第11話 お茶を中心に世界は回る

「それで、結局みーくんは、ありすちゃんにお茶を出さなくちゃいけない時間に、どこほっつき歩いてたの?」


 買って来た野菜や肉を冷蔵庫にしまいながら、なぎは半分呆れて弥月に尋ねた。


「『港の見える丘ティールーム』だよ」


「ライバル店に行ってたの!?」


「おいおい、やつらの売り上げに貢献してどーするんだよ?」


 なぎに紫庵が続いて、呆れた。


「だってさ、あのトウィードルダムとトウィードルディーみたいな双子がさ――」


「ちょっと待って。何て言ったの?」


「だから、トウィードルダムとトウィードルディーみたいな双子だよ」


 首を傾げるなぎであったが、紫庵が手を打った。


「ああ、あのゴスロリ二人組か――って、あいつらツインズだったの!?」


「そうだって。店長てんちょー従妹いとこだってさ。それでさ、お店でパウンドケーキ出したいから作り方教えて欲しいって言われたから、教えてあげたんだよ」


「だから、何で、オマエは、ライバル店に、貢献してるのか?」


 大袈裟に言葉を区切り、強調して、紫庵が尋ねた。


「だって、お茶に招待されたんだぜ? 礼儀には応えるもんだろ?」


 なぎは停止して、まばたきだけをしていた。


 まったく、この連中ときたら、なぜこうもお茶を中心に物事を考えるのだろう。


「安心しろよ、簡単にしか教えてないからさー!」


 弥月は気楽に笑っている。


「向こうも手の内を教えてくれたぜ。今後はカフェインレスの紅茶をもっと増やして、フレーバーティーをウリにするんだって」


「フレーバーティー! そうか、カフェインレスだと紅茶の香りと味が消えるから、あえて香りを付けたお茶で、ウチと差をつけようっていうのか!」


 悔しそうに紫庵が言うと、なぎが腕を組み、首を捻った。


「やるわね。間違いなく、女子には人気が出るでしょうね」


「さっそくバラのティーとか仕入れてたぜ」


「そこのローズガーデンにちなんでか?」


「間違えて白いバラを注文しちゃったから、急いで赤く塗ったんだって、食紅で!」


 弥月が笑い転げ、椅子ごと倒れるが、床の上でもまだ笑い続けている。

 何がそんなにおかしいのか、なぎにはわからなかった。




「明日の朝一番で、茶葉の様子を見に行ってくる」


 アッサム博士――なぎが、密かに『帽子屋』というあだ名をつけた、茶葉のブレンドを研究している通称『博士』が、唐突に切り出した。


「はい? ……ですか?」


 洋館では、リゼが夕食の支度をする横で、なぎはテーブルを拭いていた顔を上げ、博士を見つめた。

 ブレンダーである彼は、実際に茶園を見に行くこともあるとは聞いていたが……。


「スリランカですか? それとも中国?」

「インドじゃ」


 すんなりと尋ねるリゼと、相変わらず英字新聞を逆さに読見ながら答える博士とを、不思議そうに見る。


「ちょうどダージリンのセカンドフラッシュの茶摘みの頃じゃからの」


 リビングでは、ソファにゴロンと寝転がった紫庵がテレビをぼうっと見ていて、その前を、ありすを肩車した弥月が騒がしく歩き回り、完全に視界を遮っていた。


 その弥月が、顔だけ振り向いた。


「雷に打たれないように気をつけろよな、博士!」


「えっ、雷?」


 なぎが目を丸くした。


 白髪がぼうぼうと左右に跳ね上がったコワモテの老人は、頷いた。


「ダージリンとは、チベット語のドルジェリング、つまり『雷の地』に由来する。ヒマラヤ連邦のカンチェンジュンガの山麓にある地域のことじゃ。文字通り雷の多い土地でな。だが、雷は植物の成長促進に深くかかわっておるのじゃ」


