第9話 さわやかアイスティーと同窓会
*
透明なポットに茶葉を入れ、フレッシュスペアミントの葉を入れる。
水が沸騰しかけ、シューッ、ふつふつ……と、やかんの底で僅かに泡が立つ音に、耳を澄ませる。
ボコボコという音に切り替わる前に、火を止めた。
ポットの茶葉とミントの上から、やかんの湯を高い位置から注ぎ、蓋をする。
透明なポットの中で、一度水面に上がった茶葉が下がったり、上がったり、ジャンピングしている。
沸騰させ過ぎると湯の中の酸素がなくなるため、直前で火から下ろし、湯を高い位置から注ぎ、空気を含ませる。そして、蓋をして蒸らす。
これらを気をつけるだけでも、茶葉を充分に開かせ、本来の味を引き出せる。ティーバッグであっても同じだ。
茶葉のジャンピングが落ち着くまで二分半~三分ほどかかり、水色はこの間に紅茶らしい色へと変わっていく。
待つ間に、グラスに氷を口元まで、ミントの葉と交互に入れておく。
ガムシロップを多めに入れ、紅茶を氷の上から静かに注ぐ。六分目まで入れた後は、炭酸水を追加し、軽く混ぜた。
完成したモロッコ・ミントティーを、紫庵は口に含んだ。
「うん、美味い。このくらいミントが効いてるのが、僕は好きだなぁ」
「オレたちの分は作らないのかよ?」
「自分で作れよ」
なぎがありすを「女の子なんだから」と彼らから引き離し、二人で紅茶館二階に住むようになってからは、洋館では、紫庵たち男だけが暮らしている。
ダイニングでは、悠々と自分の分だけ作ったアイスティーを飲む紫庵に文句を言っていた弥月が、スクランブルエッグを作るリゼの方に飛んでいった。
「ねえ、リゼー、オレもモロッコ・ミントティー飲みたいよー」
エプロンをしてフライパンを持つリゼが振り返り、呆れたように紫庵を見た。
「アールグレイ、意地悪しないで皆の分も作ってあげて。ポットにその分のお湯も残ってるでしょう?」
「ははは、知ってたか」
「見ればわかるよ」
「しょうがないなぁ。じゃあ、ティー・スカッシュも作ってやるよ」
紫庵はグラスを取って来ると、モロッコ・ミントティーのミントなしの炭酸入りアイスティーを作った。
その最中にやってきた博士が、弥月が飲もうと手を伸ばしていたモロッコ・ミントティーのグラスを取り、ごくごくと飲んだ。
「あっ! 博士ひどいよー! オレさっきから出来上がるの待ってたのにー!」
「ああ? 知らんかった。すまん」
「もー!」
二人のやり取りを垣間見ていた紫庵が笑い、お茶を淹れる手が震える。
リゼの用意した朝食と、紫庵の淹れたアイスティーが同時に出来上がり、四人とも食卓に着いた。
「ありすがいなくて男ばかりだと、うるさいな」
紫庵が、特に弥月を見ながら言った。
トーストをパリッとかじると、弥月はリゼをからかうように見た。
「ありすがいないと、リゼは淋しいんじゃないの?」
それには答えず、リゼは唐突に話題を変えた。
「今日は、なぎさんは同窓会に行くんだってね」
「ああ、本当は行きたくないけど、店の宣伝になるからって言ってたな」
ドレッシングのかかったレタスを食べるリゼの隣では、ベーコンを口に入れた紫庵が答えていた。
少し間が空いてから、リゼが口を開いた。
「帰りは夜遅くなるようだし、迎えに行った方がいいかな」
「リゼは、ありすを寝かしつけないとならないだろ? なぎちゃんの迎えには僕が行くよ」
二人の前では、英字新聞に見入る博士が弥月の皿にあるスクランブルエッグをスプーンで掬い、それに気が付いた弥月が「おい、何すんだよ、よく見ろよ!」と
*
『あんた、ちゃんとやってるの? お母さん見に行こうか?』
「大丈夫、大丈夫! ちゃんとやってるから、わざわざ出て来なくていいから!」
夕方、横浜駅の改札を出たなぎは、歩きながら母親の電話に答えていた。
あんな奇妙なイケメンたちが隣に住んでいるなどと知られれば心配させるだろうし、祖母もいない紅茶館の経営にもなおさら反対され、両親のいる北関東へ連れて行かれるだろう。
両親とも祖母からは何も聞いていないとわかると、祖母がイギリスに行ったことはあえて黙っていようと思った。
母親との電話が終わると足を速め、指定された店に向かった。
「……来るんじゃなかった」
口の中で、なぎは呟いていた。
同窓会というからには大勢来るものと思っていたが、七人だけであった。
なぎを入れて女子は三人だけ。残りは男子だ。
しかも、女子の二人は高校時代から友達同士で、なぎから見れば、彼女たちの当時はいわゆる陽キャでぶりっ子であった。
二人とも今ちょうど付き合う人が途切れているところだから来てみたなどと言っている。
男子四人ははっきりと、そのバッチリメイクの二人狙いだとわかる。
気は進まなかったが店の宣伝になると思って来てみたなぎだったが、自分も彼氏を見つける目的で参加したのではないかと見られそうで、居心地が悪い。
