色、その上に炭酸を静かに注いで出来る透明に変わるグラデーションに、光を反射している氷が宝石のようだ。

 比重の差が、砂糖入り紅茶と果汁とを分離しているのだった。


「ああ、うまい! これは生き返る! ウサギ穴を通って逃亡し、ずっと隠れていてお茶どころではなかったからな!」


「そうよねぇ、やっと美味しいお茶が飲めるようになって嬉しいわ!」


 と言うほどのことではなかったが、王族が城から逃れ、身を隠すというのは神経がすり減るものだ。やっと安心出来たことでお茶を楽しめているのだろう。

 と考えたなぎは、首を傾げたりはしなかった。


「シロップを少なめにして炭酸を入れないバージョンも、フルーティーでもスッキリとして美味しいですよ。単なるグレープフルーツ・ティーになりますけどね」


「なるほど!」


 と、横から紫庵がうやうやしい態度でにっこり説明するとキングは膝を叩き、そこまで可笑おかしいだろうかと周りが疑問に思うほど愉快そうに笑っていた。


 クイーンには好物だというアイスティー「ハンガリー・ティーウォーター」を、紫庵が淹れた。

 若返りのハーブと言われるローズマリーが入り、スーッとしたグリーンの爽やかさが香った。


 リゼは、ありすとなぎに「ピンク・マーメイド」というアイスティーを用意していた。


 タイムが一本ずつ添えられている。細く硬い茎に間隔を開けて生えている緑色の葉は、小花のように愛らしい。


 臭い消しや風味付けで魚料理などでよく使われているハーブだとなぎも気が付いたが、苦味を感じることなく、印象が良い。


「ピンクグレープフルーツとクランベリージュースも入ってる」


 と、ありすがなぎに言った。酸味と甘味のバランスが良く、苦味も感じない。


「美味しい! これはもうカクテルね! ノンアルコールの」


 と、こっそりなぎが返すと、ありすも頷いた。


「グレープフルーツ苦手だけどこれなら好き」


 アイスティーを飲んで一息つくと、椅子に腰掛けているクイーンが語り始めた。


 話からなぎが自分なりに解釈すると、二人のビショップのうち一人が、時の番人であるウサギのグルジアが持つ時計と、白のクイーンの持つロッドを盗み、過去に行き、をしたせいで、この鏡の国に『ゆがみ』が出来てしまったという。


 もう一人のビショップは、長年キング、クイーン共に信頼が厚く、相談役であった。当然、ロッドが盗まれた当時は相談していた。


「ですが、実は、ビショップは二人ともグルだったのです」


「え……、ということは、両陛下のお話は筒抜けだった……?」

「左様です」


 紫庵とリゼが目を合わせた。


「十年以上前だったかしら、民が怯えているから怪物を退治するために討伐隊とうばつたいを派遣しようという案が上がりました。ビショップから相談を受けている時に、わたくしの持つロッドが、ジャブジャブ鳥やバンダースナッチ、ジャバウォックを操ることが出来ると話したのです。荒々しい怪物でも、いざとなれば言うことを聞かせられるから、討伐隊など結成してわざわざ兵士たちを危険な目に遭わせる必要はない、と」


 その後、鏡の国での時の進み方が徐々に狂い出し、異変に気が付いた王家と、シラを切るビショップとで、チェスの対決で決着をつけることになった。


 代表として赤のクイーンと白のクイーンが推薦し、出場したアズサとのチェス対決で敗れたビショップは、渋々グルジアの時計を返すことになったという話は、リゼから聞いた通りだ。


