第49話 作戦変更! クイーンの塔とソイミルクティー

 ウサギ穴から白の城に向かっている最中、弥月がピタッと止まり、耳を片方上げた。


「今、ジャブジャブ鳥の声がした」


 森の中のウサギ穴から、ひょこっと顔を覗かせ、すぐに穴に戻る。


「間違いなかったぜ、ジャブジャブ鳥が十羽くらい、ギャーギャー言いながら飛んでた! オレたちが向かってるのとは逆方向だったから、赤の城の方だ! あんなに数いるなんて聞いたことないぜ!」


 弥月がリゼと紫庵に告げると、紫庵が舌打ちした。


「ビショップが過去に行った時ジャブジャブ鳥のヒナを育てて手懐てなずけたのはわかってたけど、そこまで増えてたのか!」


「そうみたいだね」


 そう答えたリゼは冷静な目をしていた。

 紫庵には、もっと重要なものをリゼが見据えているように見えた。


「白のキングとクイーンが逃亡したことはビショップも気付いて、行き先は赤の国だと予想したんだろう。このまま白の国に向かうのは中断して、赤の城の皆に知らせに行った方がいいな。リゼはここで待つか?」


 三人が立てた作戦では、白の城に忍び込み、ビショップからクイーンのロッドを取り返し、クイーンに渡してジャブジャブ鳥たちを鎮めてもらう予定だった。


「バンダースナッチも一頭だけじゃなさそうだ。二……いや、三頭いる。まだずっと遠くだけどな」


 見張りを続けながら告げた弥月を振り返ってから、リゼと紫庵は顔を合わせた。


「ダージリンは戦力としてきみと一緒に赤の城に戻った方がいい。ロッドはぼくがひとりでなんとかする。夜中とかビショップが眠っている時間にさかのぼってみる。どっちにしろ、『過去』にはぼくだけしか行かれないから」


「わかった」


 二人の会話の後ろで、弥月は身動きもせずに、ピンと大きく開いた両耳だけを動かし、レーダーのように探っている。


「いざとなったら、ありすとなぎちゃんはグルジアと一緒に『鏡の向こうの国』——ヨコハマのアズサのところに逃げ込む手筈てはずになってるから安心しろ」


「うん」


「だけど、リゼ、もし罠だったら……? ビショップはロッドを奪われないよう警戒してると思う。グルジアが怪我が治った頃ロッドを取り返しに来るかもしれないと罠を張って待っているとしたら?」


「父の時計は今はぼくが持ってる。確かめたけど本物だ。だから現在のビショップは過去には来られない。でも、きみの言う通り罠があるつもりでいるよ。気を付けるから」


 少しだけ笑顔を見せたリゼに、紫庵は頷いた。


「あのさ、前から気になってたんだけど、過去だとか時間を行き来できるのは時の番人だけなんだよな? ビショップがグルジアから時計を奪ったからって、何で過去に行けたんだ?」


 リゼは一度黙ってから、眉根を寄せている紫庵の顔を見つめ、口を開いた。


「その辺りも、見当が付いてる」


 そう言って走り出した背に向かって、紫庵が深刻な声を張り上げた。


「本当に気を付けて行けよ! そして、必ず戻るんだ!」

「いつも心配してくれてありがとう、アールグレイ!」


 顔だけ振り返り、リゼは微笑んだ。


      *


 赤の城に戻った紫庵はありすに声をかけ、キングの部屋に赤のルーク二人とビショップ二人を呼び、状況を説明すると、ルークとビショップは部屋から出ていき、ポーンやナイトたちに伝達する。

