第8話 ミントとライム

 さすが週末!

 と、なぎは瞳を輝かせた。


 リゼがローズガーデンの前で、「バラを堪能した後にどうぞ」とチラシを配ったのが実を結び、若いカップルが来店した。

 なぎの友人以来、初めての客であった。


 チェシャ猫——いや、紫庵のようなアヤシ気なイケメンよりも、正統派で草食系に見える白ウサギ——リゼの方が、このような若いカップルは警戒しないでくれるのかも知れない。


 今日は、リゼを宣伝役に、紫庵を紅茶を淹れる役にして良かったと、なぎは自分の采配を褒めたくなった。


「さっき、チラシ配ってた紅野さんて人に聞いたんですけど、ミントティーっていうがあるそうですね」


 注文を取りに行った紫庵に、男の方が尋ねた。


「はい。ございますよ。ホットでよろしいですか?」


「はい。彼女にはそれをお願いします。僕は、ミントとライムを使った……ええと……」


 紫庵は、にっこり微笑んだ。


「ハーバルティーですね。ありがとうございます」


 まともに接客をしている紫庵を見て、なぎはホッとした。

 とはいえ、紫庵の淹れた紅茶を飲んだことがなかったと思い出した。


「ねえ、紫庵——ああ、アールグレイのことなんだけど、彼、紅茶を淹れる方は大丈夫かしら?」


 こっそり、ありすに尋ねる。

 表情のない顔で、ありすはなぎを見上げた。


「大丈夫」

「あ、そう? それなら良かったわ」


 七歳半だというありすの言うことは、なぎには信じられた。


 紫庵はスペアミントの浮かぶストレートティーを女子の前に、ライムの輪切りをさらに1/4に切ったものとミントの葉を浮かべた明るい色の紅茶を男子の前に置いた。

 フレッシュなミントやライムは、まだ学生のようなこのカップルにぴったりだと、なぎは思った。


「こちらはストレートがお勧めです。ハーバルティーはライムの酸味があるので、砂糖を入れるのをお勧めします」


 感じの良い微笑みで、紫庵が説明する。


 よしっ! いい感じよ!

 と、なぎは心の中で彼を褒めた。


「そんなにミントの香りがキツくなくて、飲みやすいよ」


「こっちも美味しいよ。爽やかで後口もスッキリしてる。ライムとミントが入っているからかな」


 二人は、互いの茶を交換して味を見ていた。


 その後は主婦が三人ほどと、老女が三人ほど来店し、なぎは嬉しい悲鳴を心の中で上げていた。ありすと二人で水とおしぼりを運ぶと、老女たちが目を輝かせる。


「あらまあ、お人形さんみたい!」

「かわいいわねぇ!」

「お手伝いしてるの? 偉いわねぇ!」


 わいわいと賑やかな声が上がり、注文を取りに来た紫庵を見て、またもや「あら! すごいハンサム!」と華やいだ。


「お姉さん方は、何をお飲みになります?」


 紫庵が笑顔でそう言うと、「あらあら!」と、老女たちがさらに笑い声を上げた。


 彼が調子に乗っていないか、なぎは目を光らせていたが、嫌な顔をしている客もいないようだ。


 弥月がケーキを運んでいる。

 ケーキセットの注文が入ったのだとすると、売り上げは単品の紅茶の約二倍だ。


 収入も嬉しいが、客が来てくれたこと、皆が紅茶やケーキを美味しいと言って笑顔になっていることが、何よりも嬉しく思えた。


「おばあちゃんが紅茶館を続けてきた理由が、少しわかった気がするわ。人の笑顔って、見ているこっちまで幸せを分けてもらってる気分になれるもの。紅茶の香りや味にも癒されるし」


 休憩時間に、なぎは休憩室で、ありすにそう語った。


 なぜこんなに幼い子に、自分はこんなことを打ち明けてしまっているのだろう。

 ふっと、なぎは笑った。


「こんなこと、紅茶館を手伝ってきたありすちゃん達にはとっくにわかってることよね。わたし、今まで、自分のやってきた仕事で、あんなに笑顔になってもらったことなかったから。皆みたいに紅茶の知識や淹れる技術もないし、前の仕事では言われた通りに出来て当然だったし、言われた通りにしかやりようもなかったし」


 花柄のイギリス調のソファに腰掛けたありすは、弥月の作ったバナナを使ったパウンドケーキを食べている。

 テーブルには、ミルクティーも二人分淹れられていた。


「みーくんの作るケーキは美味しいね。紫庵の淹れたアッサムのミルクティーとも合うわ〜」


 ありすが、にこりともせずに相槌を打つ。


 ガラスのような澄んだ碧い瞳は、いつも涼しげだ。

 大人のような落ち着きに、ずっと年上であるなぎの方が甘えている気になってしまう。




 閉店後、レジを締め、なぎが伝票整理をしている間、店内では、老女にもらった紙風船でありすと弥月が遊んでいた。


 紙風船をパタパタと追いかけたり、ジャンプするありすは、普段は見られない子供らしさがあり、キャッチし損ねて床に転がる弥月を見て、笑ったりもしていた。


 ありすちゃんでも笑うことあるんだ?

