エピローグ

 数年間、なぎとは離れて暮らしていた両親が横浜の紅茶館を訪れるのは、一年ぶりほどになる。


 なぎの記憶通り、よそよそしく入ってきた両親は、リゼを見て驚愕していた。

 アズサと友人のダイアナも同席し、彼女の孫でリゼは以前から紅茶館を手伝っていたのだと紹介したが、両親は、娘の相手がまさかの外国人ということに動揺していた。


 しばらく煮え切らない態度であったが、梓となぎ、リゼも思いを語ると、その日は返事をせずに帰っていったが、連日電話でも話していくうちに、仕方なく認めたといった感じであった。


 外国人というだけでも抵抗があるのだから、時の番人ということも、ましてや月に一度ウサギになってしまうことは伏せておいて正解だったと、なぎは思った。


 父親は気に入らないことがあっても自分の母親である梓にも娘であるなぎにも、意見を言うことは始めから諦めてしまっていた。梓に強く出られると太刀打ち出来そうになかったのだ。

 母親も、なぎに向き合うよりも父に従順であり、あっさりとして我が道を行く義母の梓のことも苦手なようだった。


 そんな父も紅茶館を継ぐことだけは嫌だと意思表示し、梓も自分がやっていきたいだけだったため、息子に継いでほしいと無理強いはしなかった。


 いかにも優しい祖母というイメージとは違う梓だったが、なぎは格好良いと思い、両親よりも自分を一人の人間として見てくれるように感じてもいた。祖母といるのは気が楽であり、祖母の家に行くのが幼い頃から楽しみだった。


 そんなことが思い起こされていた。


「なぎちゃん、カモミールティー二つ」

「はい!」


 紫庵の声に応えるとジャーマン・カモミールと茶葉を用意し、手鍋に水を入れ、それらと牛乳も加えて一〜二分煮出す。

 はちみつを加え、ホイップした生クリームを乗せ、カモミールをつまんで浮かべた。


 カモミール・ミルクティーにアレンジを加えたものだった。春のイメージの爽やかな紅茶も、冬にはこのようにして出すことにしている。


 一年前の春に鏡の国から帰ってきて、初めてのクリスマス・イブだった。


 普段はリゼと紫庵となぎの三人で交代でお茶を淹れている紅茶館では、梓は経営をなぎに完全に譲るとオーナーとして見守る合間に、友人でありリゼの祖母に当たる時の番人ダイアナと旅行に出かけたり、好き勝手に過ごしていたものだった。


 夕方、店は閉まり、閉店のプレートを外のドアにはかけるが、店内は明かりが灯ったままだ。


 茶葉の調合室から白衣を着たアッサム博士が出てくると、休憩室からは騒がしい声が聞こえ、客の帰った店内にそのままなだれ込んできた。


「なんでもない日……じゃなかった、クリスマスのパーティーだぜ!」


 鏡の国に迎えに行っていた弥月が、危なっかしいステップで戻ってくると、その後からは赤いドレスの金髪レディもやってきた。


「私はすぐに帰るからね。ありすも一緒に帰ってお城でお祝いしましょ!」

「いいけど、それなら、あたしは明日もここに来るから」


 凛とした声で後ろについて来ていたありすが答えると、途端にクイーンがすがりついた。


「え〜、ありす〜! ママとパパと一緒にいましょうよ〜! このままじゃ、あなた、リゼとなぎの子供みたいだわ!」


「いーじゃん、それでも!」

「なんですって!? ダージリン! あんたなに適当言ってんのよっ!」


 来客はそれでは終わらなかった。

 茶系の落ち着いたグレンチェックのスリーピーススーツ、赤いネクタイにはよく見ると懐中時計の柄が図案のような模様に描かれ、同じ柄のハンカチーフを胸ポケットからのぞかせる英国紳士のような出で立ちに、思わずなぎは目を留めた。