 その頃には、弥月もウサギ穴から走って戻って来ていた。


 非常事態を知らせた紫庵の話にオロオロとする白のキングとクイーンをなぎはなだめ、とりあえず二人をソファに座らせた。そばには白のナイトが跪く。


「王様、女王様、どうかご安心ください。私は国を乗っ取ろうとしているビショップどもの臣下になどなりません。いつまでもお二人をお守り致します」


「うむ。そちだけは信じておるぞ。そばでとクイーンを守っておくれ」


 白のキングとクイーンにナイトは深々頭を下げた。


 隣国同士である赤と白の国は過去にも戦争など起きたことはなく、真面目な話からどうでもいい話まで決着がつかない場合はチェスで決めていた。

 それが、このキングたちの代になって初めてクーデターが起き、初めての戦いともなればおそらくは温室育ちであろう二人が慌てふためき、嘆くのも目に見えていた。


 白の国の三人以外、赤のキングの部屋ではありすとなぎ、紫庵、弥月も残っている。


 別のソファに座るありすの隣に紫庵がすっと並び、腰を屈めて顔の高さを彼女に合わせた。


「ジャブジャブ鳥がこっちに向かってる。キングが寝ていてメアリー・アンもいない今、兵を動かせるのはありす、きみだけだ。兵に命令を出して皆で城を守れるかい?」


「うん。やってみる」


 顔色ひとつ変えることなく、ありすが壁掛け鏡の正面に立つと、鏡の画面は赤と白の巨大なチェス盤が半透明に移り、城の外の景色と重なって映った。


 そこへ、先頭の横一列に、兜のてっぺんに丸いものが付いた赤い鎧の歩兵ポーンが並び、二列目の両側には塔の形をした兜と鎧姿のルークが一人ずつ、その内側には馬の頭を象った兜の騎士ナイトが一人ずつと、さらに内側には司教の帽子を象った斜めに割れ目のある兜のビショップが中央を空けて一人ずつ持ち場に着いた。

 なぎが会議で見た時は帽子と制服姿であったルークやビショップも、今は武装した兵たちだ。


 ジャブジャブ鳥の不吉なしわがれた鳴き声はまだ遠くに聞こえるだけだったが、兵士たちの無表情な顔には緊張が浮かんでいる。


「配置に付いたところで、敵はチェスを無視して襲ってくるだろうな」


 顔をしかめ、紫庵が顎に手を当てる。

 白のキングとクイーンは身を縮めて寄り添い、白のナイトの顔が引き締まる。


「やはり、クイーンのロッドかヴォーパルの剣がないと、怪物相手は難しいだろう」


「はい、おそらく。あれから毎晩こちらで赤のキングを見守り、寝言を聞いていましたが、ヴォーパルの剣についてはしきりにクイーンとかクイーンの塔とか言うだけで、他に情報が出て来ません」


 隣に立つありすとともに、鏡から目を離さずに紫庵はキングに答えた。


「リゼがロッドを持ってきてくれればジャブジャブ鳥たちは鎮められる。だから、ありす、僕たちがやるべきことは、リゼが戻るまでの時間稼ぎだ」


 紫庵の話が終わると同時に、弥月がぴょんと飛び上がった。


「おい、待てよ、それじゃあ、ロッドが戻ってきたら、ジャブジャブ鳥たちを料理出来ないじゃないかよ!」


「ああ、まあ、そうだな。あえて危険をおかして最後まで戦う必要はなくなるからな、ロッドで退散するよう白のクイーンに命令を出してもらえば」


「冗談じゃねぇ! だったら、その前になんとかしてヴォーパル・ソードを探し出さないと!」


 血相を変える弥月に、ありすの後ろにいるなぎが慌てた。


「え、ちょっと、みーくん、何言ってるの!? 下手に動かなくてもリゼさんがロッドを持ってきてくれるまで待ってる方が安全でしょ?」


「オレはすっかり料理する気になってたんだ! しかもこんな、他にないんだぜ! この機を逃すなんてフードクリエイターとして有り得ない!」


「フードクリエイターって言ってる場合じゃないでしょ! みーくんは今戦士なんじゃないの!?」


「例え戦士でも、フードクリエイターであることには変わりない!」


 呆れて棒立ちになるなぎには構わず、弥月がありすの手を掴んだ。


「鏡の向こうへの行き来だけだったらオレだけでも出来るけど、『鏡の向こうの国』ののはありすと一緒の時だけだ。行こうぜ、ありす! 一緒にヴォーパルの剣を探すんだ!」


「だ、だから、みーくん、話聞いてた!?」


「そうだよ、弥月、よく考えろ! ヴォーパルの剣の情報はさっき話したくらいしかないんだ。闇雲に動いても意味ないし、ジャブジャブ鳥たちはもうすぐやってくるんだぞ!」


「クイーンがどうのこうのって言ってたよな? メアリー・アンとアズサなら知ってるかも!」


「ええっ!?」

「ああ、確かに、メアリー・アンは『クイーン』だし、アズサもチェスの時はよくからね」


 面食らうなぎに、紫庵がさらっと解説した。


「なぎも一緒に来い!」

「なんでー!?」


 弥月はありすとなぎの肩を抱え、別の壁に掛かっている鏡に飛び込むようにして入っていった。


「お、おい、グレイ伯爵、あの三月ウサギに任せてホントに大丈夫なのかね!?」


 クイーンと寄り添う白のキングの怯えるような声に、紫庵はにっこりと振り返った。


「ええ、まあ、はい」


「……なんだか歯切れが悪いのぅ」


 白のナイトの声には取り合わず、元通り目の前の鏡に視線を戻した紫庵は「やれやれ。なぎちゃん、ありす、頼んだよ」と口の中だけで呟いたのだった。


      *


「わぁ、今日も寒っ!」


 紅茶館店内の暖房を梓が入れた頃、赤いベルベットのドレスに白い羽のストールを肩から羽織ったメアリー・アンが身体を縮こまらせ、白い息を吐きながら、店の隣に建つ洋館からやってきたところだ。


