第10話 フルーツ盛りだくさん紅茶

 開店後初の定休日だ。

 店の経営が波に乗るまで休みを作らないつもりでいたなぎだったが、紫庵も弥月も定休日が欲しいと譲らなかった。

 今となっては、それで良かったとつくづく思う。


「ナギ、お水、飲む?」

「ああ、ありすちゃん、ありがと」


 頭が痛い、身体の動きも悪く、眠い。

 休憩室のソファで起き上がり、ありすからグラスを受け取る。

 いくら今日が休みだからといって同窓会ではサワーを何杯か飲み、帰ってからも普段は飲み慣れないワインを飲んでしまった。


「う~、不覚だわ、二日酔いなんて」


 水を飲んでから、申し訳なさそうにありすを見る。


「今日は買い物があるんだったわ。午前中寝ていれば大丈夫だから、午後になったら行けるって、皆に言っておいてくれる?」


 こくんと、ありすは頷いた。

 なぎは二階のベッドで横になり、ありすは中庭を通り、洋館へ向かい、リゼたちの用意する朝食をとりに行った。


 スマートフォンを開く。

 祖母・あずさからのメッセージや通話の着信履歴もない。

 無事にイギリスにいるならいいが、それさえもわからないのは心配だった。


 携帯を解約したって言ってたけど、お友達の家に着いたら電話くらいあるわよね?


 気になりながらもなんとも出来ずにいるうちに、とにかく午後から買い出しに行かれるよう寝ておこうと、思い直した。


 ぐっすり眠ったなぎは、昼前に起き出した。

 頭の痛みはなくなり、腹も空いてきたように思う。


 皆のいる洋館に顔を出すと、リビングではありすと弥月はソファでテレビを見ていて、ダイニングテーブルで椅子にかけた博士は、難しい顔で英字新聞をなぜか逆さまにして読んでいる。


 リゼと紫庵はそのテーブル近くで昼食の準備をしていた。


「あ、おはようございます。なぎさんはここに座ってて」


 気が付いたリゼが、テーブルに促した。


「二日酔い、大丈夫ですか? 昨日は紫庵がすみませんでした」


 様子をうかがうようなリゼの紅茶色の瞳を見つめながら、なぎも紫庵も首を傾げた。


「僕が何かしたっていうの?」

「なぎさんに抱きついてたでしょ?」

「えっ?」


 なぎと紫庵の驚く声が重なった。


「二人とも覚えてないの?」


 目を丸くするリゼと、空を見つめる紫庵。


「う~ん、そう言えば……!」


 徐々になぎも思い出す。


「そうだったわ、同窓会の帰りにワイン買って、やけになって飲み過ぎて酔っ払って、その時、紫庵が抱きついたのよ!」


 紫庵がヘラヘラと作り笑いを浮かべた。


「ごめんね~、子猫ちゃん。きっと、きみがかわい過ぎて……だと思う」

? ?」


 なぎが眉間に皺を寄せる。


「どうせ、そういうこと、しょっちゅうしてるんでしょ?」

「そんな覚えはないよ」

「記憶にございませんって? ……なんか、都合の悪いことは全部それで済ませる政治家の常套句と同じね」


 その続きも大いに言いたげな目になる彼女を前にして、紫庵は「昨日、僕なにか失言でもした?」と、本当に覚えがないようにリゼに尋ねた。「だから抱きついたんだよ」とリゼも呆れて繰り返した。


