第35話 メアリー・アンとアールグレイ
公爵家から独立したアールグレイは、伯爵の位を与えられた。
身分が低くなったため、メアリー・アンの婚約者候補からは外れたと、梓は聞いているうちに理解した。
「この私が結婚してあげたかも知れないっていうのに、なんでわざわざ自分から身分を低くしたわけ? バカじゃないの?」
「きみと結婚しようなんて、その方がバカげてるに決まってるだろ?」
しれっと返すアールグレイに、メアリーの怒りは心頭に発した。
「なんですって!? 私は、あんたなら、私のファーストキスをあげるにふさわしいって思ってたのにー……!」
驚いて真っ赤になった梓は、どうしていいかわからず、俯き加減にメアリーとアールグレイとを交互に見る。その隣で、目を丸くしているリゼの二人には構わず、メアリーは捲し立てていた。
梓を見る煌めく瞳とは打って変わった冷ややかな目で、アールグレイはメアリーを見てから、彼女の顎を掴み、上を向かせた。
かあっと、メアリーの頬が赤らんだ。
「乱暴ね! 女慣れしてるくせに、もっと優しく扱えないの?」
「いいかい、メアリー・アン。断っておくけど、僕は女の子なら誰でもいいわけじゃない。身分が高いプリンセスだからって、昔からいばり散らして、その驕り高ぶりが気に入らないんだよ」
「なんですってー!」
キーッと奇声を発し、メアリーがグレイの頬を叩こうと手を上げるが、その直前、ふいっと姿が消えた。
彼の笑い声だけが残る。
「どこに隠れたのよ!」
喚くメアリーを前に、梓もリゼも、キョロキョロと辺りを見回した。
そのうち、そこから少し離れた木に、腕を組んで寄りかかったアールグレイの姿が徐々にはっきりと現れていった。
「きみは僕に追いつけない。罰を与えることも出来ない。威張って人を従わせようとする者には、例えトップの地位になったところで誰も付いてこないって、知っておいたほうがいいよ、プリンセス」
ニヤッと笑い、大袈裟に腕を振り下ろして、礼をしてみせる。
「だったらいいわよっ!」
カッカしながら、メアリーがリゼを睨む。
「リゼ!」
「は、はい」
びくん、と背筋を伸ばすリゼに、ツカツカと寄っていき、見上げる。
「私を見なさい」
「はい、見てます」
見下ろすリゼに、メアリーが背伸びをして、口付けた。
が、歯と歯がぶつかり合い、二人とも自分の口を押さえながら背をかがめた。
「ひど……! いきなり痛いじゃないですか」
「う、うるさいわねっ!」
動揺してまごつく梓と、数メートル離れたアールグレイが大きく目を見開いて驚いているのを確かめると、メアリーは勝ち誇ったように、ふふんと鼻で笑った。
「今さら後悔したって遅いんだからね!」
「本当に、きみには呆れたよ! それで僕に当て付けたつもりなのか? リゼを慰み者にしただけじゃないか。最っ低だな!」
「あんたなんかには、わかんないわよ!」
カッとメアリーがまたもや怒り出すが、涙を浮かべてそこから立ち去った。
「メアリー、お茶の時間ですよ」
「いらないわ!」
茶器をトレーに乗せてドアをノックしたリゼに、入らせまいとするような、部屋の中からは叩きつけるような声だけが返ってくる。
「あの……さっきのは……良かったんですか? アールグレイの前で、あんなこと……」
「忘れて! 何も聞かないで!」
嗚咽する声が聞こえてくるのをしばらくドア越しに聞いていたリゼは、穏やかな声で言った。
「僕は気にしてませんから。また後でお茶を持ってきます」
さびしそうな顔で、リゼは部屋の前を去った。
部屋の中の嗚咽は、まだ続いていた。
「ねえ、メアリー、開けて。リゼも心配しているわよ」
再びリゼがドアの前に立った時には、隣に梓を連れていた。
部屋にこもって出てこようとしないメアリーは、梓のことだけは部屋に入れた。
「アズサ、私、本当はこわいの」
ソファで隣に座らせ、梓に泣きつく。
「お父様たちが言ってた。来月、私の婚約発表がされるって。顔も知らない赤の王子と結婚しろっていうのよ」
「王子様となんて……すごい!」
想像を絶する事態に、梓は、ほうっとため息を吐いた。
だが、メアリーの方はそれどころではない。
「アールグレイ……あいつが伯爵に成り下がったから、きっとそのせいよ! 結婚したら、私、いきなり赤の国の女王になってしまうのよ」
悔しそうに泣きながら、わあわあ喚いている。
「……確かに、それは想像も及ばない大役で、私だったら押し潰されてしまうことでしょうね」
梓は、メアリーの金色の髪を優しく撫でた。
「でも、それだけじゃないのよね? メアリー、あなたは……アールグレイのことが好きだったのね?」
メアリーは頭を否定的に振ってから、僅かに首を縦に振った。
そして、小さな声で語り始めた。
「公爵家はよくうちに出入りしてて、あいつとも幼馴染みだったから。でも、今はよくわからない。女子にモテモテだし、実際イケメンで面白いし。だから、独り占めしたかった。また前みたいに一緒に遊べたらいいのにって……。なのに、あいつときたら私のことをいつも小馬鹿にして。もうキライ、キライ! バカバカ! 何もかもあいつのせいなんだから!」
わあっと、メアリーは梓の膝にうつ伏せて泣き続けた。
梓は、彼女の背を撫でながら、意を決した凛とした表情になった。
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