目的である店の宣伝をしようにも、彼女たちにも彼らにも来て欲しくない気もすれば、そんなことではいけない、とも思い直し、しばらく迷っていた時であった。
「それでさぁ~、山根さん、会社辞めて喫茶店やってるんだって? この間、日和ちゃんに聞いたよ」
「うっそ~、すご~い! うちらまだJDなのにもう経営?」
二人とも甘えるような声で、喋り方も、なぎから見れば女の子らしいと思えなくもない。
日和とは高校、短大と一緒であった。この同窓会の連絡も彼女を通じてだ。
男子たちの半信半疑な視線に気が付くと、なぎは「まだまだ軌道に乗っていないから」とごまかし、紅茶館のことは詳しくは話さなかった。
帰りがけ、二人の華やかな女子に群がる男子たちの後ろを、ぽつんとひとりでついて行く。
目当ての女子にはありつけそうにないと悟った男子がひとり離脱し、なぎの隣を歩き、話しかけた。
なぎには、それは、どうしても今日の収穫が欲しいようにしか見えなかった。
「なぎちゃん」
背後からの聞き慣れた声に振り向くと、紫庵が手を振り、その隣には心配そうな顔のリゼがいた。
紫庵と、ありすを寝かしつけたリゼが、横浜駅まで迎えに来ていた。
店を出る前に、なぎは紅茶館に電話を入れていた。ありすも彼らも携帯電話を持ち合わせていなかったため、店に電話を入れるしか方法がなかった。
二人を見たなぎの表情が一変して綻んだ。
「超イケメンが二人も!?」
女子二人が驚いた顔で彼らに見入り、男子たちは黙った。
「山根さん、こんなイケメンたちと知り合いだったの?」
「そうなんです。彼氏です」
と、にっこり答えたのは紫庵だった。
「え……?」
同級生全員に注目されると、なぎは慌てた。
「違うの! 喫茶店の従業員で……」
「どっちが彼氏なんですか?」
「両方です」
ニヤニヤ紫庵が答えると、一気にその場はざわめいた。
「何言ってるの! 違うでしょ!」
なぎは紫庵とリゼの背中を押すと、「じゃあね!」と皆に言い、さっさとみなとみらい線に向かい、早足で去って行った。
「どーせ、わたしはモテませんよ!」
紅茶館では、なぎが帰りがけに買った白ワインを飲んでいた。空になったワイングラスを催促するように突き出すと、リゼが慌ててそこにワインを注ぐ。
「う~ん、なぎちゃんはさ、モテないとか言う前に距離感があるんだよ。ガードが固いっていうかさ」
グラスの白ワインを飲み干した紫庵も、リゼにグラスを向け、ワインが追加される。
リゼは、おちおち飲んでいられないようだ。
「ツライ目に合ったからっていうのはわかるけど、男を拒絶してたらさ、男からしたら、下心なく普通にきみに興味もって話してみたい人にとっても話しかけ辛いよ」
「そうなの? じゃあ、やっぱりわたしに原因があったのね……」
がっかりして溜め息をつくと、あたたかい目になった紫庵が言った。
「そうだね、なぎちゃんに原因があるよ。きみがそんなにかわいいから――」
「ん?」とリゼが首を傾げた時には、遅かった。
「――僕が、こうしたくなっちゃうんだよ」
紫庵は、隣に座るなぎを抱き寄せた。
騒ぎ立てる予想に反して、なぎは、ぼうっとして、ふんわりと舞った艶のある黒髪の先を眺めていた。
「なんか、オレンジみたいないい香りがする……」
ああ、アールグレイの香り付けに使われるベルガモットだと思い出す。
「酔うと拒絶反応なくなるのかな? だったら……」
紫庵は、にっこりと、なぎのあごを指で上に向かせた。
「……きゃーっ! なにすんの!」
紫庵を突き飛ばすと、椅子から立ち上がり、
「危ない!」
リゼが抱き留め、なぎは転倒せずに済んだ。
「紫庵、酔っぱらい過ぎだよ」
普段より強い口調でリゼが言うと、紫庵はゲラゲラ笑い、椅子から転げ落ちそうになった。
普段と変わらなくも見えるが、やはり酔っぱらっている。
リゼは、なぎの背を支えながら休憩室に連れて行った。二階の階段を上らせるのはとても無理だと判断したのだった。
ソファに座らせると、グラスに入れた水を渡した。
「寝る前に飲んでください」
なぎは素直に水を飲んだ。
部屋から去ろうとして、リゼは振り返った。
「なぎさんは、ちゃんとかわいいです、一生懸命なところが。だから、それがわからないような人には、わかってもらえないままでもいいと思います。わかる人にはわかりますから。僕はそう思ってます」
ハッとしたように顔を上げたなぎは、一瞬、酔いが醒めたように姿勢を正した。
「おやすみなさい」
リゼは微笑すると、部屋の扉を閉めた。
「……おやすみなさい」
誰もいない部屋の中で、なぎは、ぼそっと言った。
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