「私がそういうの嫌なの知ってるでしょ? 紫庵はしばらくお酒飲むの禁止!」


 なぎは両手を腰に当て、ぷんぷん怒った。


「別にいいよ~。シラフでもやること変わらないから」


 のらりくらりと言い返し、笑っている。

 ちっとも堪えない彼を、忌々しく見る。


「もう! だったら、私の半径1mメートル以内に近付くの禁止!」

「ええ~っ! 仕事しにくいよ~!」

「1m 離れるくらいのスペースはあるから大丈夫でしょ!」

「……めんどくさっ!」


 ふーっと力の抜けた様子で、紫庵はテーブルの椅子に腰掛けた。


 呆れたまま、なぎは、リゼの用意したサラダをテーブルに並べていく。


「ああ、大丈夫ですよ、なぎさんは座ってて」


 サラダの入った木のボールを持つ手と、同じくボールを置こうとしたリゼの手が触れた。


「あ、すみません」

「ごめん」


 リゼとなぎが笑い合う。


「大丈夫よ、二日酔いはもうおさまったから」

「じゃあ、なぎさんにサラダを取り分けるのをやってもらってる間に、ぼくはお茶を淹れますね」


 透明なポットに、半分に切った苺、オレンジ、キウイと、輪切りにしたバナナを入れ、白ワインとグラニュー糖を振りかけた。


 別のポットに茶葉と湯を入れ、蒸らすと、茶こしでこしながら、フルーツの入ったポットに注ぎ入れる。


「わぁ、きれい! フルーツティー?」


「はい。白ワインの代わりにコアントローっていうオレンジのリキュールをかけても美味しいんですよ」


 紅い茶の色が、柑橘類の成分で明るいオレンジ色になった。

 白ワインの品の良い香りと混ざった完熟したフルーツの甘い香りが広がり、ますますなぎが笑顔になっていく。


 っくり返るようにして座っていた紫庵が、碧い瞳で、じろじろと二人を観察していた。


「近い」

「えっ、なに?」


 なぎとリゼが、紫庵を振り返った。


「僕は半径1m 離れなきゃいけないのに、リゼはいいんだ?」


 なぎとリゼの目が合う。


「そういえば、そうね。リゼさんはこわくないし、紫庵みたいに悪いことしないから、信用できるのかな」


 途端に、紫庵がふくれっつらになった。


「ずるい~!」

「別にずるくないでしょ?」

「思い出した! リゼだって、昨日なぎちゃんのことハグしてたぜ!」


 ふと、なぎの脳裏に、よろけた自分を抱き留め、休憩室に連れて行ったリゼが思い起こされた。


 その時の言葉も。


『なぎさんは、ちゃんとかわいいです、一生懸命なところが。だから、それがわからないような人には、わかってもらえないままでもいいと思います。わかる人にはわかりますから。僕はそう思ってます』


 な、なんだろ……?


 その時の彼の穏やかな笑みが思い浮かぶと、なんだか少しきゅんとなった気がして少しだけ頬が染まるが、それを打ち消すように紫庵をキッと見た。


「ハグじゃないでしょ? もとはといえば、あなたが変なことしようとしたから、わたしが転びそうになって、それをリゼさんが受け止めてくれたから怪我しないで済んだんじゃないの」


 紫庵が顔をしかめる。


「……そうだっけ?」

「そう!」




 昼食後は、日頃の食事と店のものの買い出しに行く。荷物持ちとしてリゼと紫庵がなぎについていく。


 なぎのちょうど1m 後についてくる紫庵がおかしくて、くすっと笑い、隣を歩くリゼを見上げた。


 端正な顔立ちは、超絶イケメンと皆が称する顔だとか、男らしい野性的なカッコ良さというよりは、背は高くとも男子にしては可愛らしい、近付きやすい、ゆるふわ系、まさにウサギ系男子といえるかも知れないと思った。


 いつだったか、日曜日に偶然テレビを点けたらやっていた仮面ライダーも、「戦うウサギ」で「戦兎せんとくん」だった。


 それらの要素のせいか、なぎのような、男性には構えてしまう女子にとっても、こわい印象は抱かせないのかも知れない。


 なぎは、男子からかわいいと言われたことはなかったとも思い出していた。

 だからといって、彼を意識するわけではないが……。


 リゼは一生懸命なところがかわいいと言っただけで、女性としてかわいいと言ったわけではないのだと、舞い上がらないよう、自分に言い聞かせる。


 それでも、嬉しかった。

 初めて人に認められたような気がしたのだった。


 リゼさんなら、大丈夫なのかしら?