「今日は何の紅茶にするの? アズサ」


「そうね、ソイミルクティーはどう? ミルクティーよりも軽い感じで身体があたたまっていいわよ。アッサムの茶葉が少ないけど、博士がアッサムブレンドを作っておいてくれていたわ。グラニュー糖の代わりに黒糖を入れるとコクが出るわよ」


「美味しそうですね! メープルシロップを入れるのはどうでしょう!」

「合うわよ」


 ウキウキと振り返ったのは、テーブルを拭いていたユウだった。

 梓は微笑むと、湯を沸かし、冷蔵庫から出した豆乳の分量を測り始めた。


「ユウ、あなたはいつまでここにいるの?」

「あ、いない方が良かったですか?」


「ダメよ、いなかったら、私が掃除も力仕事もやらなきゃならなくなるじゃない」

「皆さんが戻られるまでお手伝いしますよ。それまで、うちのママに見つからないといいんだけど……」


「何よ、ママって? 見つかったら、お母様に怒られちゃうの?」

「違いますよ、お店のママですよ」


 くすっと微笑ましく笑って、ユウは答えた。


「こちらでお手伝いしてるのは僕の方のお店が開店する前までですから、見つかっても怒られないとは思いますが、……勘付かれたらいろいろと面倒なので」


 ユウは困ったような笑みを浮かべた。


「ふ〜ん。よくわからないけど、そんなのアズサがうまく取り成してくれるわよ」


 他人事ひとごとのように言うと、メアリー・アンは赤いドレスの裾を上げて椅子に掛け、アズサが試しに淹れた豆乳のミルクティーを優雅な動作ですすった。


「ああ、美味しい! これにって言う黒い砂糖が入ってるのね? なのに濃い感じはしないわ。甘さ控えめで口当たりも軽くて、美容にも良さそ……」


「おい、メアリー・アン!」


 突然、休憩室から飛び出してきた弥月に、驚いたメアリー・アンは飛び上がり、思わずカップを落としそうになった。


「ダ、ダージリン!?」

「何? もう着いたの?」


 なぎも続いてキョロキョロと見回し、ありすは黙って立っていた。


「ありすにナギも、いきなりどうしたのよ!?」


 動揺するメアリー・アンの後ろで、梓もユウも目を見張り、鏡の世界にいる時とは今は違うウサギ耳と丸い尾のない弥月に、圧倒されていた。


「メアリー・アン! ヴォーパルの剣どこ!?」


 目の前に立ちふさがった弥月に、メアリーは目を白黒させた。


「何言ってるのよ、あんた。そんなのキングの部屋にあるでしょう?」

「それが、なかったんだよ! どこにあるか知らね?」

「知るわけないじゃない!」

「えーっ! だって、キングがクイーンの部屋とかクイーンの塔とか言うから、知ってるとばかり……」


「クイーンの塔?」


 梓とユウが同時に反応した。


「知ってるのか!?」

「知ってるの!?」


 同時に尋ねた弥月となぎは、身を乗り出して祖母とユウを見た。


「横浜でクイーンの塔と言ったら税関のことだけど」

「そうなの!?」


 弥月となぎが声を揃えて叫んだ。


「なんだよ、なぎ。ここに住んでたクセに、なんですぐ思い出さないんだよ?」


「だって、わたし、ここに来る前はずっと都内に住んでたし、たまにしか来なかったし、こっちに住んでからは観光もする暇なかったから……って、みーくんだってわたしより前からこっちにはちょくちょく来てたんじゃないの?」


「あう……」


「横浜三塔、いや、最近は四塔かな、『クイーンの塔』の他には神奈川県庁の『キングの塔』、横浜市開港記念会館の『ジャックの塔』、少し離れたところにある神奈川県立歴史博物館『エースのドーム』っていうのがあるんだよ」


「へー……!」


 解説するユウに、なぎと弥月は感心した。


「ここからだと山下公園をずっとまっすぐ歩いていって右手が象の鼻パークに差しかかったら、道路挟んで左手にクイーンの塔があるよ。左方向の先には日本大通り駅があって、それを越えると横浜スタジアムだね」