「そうだったんですか!」


 なぎは感心し、尊敬を込めた視線を送るが、すぐに真顔になった。


「マッドハッター……あ、いいえ、博士お独りで行かれるんですか?」


「無論じゃ」


「何日くらい、向こうに滞在するんでしょうか?」


「茶園を見てみないことには、なんとも言えんな」


「あ、あの、旅費は……どうしましょう? お店のことですから、け、経費で……」


 心配になったなぎは、おろおろしながらスマートフォンで旅費を調べ始めた。


「これを持って行ってください」


 リゼが、いつもの懐中時計を差し出した。

 博士は顔をしかめる。


「ワシは時に支配されるのは嫌いじゃ!」


「でも、そうも言ってられないでしょう?」


 気に入らない顔でリゼから時計を引ったくると、博士は自分の部屋に戻っていった。


「これで旅費の心配はなくなりましたから、大丈夫ですよ」


 にっこり笑うリゼを見上げたなぎには、アンティークな懐中時計を質屋で換金するのかと思えた。


「旅費を立て替えてもらえるなら、宿泊費も込みで後から請求してもらえれば……」


 払えるのかしら……?

 スマートフォンで飛行機代とホテル代を検索していたなぎの手は、ぶるぶると震えていた。




「『セイウチと大工のお話』と言うと、大好き! というように、双子のトウィードルダムとトウィードルディーはハグし合いました」


 夕食の後、寝る時間がやって来ると、紅茶館二階のベッドにもぐった少女に、リゼは穏やかな声で絵本を読み聞かせていた。


 それを、もうひとつのベッドに座り、洗濯物をたたみながら日々眺めているなぎには癒されるひとときとなり、楽しみにもなってもいた。


「『牡蠣カキも好奇心が強いばっかりに、あんなことに……』と言ってから、双子は語り始めました」


 絵本の挿絵を見ると、丸みを帯びてコロンとした、どう見ても、明らかに人間離れした体型の双子が描かれている。


 みーくんの言ってた「双子のトウィードルダムとトウィードルディー」って、あれのこと? ティールームのゴスロリ双子とは、似ても似つかないじゃない。


 弥月には同じに見えるのだろうか?

 見えるのかも知れない。

 そう思い付くと、笑いがこみ上げて来る。


「パンが足りない。バターをもっと!

 大工が小屋のキッチンで食事の準備をしている間に、セイウチの話から地上を見てみたくなったカキの子供たちは、セイウチに付いて行き、陸に上がっていきました。

 興味深くお話を聞いているうちに、とうとうみんな、大工とセイウチに食べられてしまったのでした。

 大工は、セイウチの方が多くカキを食べたことを怒って、昼も夜もおいかけまわしました。おしまい」


 いつ聞いても、リゼがにこやかに、穏やかに読み聞かせる絵本は、後味が悪い物語であった。


 もう少し何とかならないのだろうか?


 苦笑いを浮かべながら、なぎは畳んだ洗濯物を引き出しにしまい終えた。


「ありす、眠ったみたいです」


 リゼが小声で言った。


「ホントだ。あんな後味の悪いお話で、よくいつも眠れるわね」


「全部、ありすの好きなお話なんですよ」


「ホントに~?」


 顔を綻ばせたなぎが、あどけない寝顔を覗き込むと、にこやかに見入っていたリゼも覗き込み、二人の額の隅が軽くコツンと当たった。


「あ、すみません」


 リゼが離れ、慌ててなぎの額を気にした。


「痛くなかったですか?」

「う、うん。大丈夫!」


 おそらく、自分の顔は赤くなっているだろうと、なぎには見当がついた。


 心なしか、リゼの頬もうっすら赤く見えるが、元から肌色が白いせいだろうと、なぎは思い直した。


「それじゃ、また明日の朝食で」


 裏の玄関で、にこっとリゼが手を振る。

 手を振り返しながら、なぎが微笑んだ。


「リゼさんはいつも偉いね。ありすちゃんのお世話も全然イヤイヤじゃないし、面倒見良くて、ありすちゃんのパパみたい」


 途端に、リゼは浮かない表情かおになった。


「……やっぱり、そう見えますか?」


 ショックを受けているように見え、なぎは慌てた。


「あ、いや、その、決して、リゼさんが子持ちに見えるとか、若々しく見えないとかじゃなくて、むしろ若いし、ゆるふわでかわいいし、全然パパには見えないんだけど、……ありすちゃんのことは特別みたいに見えるから」


「……ありすは特別なんです」


 視線を斜め下に落としたリゼは、静かにそう言った。


「……ああ、うん」


「おやすみなさい」


 扉が閉まる。


「……特別……ね……」


 どういう意味で……なんだろう?


 少しだけ思い詰めたように見えた表情には、どんな理由があるのだろうと、なぎにはしばらく引っかかっていた。

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