 明るい茶色の髪に口ひげとあごひげを生やした長身である、なぎたちよりもずっと年上に見える紳士だった。


「父さん」


 リゼが迎えると、人間の姿になったグルジアを見たのは初めてだと、隣でなぎは気付いた。


 あごひげを生やした白人男性というとアメリカ大統領リンカーンくらいしか思いつかなかったが、そのイメージに近く、リゼとは紅茶色の瞳しか似ていないな、などと思った。


 グルジアはリゼとなぎに挨拶をし、プラチナブロンドの老女と梓の元へ行き、「ダイアナお母様、ご無沙汰しております」と頭を深々下げた。


「久しぶりね、グルジア。元気だったかしら?」

「はい。リゼが頼もしく育ってくれたおかげで命拾いしました」

「それは良かったわ」

「アズサも、お久しぶりだね」

「ええ、本当にお久しぶり。リゼから怪我をしたことを聞いたあの時はとても心配したけど、無事で本当になによりだわ」


 そんな話をしている最中であった。


「すみませ〜ん」


 ガラスのドアの向こうでインターホンを押し、女子の声がする。

 なぎが開けると、例のゴスロリ双子だった。


「なに? もう営業終わってるんだけど」


 弥月がなぎの後ろから迷惑そうな顔で告げた。


「ちょっと挨拶に来ただけです」

「あの、今度うちらカフェに転身することになりました」

「え? 紅茶じゃなくてコーヒーにするっていうこと?」


 なぎと弥月が顔を見合わせてから、また双子を見る。


「はい。なんか、アマネくん、全然やる気なくなっちゃってて」

「お宅のメアリー・アンさんに魂持っていかれたみたいで」

「まるで廃人」

「イケメンも台無し」

「えっと……それは、……お気の毒に」


 なぎはなんと言っていいかわからず、頭を下げて、ちらっとメアリーを盗み見る。

 彼女にはこちらの人間が夢中になってしまう不思議な魅力というか奇妙な引力があるのかも知れない、なぜかユウは引っかからなかったが……などと考えた。


「それで、うちらが気分転換にコーヒー淹れたら、コーヒーの香りでアマネくん、正気を取り戻したみたいで」


「あ、ああ、そうなの? 良かったわね!」


「なので、コーヒーと、前にミツキくんに教えてもらったパウンドケーキとかシフォンケーキうちらで作って、カフェをやろうかなぁって」


「うちらのお店は『港の見える珈琲館』としてリニューアルして、心機一転頑張ることにしました」


 ……なんだか相変わらずパクリっぽい名前ね。

 それに、急にコーヒーだなんて、紅茶とは全然違う淹れ方だから勉強し直すのも簡単じゃないと思うけど。

 まさか、インスタントコーヒーじゃないでしょうね?


 と、思ったなぎだったが、にこやかに「お互いに頑張りましょうね」と言った。

 

 双子が帰ると、紫庵がニヤニヤしながらなぎと弥月を見た。


「いーんじゃない? 彼女たちがケーキ作りをするなら今までみたいな強引な客引きは出来ないだろうから、うちに来ようとしてるお客さんを取られる心配はなくなったワケだよね?」


「そうですね、紅茶が飲みたい気分の人はうちに来てくれるだろうし、コーヒーがいい人はあちらに行くでしょうしね」


 リゼもにこやかに応えた。


 準備が整うと、クリスマス・パーティーの始まりだった。


 テーブルにはオードブルやサラダ、チキンなど料理が並べられていき、ビュッフェスタイルとなっている。


 干しぶどうにリキュールをかけてから使ったクリスマス・ティーの入ったティーカップをリゼが並べ、紫庵はオレンジのリキュールである透明なコアントローとココアの入った、よく見ると二層になったオレンジ・ショコラティーのグラスを用意した。


 クリスマスケーキは、弥月が作ったものを冷蔵庫から出し、皆の前でホイップクリームで仕上げのデコレーションをして見せた。


「わあ! 可愛い!」


 なぎが思わず声を上げ、ありすとにっこり笑った。


「今日はタルトはないの?」

「ないよ」


 あっさり返された弥月の声に、メアリー・アンはがっくりと肩を落とした。


 テーブルにあった食べるものがほとんどなくなった頃、リゼがなぎの手を取って前に出た。


「アズサとダイアナ、ありすには既にお話ししていて、皆にもちらほらそれらしい話はしていますが、改めて報告します。お互いのことをよく見て付き合ってきて、一年近くが経ちます。今後のことも、時の番人の役割とかもいろいろ話しました。その上で、ぼくたち、今度の春に結婚することにしました。正確には、事実婚ていうみたいですけど」