「その後で、ロッドを盗まれたわたくしが幼児退行しかけていた間に、あの怪物たちの様子がおかしくなり、ビショップが彼らを操っていたとわかりました」


「ちっきしょう! 卑怯だぜビショップのヤツら!」


 床を、ダン! とウサギの怒り方で踏み鳴らした弥月に、クイーンは悲しそうな表情になり、俯いた。


「今ここにあるロッドは偽物です。魔力も感じませんし、念じて振ってみてもきっと鳥たちには効きません。これではジャバウォックにも効かないでしょう」


「じゃあ、ホンモノはあいつが持ってるのか?」


「そうなります。ですから、時々ジャブジャブ鳥が偵察に来るのでしょう」


 キングが悲しげな溜め息を交えて、口を開いた。


「白の国の兵士はほぼ捕らえられ、牢にいる。三日後、余が退位し、王位を譲らなければ、ビショップの手下にならない兵士たちはすべて処刑するとの通達があった」


「脅しか」


 紫庵が面白くもなさそうに鼻で笑う。


「おおかた白の国を乗っ取った次は赤の国も手に入れ、鏡の国全土の支配者になろうって、そんなとこか」


「なんて太々ふてぶてしい奴らだ!」


 弥月がまた地団駄じだんだを踏んだ。


 話が途切れると、行き場のない憤りに静まり返っていた。


「あの……」


 なぎはなるべく邪魔にならないようにと、小さな声で呼びかけた。

 紫庵とリゼが振り返り、ピンク・マーメイドを飲み終えたありすも顔を向けた。


「部外者なので事情を理解し切れてなくてすみません。リゼさんのお父さんは、白の国とも親交があったのですか?」


 リゼが微笑んだ。


「ああ、まだ説明していなかったですね。後から聞いたのですが、父は鏡の国全体の時を見守る『時の番人』で、普段は白の国でキングとクイーンに仕えているんです、ぼくが生まれる前から。ぼくは違う世界で生まれ育ち、幼い時に鏡の国に連れてこられましたが、実は、ビショップの被害が及ばないようにと父が赤の国にかくまっていたんだそうです」


「……ということは、ビショップたちはリゼさんの存在を知らないのですか?」


「ええ、そうね」


 代わりに応えたのは白のクイーンだった。


「グルジアの子が赤の国にいたことは、わたくしたちでさえも知らなかったので、彼も知らないと思います。今ここにいることも」


「では、この国にいる『時の番人』は、怪我をしたグルジアさんだけだと思っている……と?」


「おそらく」


「だから僕がやる必要があるんです。『時の番人としてのさばき』を」


 裁き——


『裁判をしてもいいのよ? 判決が先のね。そして、判決はもう決まっている』

『あなたの罪を数えてあげる』


 なぎの会社のセクハラ男と再会した時に、ありすの言い放ったセリフを思い出してみた。


 あんな感じで裁くのかしら……?


 なぎにはピンと来なかった。


「がんばれよー、リゼ! 初仕事だもんな!」


 弥月が笑いながらリゼの背をバンと叩いた。


「えっ? ちょっと、今、初仕事って言った? みーくん」


「そうだよ」


 けろっとした顔で、なぎを見る。


「時の番人として裁くのは初めてですけど、独り立ちするためにはいつかはやらなくちゃならないので。それは今回の件だろうって、ずっと覚悟してきましたから」


 少し緊張した笑顔を見せるリゼだった。


「白のビショップは狡猾こうかつだ。気を付けろ」


「はい。お心遣いありがとうございます、キング。心して務めます」


 キングに威厳のある声で忠告を受け、頭を下げたリゼを、なぎは不安気にただ見つめるしか出来ないでいた。


      *


「ここだけの話ですけど、……どうもって人が過ぎる気がするんです。モンスターを操る大事なロッドを取られてしまったり、敵に大事な話が筒抜けだったり……まあ、それは昔からの相談役を信用してのことでしたけれど。リゼさんのお父さんの時計が初めに奪われたのも、正直そのせいもあるようにも思えました」


 なぎは窓の外を見てから、身支度をしているリゼに視線を戻した。


「元々、鏡の国の住人たちには悪い人はいなかったんでしょうか? だから人を疑うことは考えなかった。なのに、ビショップだけが変にズルがしこかったというか、悪知恵を働かせてそれが通ってしまったからずっと調子に乗ってる——って感じなのでしょうか?」