「そうなんですね。どの辺りか目星がつきました」


 スマートフォンを見ながら、なぎが頷いた。


「高架橋の遊歩道プロムナードを通って行くとクイーンの塔を越してから下に降りるようになるけど、景色が綺麗だよ。そこの『港の見える丘』展望台からじゃ地形的に見えないから……」


「別に景色とかカンケーねぇし」と言いかけた弥月の口を、なぎが手で塞ぐ。


 説明しながらスマートフォンで検索していたユウが、税関の建物画像と地図を見せた。

 角ばったどっしりとした建物の上にひゅっと塔が伸びている。イスラム寺院のような丸みのあるエキゾチックな青緑色のドームが目印の、西欧建築の建物だ。


「ああ、これなら見たことあります! 綺麗な塔だなぁと思ってたので」


「開館は十時からだって。まだ九時前だから開いてないね」

「その方が人がいなくて好都合だぜ! 今のうちだ。ありす、か!?」


「うん。だいたいわかったから」

「よし! じゃあ行こうぜ! ん? 豆乳の匂い……お? ソイミルクティーか」


 弥月は素早くメアリー・アンのカップを引ったくり、残りの紅茶を飲み干した。


「うめぇ!」

「何すんのよ、私のお茶よ!」


 怒られても一向に構わない弥月は、何事もなかったようにカップをソーサーに置いた。


「すみません、急ぐのでこれで! ユウさん、ありがとうございました! おばあちゃんもメアリーさんも、また後で!」


 なぎとありす、弥月が慌ただしく休憩室に戻っていくと、元通りの静寂が訪れた。


「……なんなのよ、一体……」


 呆然と呟いたメアリー・アンは、無意識にカップを口へ運ぼうとして紅茶が飲み干されていることに気が付き、キーッ! と怒った。




 横浜税関の、人気のないトイレの鏡から現れた三人は、そうっとドアを開け、近くに職員がいないかどうかを確かめてから話し合った。


「『クイーンの塔』に来たのはいいけどどうやって剣を探すのよ? 片っ端からってのは時間と体力の無駄だし……」


 言いながらスマートフォンで調べていたなぎの指が止まる。


「エレベーターで塔の三階に行くと、税関長室とかあってゴージャスね。応接室はエリザベス女王が来日した時に使われたみたい」


「女王!?」


 飛び上がった弥月が小さく叫んだ。


「そこだ!」


「え、でも、待って! 普段の日は公開されていなくて一年に何回か見学会があって、その時にしか一般客は入れないんですって」


「三階にも鏡がある」


 いつもの平淡な声で、ありすは言った。


「そ、そうなの? じゃ、じゃあ、……行ってみる?」


 恐る恐るなぎが二人を見回すと、行く意志の変わらない二人に手を引っ張られ、一気に三階の一室に着いた。

 赤い絨毯に、赤い生地に白い柄のソファがいくつかテーブルを囲むように置かれている。


「ここは、……写真で見ると税関長室……あ、いいえ、応接室だわ。都合よく小さい鏡が部屋の隅に置かれていてラッキーだったわね」


 ふう、となぎが息を吐くと、ありすは自分たちが出て来た写真立てほどの小型の鏡を手に取り、じっと見ていた。


「これ、パパの部屋にあった鏡に似てる……」


 その時、弥月が窓際を指差した。


「あった!」

「ええっ!?」


 それは、当たり前のようにそこにあったのだった。

 窓際の、国旗と税関旗が立てかけられているその間にある、本来そこにはないものを、なぎは信じられない思いで見つめた。


「……ホントに……これが、ヴォーパルの剣……!」

「間違いないわ」


 平然とありすが応える。

 骨董品のように見えた長い剣は、キングの部屋の豪華な装飾の剣と違い、シンプルな青銅の鞘に収められていた。




【ソイミルクティー】2杯分


 茶葉 6g(アッサム、キャンディ、ケニアなど色が濃く、コクが強い茶葉)

 熱湯 適量

 水 170cc

 豆乳(成分無調整) 170cc

 黒糖 ティースプーン2杯


 ①耐熱容器に茶葉を入れ、熱湯をかけて湯がく。

 ②手鍋に水を入れて熱し、沸騰したら豆乳を入れ、沸騰直前まで加熱する。

 ③②に①の茶葉を入れ、4分蒸らす。

 ④カップに注ぎ、好みで黒糖を入れる。


※黒糖の代わりにメープルシロップやライチシロップでも美味しい。

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