 意外に思ったなぎだが、子供らしい一面に安心もした。


「みーくんは、ありすちゃんのいい遊び相手なのね」


「そうですね」


「ケーキも美味しいし、落ち着きがないからどうなることかと思ったけど、見直したわ」


 隣ではリゼが微笑み、近くのテーブルでは、ありすと弥月を眺めている紫庵がケラケラ笑っていた。


「今日は初めて三組もお客さんが来てくれたのよ。リゼさんが頑張って宣伝してくれたおかげだわ」


「いえいえ」


 笑顔で伝票を見ていたなぎが、「ん?」と眉間に皺を寄せる。


「ケーキセットの注文があったのは二人だけ?」

「そうみたいですね」


 伝票を見せると、リゼも頷いた。


「でも、わたしが見たところ、今日のお客さん三組とも全員ケーキを食べていたわ」

「まさか……」


 リゼは、さっと紫庵を見るが「僕は知らないよ」と、紫庵はニヤニヤと知らん顔をした。


「もう、紫庵たら絶対何か知ってるでしょう?」

「弥月に聞けば?」


 なぎが両手を腰に当て、紫庵を睨んでから弥月を呼んだ。


「みーくん、ケーキ全員に配ってたでしょう? なのに、ケーキを頼んだのは伝票では二人だけよ。書き忘れたの?」


「これだよ、ここにUBって書いてあるでしょ?」


 伝票の最後の欄には、UBと書かれていた。


「“unbirthday”のことだよ。『生まれてない日』つまり、なんでもない日のことだよ」


「は?」


「知らないの? 誕生日は『生まれた日』、『生まれてない日』は誕生日以外の日って意味。今日来たお客さんは、全員、誕生日じゃなかったんだよ」


 なぎの頭の中はぐるぐると回り、ついでに目もぐるぐると回りそうであった。


「……だから?」


 平淡ななぎの短い問いに、弥月は「まだわからないの?」といった顔で続けた。


「『なんでもない日のサービスだよ』って、ケーキを出したんだよ」


「……はい? サービス……ですって?」


「そうだよ。だって、お客さん全然来なかったから全然オレの出番もなかったし。せっかく作ったケーキがもったいないじゃん?」


 ゲラゲラと紫庵が笑い転げた。


「だから、『なんでもない日のサービス』かよ!」


「だって、そう言ってあげたら皆喜んでだぜー。おばあちゃんたちも。フランボワーズピューレとリキュール使ったケーキを持って行ったら、春らしくていいねって言ってたぜー」


「ちょっとちょっと、勝手に何やってんのーっ! そのケーキ作るのはタダじゃないでしょー? そんなことしてるから経営破綻したんでしょー!」


「ええーっ!? オレのせいなの!?」


 ぴょん! と、弥月が跳ね上がった。


「……まあ、今回は人数も少なかったけど」


「だって、ケーキってホールで作るから余ってもったいないし!」


「わかった、わかった!」


 泣きそうになる弥月を、なぎは仕方なく宥めた。


「……そうね。みーくんのおかげで思いついたけど、お誕生日のお客様にケーキとかスイーツをサービスするのはアリだわ」


 ぱーっと、弥月の顔が晴れる。


「だよな、だよな!」


 子供のようにはしゃぐ彼を見て、なぎが思わず吹き出した。


「いいわよ。誕生日のサービスは今後やっていきましょう!」


「イェーイ!」


 小躍りする弥月を見て、ありすが笑った。

 紫庵もリゼも笑う。


 思い出したように、弥月がなぎを見て言った。


「じゃあさー、『なんでもない日』は?」


「なんにもしません!」




【ミントティー(二杯分)】


茶葉(あればキャンディ、ニルギリ、ディンブラなど)

フレッシュスペアミント……8束(2束は飾り用)


①ポットに茶葉とミントを入れ、熱湯を注いで2分半蒸らす。

②カップに飾り用のミントを入れ、上から①を注ぐ。



【ハーバルティー】


茶葉

フレッシュスペアミント

ライム


①ライムは1/4に切る。

②ポットに茶葉とライム(厚さ2〜3mmの輪切り3枚のうち1枚は飾り用)、ミントを入れ、熱湯を注いで2分半蒸らす。

③カップに注ぎ、グラニュー糖を入れて溶かす。

④飾り用のライムとミント(2束)を浮かべる。

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