その後

「こんにちはー」

「いらっしゃいませ!」


 紅茶館には、久しぶりにユウが友人を伴って顔を見せた。


「ユウさん、アユムさん、どうぞ!」


 紅茶のポットとカップをテーブルから片付けていた、白いコックコートに紫色のタイを付けた紫庵が歓迎した。


 港の見える丘公園から近い山手の教会の一つで式を挙げ、その後はガーデン・パーティーでユウとアユムとがカクテルを振る舞い、紫庵が紅茶を淹れ、弥月が料理を用意した様子は、つい昨日の出来事のようにすぐに思い起こすことが出来る。


 一年間こちらに住むと言っていた、梓と同じく未亡人だという友人ダイアナは、洋館に住みついてから二年以上経っても、リゼのこちらの世界での時の番人としての研修期間だからという名目で母国イギリスに帰る様子もなく、今日もどこかに出かけている。


「長身のイケメン二人がその辺歩いてたらかなり目立つでしょ!」

「いやいや、紫庵くんとリゼくんほどでは」


 と、ユウもアユムも笑った。


「まあ、確かに、僕たちが並んで歩いてたら皆振り返るけどね」

「相変わらず、なんだかイケメンだよね」


 紫庵をまじまじと見ながらアユムがそう言うと、紫庵は妙に可笑しそうに笑っていた。


「それから、うちのオーナーも海外旅行中ですが、帰ったらまたこちらに寄りたいって。梓さんとも久しぶりにお話ししたいそうですよ」


「アズサも、また一緒にチェスがしたいって言ってたよ」

「古くからのチェス仲間だそうで」

「好きだねぇ!」


 紫庵とユウ、アユムが顔を見合わせて笑う。


「いらっしゃいませ」


「あ、なぎちゃん!」


 白いエプロンを付け、腹部がゆったりとした服装のなぎが、ゆっくりと歩いて来て、ユウとアユムに会釈をした。


「まだ働いてて大丈夫なの? いつから産休?」


「明日くらいから産休に入ろうかなと思って。予定日は一週間後なので」

「ええっ!? 一週間後!?」

「大丈夫なの!?」


 ユウとアユムが驚く。


「何かしていた方が気がまぎれるし、わたしは午後の忙しくない時間帯にちょっとだけで作業は座りながらだし、紅茶を用意するだけで運んだりはしないから、仕事というほどではないんですよ」