 この先、もし——


 いやいや、何考えてるの!

 いくらおばあちゃんと一緒に働いてたからって、彼の素性はよく知らないんだし!


 そんな人と、この先なんて考えられるはずないし。

 でも、そんなことは、これから知っていけば……。

 いえ、でも——


 なぎの頭からそんな考えが離れなくなっていた時、リゼが懐中時計を取り出し、文字盤を見てから焦ったように言った。


「すみません、電話を貸していただけませんか? 弥月に確かめたいことがあって」


 なぎはスマートフォンを渡した。


「ああ、博士ですか? 弥月は……え? 遊びに行った?」


 短い会話で電話を切ると、リゼがスマートフォンを返す。


「すみません。お茶の時間なんです。ありすにお茶を出さないと」


 なぎは、「は?」という顔になった。


 意味が分からない。


「弥月に頼んでおいたのですが忘れて遊びに行ってしまったので、ぼく、急いで戻ります。ごめんなさい!」


「え? ちょっと、リゼさん!?」


 リゼは血相を変えて、去っていった。


「……お茶の時間て……?」


 茫然と、なぎは立ち尽くしていた。


 ありすに茶を出すと言っていた。

 それが、いかにも重要なことであるかのように。


「……なんなの、いったい?」


 なんだか解せない思いで、ブランド店の立ち並ぶ石畳の道を歩いていく。

 レトロな洋館風の外観が並び、テーマパークやちょっとした外国気分を味わえる元町ショッピングストリートの合間にあるスーパーで買い物を済ませた。

 早い時間でないと売り切れてしまう人気の老舗パン屋で、先に購入しておいたイギリスパンもあるので、袋が嵩張かさばっている。


「紫庵、悪いけど持ってくれない?」


 袋を突き出すが、紫庵は「おっと」と両手を挙げ、一歩遠ざかった。


「僕は、半径1m 以内に近付いちゃいけないんだったよね? 残念だなぁ、手が届かないから荷物は持てないなぁ!」


 ニヤニヤ笑う紫庵を忌々しそうに睨むと、仕方なく、なぎはひとりで2袋と、それなりに嵩張って重みのあるパンの袋も持ち、街中をしばらく進んでから急坂を上り始めた。


「やっぱり、この人たちって、どこか変なんだわ。『残念』だとか『不思議』だとかを通り越して、もはや『変』な域に入っちゃってるわ!」


 ぶつぶつ言いながらなぎは息を切らし、荷物を下ろして、坂の途中で止まって休んだ。


「半径1m 以内接近禁止令を解いてくれれば、いつでも持つよ」

「結構です!」


 なぎは意地でも禁止令を撤回せず、紫庵も途中で手を貸そうともせず、1m 離れた先からニヤニヤとなぎを眺めている。


「あ……」


 何かを思い出したように、なぎの顔色が青ざめた。


「……思わず急坂を登っちゃったけど、……駅の中通り抜けてアメリカ山公園口に行けばエレベーターあったのに」


「ああ、そうだねぇ! そこから行った方がこの坂登らずに済んだねぇ!」


 わざとらしく、紫庵が手をポンと打ってみせた。


「もー! 電車だったら迷わずそっち使ってたのに! 引っ越してきたばっかりで頭が回らなかったわ!」


「おっと! それは僕のせいじゃないよ」


「何言ってるの! 紫庵の方がここに住んでて長いんだからわかってたはずでしょう?」


「怒ってもしょうがないよ。さあ、なぎちゃん! 元気出して、残りの坂も頑張って登ろう!」


 軽くそう言った紫庵は、明らかに笑っていた。

 それを恨みがましい目付きで見ながら、なぎは谷戸坂やとざかを登り切ったのだった。

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