「おめでとう!」


 紫庵が手を叩くと全員祝福の言葉と拍手を贈り、弥月が口笛を吹いてから頭の上で大きく手を叩いた。

 リゼもなぎも恥ずかしそうに笑った。


「わたしは山根なぎのままで、リゼさんは一応、リゼ山根になります」


 梓もダイアナと顔を見合わせ、拍手で祝福する。


 なぎは、拍手をしているありすと目が合った。

 微笑んでいるありすに手を振ると、ありすも手を振り返し、それだけの動作でもなぎは宙に浮くほどの心地好ここちよさに浸れる。


「結婚式はどうするのよ?」


 片手を腰に当てたメアリー・アンが尋ねる。


「式はやらなくてもいいって、わたしは言ったんですけど……」


「それだけはちゃんとしようと思います。山手の教会にもいくつか当たってみたらOKしてくれたところがあったので、年明けから通って春には式を挙げられるそうです」


「呼ぶのは身内だけでいいって言ったんですけど……」


「いいえ、いろいろ呼んであげたいです」


「そうね。その方がいいわ」


 と、二人に言ったのは梓だった。


「せめて、なぎの夫だって周知させた方がいいわ。教会ならこの辺りの通りすがりの人たちも見ることが出来るし、ご近所にも披露出来るし」


「その後、ガーデン・パーティーとかどう? ユウさん呼んでカクテル作ってもらうとかさ」


 紫庵が提案した。


「え、そんな、悪いわ」

「もちろん、ユウさんにはお礼をするよ! ぼくたちもティー・ソーダとか作って皆に配りたいね!」


 リゼがウキウキとし始めた。


「リゼはじっとしてなよ。紅茶は僕が淹れるし、ティーフードやお菓子類は弥月が作ればいいだろ?」


「おおーっ! いいぜー! オレもやりたい、やりたい!」


「皆、ありがとう……」


 なぎが目尻を拭い、リゼが軽く肩を抱き寄せた。


      *


 教会での結婚式では、前列には紅茶館のファミリーと親族が、その後ろからは友人たちが集まり、開かれたドアから通りすがりの観光客や一般人ものぞいていた。


 式の後は近くの会場に移り、ガーデン・パーティーであった。


「リゼくん、なぎちゃん、おめでとう!」


 そう言ったユウに、白いタキシードとウェディングドレスの二人は満面の笑みで応えた。


「お二人ともよく似合うよ! なぎちゃん、すごくキレイだよ」


「ありがとうございます! ユウさんもアユムさんも、お手伝いして下さってどうもありがとうございます!」


「いやいや! お二人ともおめでとう!」


 ユウの隣でカクテルの準備をしているのは、ユウの友人アユムだった。打ち合わせの時になぎもリゼも初めて会ったが、ユウと同じくらいの高身長で整った顔立ちの、人好きのする青年という好印象だった。


 ユウと二人で氷をペールに移すなど準備を続ける後ろでは、ホテル・ニューグランド近くにあるバーの女性バーテンダーが来客として駆けつけ、久しぶりに再会した梓に挨拶し、懐かしそうに話を弾ませている。


 式から出席していた、なぎの友人若菜と日和も来ていた。


「まさか、なぎちゃんが国際結婚するなんてね!」

「ホント! びっくりだったよ!」

「国際……ああ、ま、まあね」


「なぎちゃんのことはずっと心配してきたけど、イケメンな旦那さん捕まえられて良かったね!」


「あ、イケメンていうことよりも、彼がいてくれると癒されるから。わたしにはこの人しかダメだから」


 なぎがはにかんでリゼを見上げると、友人二人は唖然と見てから打ち明けた。


「うちの彼といて癒されたことって、あんまりないかも?」


「最初は楽しかったけど、だんだん小言が多くなってきてウザいっていうか、面倒になってきたっていうか」


「あ〜あ、こんなことなら、同じ合コンで声かかったけど断っちゃったもう一人の方にすれば良かったとか思っちゃう!」


 なぎは、「え、そうなの?」と目を丸くした。


「わたしは、リゼさんのことウザいとか面倒なんて思ったことないからね」


 背伸びをしてリゼに小声で告げると、リゼは安心して笑ってから言った。


「ぼく、ウザく思われないように気を付けます」


 なぎが吹き出すと、日和も若菜も微笑ましそうに笑った。


      *


 港の見える丘にある紅茶館では、「時計の修理も受け付けます」との文字が看板に添えられ、店内にもチラシが貼ってある。


 本日も、いつも通り営業中。


「いらっしゃいませ!」

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