「ご主人は、今日は?」


「本業の方に珍しく仕事が入っちゃってしばらくイギリスに行ってましたが、今朝帰って来たところです」


「あ、ユウさん、ちょうど良かった!」


 洋館から休憩室を通ってやって来たリゼが、店に顔を出した。


「これ、頼まれてた時計。ちゃんと直りました」

「ありがとう! 助かったよ!」


 リゼは金色の懐中時計の蓋を開け、針が動いているところをユウに確認してもらってから手渡した。


「大分前に海外旅行の土産で買って、気に入ってたから壊れた時はショックでさ。リゼくんが時計の修理も出来て本当に良かったよ!」


「散々博士や弥月に時計を壊されてきましたからね。もはや、ぼくに直せない時計はありません」


 リゼとユウが笑うのを見て、なぎはクスッと笑った。


「こうして懐中時計を持ってるところを見てると、ユウさんも『時の番人』みたいね」


 こっそりとなぎがそう言うと、リゼは「ホントだ! ウサギ系男子だし!」と嬉々としていた。


「さて、じゃあ、久しぶりに、ありすちゃんにチェスの試合を挑もうかな」


「ありすちゃんもお待ちかねですよ。みーくんと一緒にティーフードも作ってました。アユムさんもどうぞ」


「わ〜、すみません、ありがとうございます!」

「いつもすみません、今日はアユムの分までご馳走になってしまって。後で働いて返させるから」


「おい」


「ちなみに、今日のおやつとお茶はなんだろう?」


「メアリー・アンさんの好きなラズベリータルトと、博士の調合したアッサムブレンドと、オレンジペコーも用意していますよ」


「じゃあ、ミルクティーだね。博士のブレンドはホント美味しいからね! 楽しみだなぁ!」


「オレンジペコーのブレンドも渋みがなくて柔らかい味で好きなんだよなぁ!」


「あ……また……」


 ユウたちと話していたなぎの表情が突如変わり、腰をさすった。


「どうしたの?」


「さっきから腰が痛くなって、しばらくおさまったと思ったらまた痛くなって来て……いたたたた」


「……それって、まさか……?」


 ユウがリゼを見ると、リゼもハッとして慌てた顔になった。


「アズサを呼んできます!」

「いや、僕が呼んでくるから、リゼくんはなぎちゃんについててあげて!」

「は、はい!」


 なんとか休憩室までたどり着き、ソファに腰かけたなぎは座っていられず横たわり、それを抱えるリゼは、なぎに言われるまま腰をさすっていた。


「タクシー呼んだよ! 五分で来るって」


 アユムが紫庵にタクシーの電話番号を聞き、スマートフォンで連絡していた。


「ありすちゃんも呼んで……おばあちゃんと、ありすちゃんも一緒に……!」


 リゼにしがみつき、痛みをこらえながら、なぎは声を絞り出した。


      *


「よく頑張ったね」


 リゼはなぎの乱れた髪を撫で、頬と肩を撫でると額に口付けた。

 なぎも疲れと安堵、それからじんわりと嬉しさを噛み締めた穏やかな笑顔になる。


「母子ともに無事で本当に良かった! お疲れ様! もうゆっくりしてよく休んで」


 病院のベッドに横たわるなぎのそばの椅子にリゼが座り、淡い水色のベビー服を羽織った小さく真っ赤な顔の乳児を、慎重に、緊張気味に抱いた。


「……かわいい」

「ね! かわいいわね。さっきまであんなに泣いてたのに寝たら静かになっちゃって」


 二人はくすくす笑った。


「やっと会えたね。こんなにかわいかったなんて知らなかったよ」


 目尻を下げて優しく語りかけるリゼを、なぎは何とも言えない笑顔になって見つめた。


 手の消毒を済ませたありすと梓、ダイアナが部屋に入った。祝いの言葉となぎを労うと、リゼが嬉しそうに顔をほころばせ、腕の中の子供を顔が見えるように少し傾けてみせた。


「男の子です」

「名前はルフナ。前から話し合って決めていたの。男の子でも女の子でもこの名前にしようって」

「まあ! ルフナ! 素敵な名前だわ!」


 ダイアナの瞳が輝いた。

 スモーキーでコクのある個性的なスリランカの茶葉の名前に、梓は思わず顔をほころばせた。リゼやグルジアの茶葉と同じように、チャイやミルクティーが合う。


 スヤスヤと眠る、睫毛の長い、ハーフとわかる顔立ちの乳児を見て自然とにこやかな面持ちになる梓に、リゼは赤ん坊を抱かせた。


曽孫ひまごを抱く時が来るなんてね」

「本当ね!」


 梓が抱く隣でダイアナが覗き込む。


「アズサの曽孫がぼくの子だなんて、不思議です。初めて会った時は同じくらいの年頃で、アズサは学生でセーラーカラーの制服を着てましたもんね」


 梓はリゼの少年時代を思い起こしたように、懐かしい顔になった。


「そうね、不思議ね。似たような年頃に見えたあなたは、私の義理の孫ということになるんですものね」


 改めて互いの顔を見合い、笑顔になった。


「アズサの孫になったこともですが、ぼくが家族を持てたことも夢のようで、不思議で仕方ありません。そんなことは考えられなかったから。だから、今すごく……嬉しいです……!」


 喜びを噛みしめるように告げるリゼに、梓は母のような視線を投げかけた。


「私もとても嬉しいわ。少年時代のあなたは優しくて、いつもにこやかだったけれど、どこかさびしげな表情をする時があって心配だったのよ。あなたの孤独を拭い去るのは難しいのではないかと思っていた」