「そこは、ぼくも引っかかってました」


 リゼは手を止めた。


「白の国は生来せいらい穏やかな人が多いです。は激しい人やイカレてるような人も……まあ、中にはいますが」


 顔を見合わせると、二人は苦笑いになった。


「さっき、父さんとも少し話せました。まだ体力までは戻っていないのですが、ビショップに時計を取られたあたりの話を詳しく聞いて、ちょっと見当が付きました。どこかでのだと。過去に戻ってその芽を摘むのが今回のぼくの仕事です」


 真面目にではあったが深刻ではない様子でリゼが告げると、なんとも言えない顔になったなぎが、指切りの小指を差し出した。


「必ず無事に戻ってきて下さい。約束ですよ」


 わずかな間沈黙していたリゼは、なぎの手を取ると、差し出された小指をくわえた。


 思わず「きゃっ!」と、真っ赤になったなぎが手を引っ込めた。


「違うんです、指切りって言って、小指と小指をつないで約束するんです」

「えっ?」


 ふと、なぎは、ウサギの口元に指を持っていくと舐められたり噛まれることもあるという話を思い出した。


「す、すみません!」

「いえ! わたしの方こそ、すみません!」


 オロオロしているリゼに指切りの仕方を教え、小指をつなぎ合わせて振った。


「それから……」


 リゼの肩に手を添え、引き寄せると、なぎはかかとを上げて伸び上がり、そっと口づけた。


 どことなく不安気な表情のなぎの心の中を探るように、リゼは見つめた。


「前にね、聞いたことがあったのを思い出して……。出かける前にキスする人たちの方が免疫力も高まって、病気にもかかりにくくて、事故とかの死亡率も低いんですって」


 僅かにリゼの目が細められる。


「縁起でもないこと言ってごめんなさい。でも、わたし、ホントに心配で……。おばあちゃんが前に言ってたんです。リゼさんの孤独はなかなか拭い切れないだろうって。それを聞いて以来、つい最近おばあちゃんやメアリー・アンさんを助けた時みたいに、いざという時リゼさんが自分の身を犠牲にしてしまうんじゃないかって……」


 そこまで話すとなぎは困った笑顔になり、赤らんだ顔を手でパタパタと仰いだ。


「——だからって自分からキスするなんて、すごく恥ずかしかった〜。うまく出来たかわからないけど……。やだ、熱くなってきちゃっ——」


 言葉は、リゼの唇に遮られた。


 優しく背を抱き寄せた腕には、力が込められていった。

 戸惑いながらもなぎは目を閉じていき、昨晩よりも熱のこもった口づけを受け入れた。


 長く重ねられていた唇はゆっくりと離れ、紅い瞳が、潤んだ黒い瞳を新たに見下ろした。


「心配してくれてありがとう。今のをお守りにすればいざという時も頑張れると思います。なぎさんにまた会うために、必ず戻りますから」


「ホント……? 本当に必ず……必ずですよ、戻って来て……!」


 リゼの胸に飛び込み、リゼもしっかりとなぎを抱いた。


 だが、なぎには、それがすべてリゼの自分への愛情というよりも、固い決意の表れに思えていた。

 使命を成し遂げるという決意に。


 そして、どこかも感じられてならなかった。


 リゼの腕が強く抱こうと、なぎの心に現れた黒い一点のような一抹の不安は消えなかった。


「おーい、リゼ、まだかー?」


 バタバタと廊下を伝わる足音が聞こえ、弥月がドアのすぐそばまでやってくると二人は何事もなかったように部屋を出た。


 弥月の後ろからゆっくりと歩いてきた紫庵は微笑みは浮かべているが、碧い瞳は笑っていない。リゼも同じだった。


 城の裏門で、なぎとありす、博士が見送りに立った。


 正面にいる三人のうち、紫庵と弥月は、腕には鍋蓋ほどの丸い盾と革のリストバンド、革の防具を肩、肘、膝等の部分的に着け、万能薬入りの革の小物入れもベルトに下げている。