「まさかアズサのお孫さんに救われるとは、ぼくも思ってもみませんでした」

「そうね。誰も予想出来なかったことだわ」


 近くに寄って見ていたありすは、今はダイアナが抱いている赤ん坊の手を、「ルフナ」と呼んで、指でやさしく触れた。


 ゆっくりと小さく細い指が開かれると、ありすの指を掴んだ。


 それを微笑んで見ていたなぎは感動を噛みしめながら、ありすの頭をそっと撫でた。


「ありすちゃんの弟分よ。鍛えてやって」


 ありすはふふっと笑い、お返しというようになぎの頭を撫でた。


「ナギ、頑張ったね」

「あ〜ん、ありすちゃ〜ん! ありがとう!」


 なぎは、なぜか未だに頼りにしてしまうありすを、ベッドの上から抱え込んだ。


「そういえば、なぎ、お父さんとお母さんが、明日の午後ここへ着くって連絡があったわ」


 梓が顔だけ振り向いて伝えた。

 離れて暮らしていた両親と会うのは結婚式以来では正月くらいだ。

 その時も居心地が悪そうにしていた両親を思い出すと、なぎには少し不安に思えた。


「そういえば、ユウさんて、こういうことにも慣れてるんですね。ぼくなんか初めてのことであたふたしてしまって。父親なのに情けなかったです……」


 恥ずかしそうにリゼが笑うのが聞こえ、なぎは我に返った。

 梓が笑う。


「男の人は普通はそうだわ。私の夫なんかもっと慌てていたわ。リゼはちゃんと落ち着いて対処出来ていた方よ。ユウくんが特別なのよ。姪っ子さんがいて、お義姉ねえさんの産後に少し手伝ったことがあるそうよ」


「はあ、そんなことまで!」

「実は子持ちなのかと思ったわ!」


 素直に感心するリゼとなぎを見てから、ダイアナから戻って来た腕に抱く赤ん坊に目を移し、梓は微笑んだ。


      *


 翌日、午後になって、なぎの両親が病院に着くと、ダイアナがにこにことルフナを抱いていた。


「……やっぱり外国人みたいだな」


 と、なぎの父親が呟いた。

 母親がダイアナから受け渡されて先に抱いてから、父親もそうっと慎重に抱き、腫れぼったいまぶたとむにゃむにゃ口元を動かす様を見て微笑んでいた。


 それだけで、なぎには嬉しく思えた。


「退院したら、お母さん、しばらくあんたを手伝うことにしたわ。娘が出産したら一週間くらい付き添うって親戚にはもう話してあって、あっちのおばあちゃんの介護は親戚やヘルパーさんに頼んであるから。洋館に空いている部屋もあるってお義母かあさんからも聞いてね、そこに泊まらせてもらうから」


「ありがとう、お母さん。助かるわ」


 これまであまり母親に頼ったことがなかったなぎは、意外な母親の申し出がこれほど嬉しく思えたことはなかった。


「でも、お父さんはどうするの?」

「お父さんだって一人でもなんとか出来るんだからな。お母さんの助けが必要なのはお前だろう?」


「お父さんも、ありがとう」


 なぎの瞳が潤んだ。


「後で、ぼく、お父さんとお母さんに美味しいお茶を淹れますから、どうぞ家に寄ってください」


 リゼも嬉しそうに歓迎している。


「お茶どころではないだろう」


 父親が吹き出すが、なぎがすぐに言い添えた。


「何度でも一緒にお茶を飲めば、お父さんもお母さんも、リゼさんのいいところがわかるはずよ。おばあちゃんもダイアナさんも、ありすちゃんももちろん一緒に」


 その二時間後、なぎのところに父親からメッセージが届いた。


『ばあさんのところに髪の長い若い男がいて、妙に親しげだったぞ! デレデレしやがって、あいつは誰だ!?』


 あ、紫庵だわ……。


『それから、金髪の外国人の少年もどこからともなくやってきて、ケーキをひっくり返してたぞ!』


 みーくん……。


『変な片眼鏡の、白衣を着たじいさんもいたぞ! まさか不審者じゃないだろうな?』


 博士……。


『お前の旦那が一番マトモだな』


 なんだか変な形で認めてもらえたなと、なぎは苦笑いした。


「皆とってもいい人よ。わたしの大事なファミリーなの。だから安心して」


 と、なぎはふふふと笑いが止まらないまま、病院のベッドの上で、ルフナの寝顔に微笑んでから返信したのだった。

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ありす紅茶館でお茶をどうぞ♪【本編】 かがみ透 @kagami-toru

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