 そして、防護用にマントも羽織っていた。


 リゼに至っては盾や防具を付けている様子もなく、単にローブを羽織っているだけのようだ。


 彼らのその見た目では戦士というより旅人に近く、なぎには思えた。


「鎧とか着なくて大丈夫なの?」


「そんなの着けてたら重くて身軽に動けねぇし、かえって自分の身が危なくなるだろ?」


「そ、そうなのね? 本当に皆気を付けてね。健闘を祈ります」


「おう! 任せとけ!」


 自分の胸を拳で叩き、弥月があどけなく笑った。


「なぎも、ありすのこと頼んだぜ!」

「あら、みーくんがそんなこと言うの珍しいわね」


「だってオレ、ありすの親衛隊みたいだったからさ」

って何よ、ちゃんと自覚してよね!」


 あはは〜、と笑う弥月は、なぎから見ればあまりにも緊張感がなさすぎる。


「オレにはわかる! ジャブジャブ鳥の香草焼きと、バンダースナッチの紅茶煮と、ジャバウォックのローストが! きっと絶品だぜ!」


「えっ……」


 勇ましく拳を高々挙げて高笑いする弥月を見たなぎは、身体中の血液がサーッと引いていく気分になった。


「うまく調理出来たら、ありすにも食べさせてやるからな!」

「うん」


 たまにしか笑わないありすが、意気込んでいる弥月に笑顔を見せている。


「ね、ねえ、みーくん、はしゃいでるみたいだけど大丈夫なの?」


 目を白黒させるなぎに、リゼは微笑み、紫庵も、あははと笑った。


「弥月がは新しいものに出会う時、すなわち新しいに出会う時でもあるんだよ」


「食材!?」


「ちゃんと作戦は考えてあるから大丈夫!」


「それならもう何も言わないけど……。皆、くれぐれも気を付けてね! 紫庵も、姿が消せるのって最強だけど気を付けてね」


「ありがと。なぎちゃんは、とにかくありすから離れないで」


「そうするわ」


 にっこり笑った紫庵となぎの横で、リゼは懐中時計の蓋を閉じた。


「時間です」


 紫庵と目が合ったリゼが、決意に満ちた声で告げた。




【セパレートティー】2杯分

 茶葉 6g(キャンディ、ニルギリ、キームンなど強い渋味のない茶葉)

 熱湯 170cc

 ガムシロップ 60cc

 グレープフルーツ果汁 40cc

 炭酸水 40cc

 氷 適量


 ①ポットに茶葉を入れ、熱湯を注ぎ2分半蒸らす。

 ②グラスにガムシロップを入れ、氷をグラスの縁まで入れる。

 ③①を②の5分目まで注ぎ、混ぜる。

 ④③の7分目までグレープフルーツ果汁を注ぎ、8分目まで炭酸水を注ぐ。


 *グラスの端からゆっくり注いでいくと層が作りやすい。

 *紅茶に砂糖を加え、果汁と比重の差で分離させられる。



【ハンガリー・ティーウォーター】2杯分

 茶葉 6g(キャンディ、ニルギリ、ディンブラなど香りにクセがない茶葉)

 熱湯 170cc

 ガムシロップ 50cc

 ローズマリー 1g

 ローズマリー(5cm) 2本(飾り用)

 氷


 ①ポットに茶葉とローズマリーを入れ、熱湯を注ぎ2分半蒸らす。

 ②グラスにガムシロップを入れ、氷をグラスの縁まで入れる。

 ③①を8分目まで注ぐ。

 ④飾り用のローズマリーを飾る。



【ピンク・マーメイド】2杯分

 茶葉 6g(キャンディ、ニルギリ、キームン)

 熱湯 170cc

 ガムシロップ 50cc

 クランベリー・ジュース 50cc

 ピンクグレープフルーツ果汁 30cc

 タイム(3cm)

 タイム(5cm) 2本(飾り用)

 氷


 ①ポットに茶葉とタイムを入れ、熱湯を注ぎ2分半蒸らす。

 ②グラスにガムシロップを入れ、氷をグラスの縁まで入れる。

 ③クランベリー・ジュース、ピンクグレープフルーツ果汁の順に注ぐ。

 ④①を8分目まで注ぎ、飾り用のタイムを飾る。


 *タイムは入れ過ぎると苦くなる。

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