第18話 リゼの過去 その2

 これは、お酒が入らないととても打ち明けられない話だと、なぎは納得していた。


「あの、こんな話聞かせても迷惑じゃ……」

「いいえ、続けてください」


 リゼはブランデー入りのアイスティーを一口飲んで、ためらいがちではあったが続けた。


「幼い頃、父に赤の国に預けられてから十年後に、父とは再会しました。その頃、クイーンの結婚の話が出ていて、彼女はぼくと一緒になりたいと言いましたが、まだ若かったし、当然周りからは反対されました。一番の理由は、ぼくが、赤の国でも白の国でも、鏡の国の住人ですらない『時の番人』だったからです」


 なぎは、ドキッとして息を飲んだ。


 つい昨日まで、自分もリゼを他の世界の者だからと、避けるようなことをしてしまっていた。


 リゼ本人を見ようとせず。


 そう思うと、胸が痛む。


 淋しそうな表情のまま、リゼが続ける。


「クイーンは予定通り赤のキングと結婚しました。その前に、ぼくを赤の国の民とし、宮廷で勤められるように計らいました。のちに、ありすが生まれました」


 ありすちゃんが生まれてからずっとリゼさんは見守り、そばに仕えていた……。


「ありすは、ぼくが知り合った頃のクイーンと同じ七歳になると、本当にそっくりでした。性格は違いますけど。クイーンは、いかにも強気というか」


「そうなんだ? リゼさんが強気な女の子が好きなのって、ちょっと意外」


「そうですか?」


 リゼは少しだけ笑った。


「でも、……辛くないですか? 好きな人のそばにいられても、その人が結婚してしまって、そのお子さんのお世話をするのって……」


 なぎはリゼが気を悪くしないかを気にかけながら、遠慮がちに尋ねた。


 リゼが微笑む。

 やはり、どこか淋し気だ。


「ありがとう。なぎさんは、やさしいんですね」


「えっ、いえ、そんな……。ただ、リゼさん、わたしがありすちゃんのことで何か聞くと、いつも淋しそうな、切なそうな感じに見えたので、それが何か気になって……」


「……顔に出てましたか」


 仕方のなさそうにリゼは笑った。


「とにかく、今は、ありすのお世話係を、誠意を持って務めることがぼくの仕事なので。今は、ありすのことだけを考えるようにしてます」


「そんなの……切なすぎる……」


 思わず口をついて出た自分の言葉になぎ自身驚いたが、さらに驚いたことに、涙の溜まった曇った視界が揺れ始めた。


 リゼも驚いて見つめている。


「や、やだ。ブランデーなんか入れたから……」


 なぎの涙は止まりそうになかった。


「……ぼくのために、……泣いてくれてるんですか?」


「違うんです。わたしは、そんなやさしい人じゃないの」


 首を振るなぎを、リゼは黙って見つめる。


「わたしも同じなの、赤の国の人たちと……。リゼさんのこと、自分と同じ世界の人じゃなかったからってどう接していいかわからなくて、しばらく変な態度取っちゃって……。でも、それじゃ、赤の国でもこっちの世界でも、どこにいてもリゼさんは受け入れられずに淋しい想いをしてしまう……そんなのって、やっぱりひどいです。ひどいことして、……ごめんなさい」


「いいんですよ」


「で、でも……!」


 ど、どうしよう! 涙が止まらなく……!


 涙をぬぐい切れずになぎがハンカチを取り出し、目を押さえていると、ふわっと柔らかく抱えこまれる。


 へっ!?


「ぼくが、なぎさんが抱っこしてくれて、やさしく撫でてくれたら、とても安心したんです。だから、同じように少しでも安心してもらえたら……」


 穏やかにそう言ったリゼの回した腕は、柔らかくなだめるようだった。

 男性に抱えられているという緊張感よりも、その柔らかさはリゼならではなのか、思えて、嫌な感じはしなかった。


「……辛い想いをしてきたのはリゼさんなのに、わたしの方が慰められちゃってる」


「ははは。ありすもよく泣いてましたよ。泣き過ぎて、


 リゼの冗談に、なぎは少しだけ吹き出した。


「ぼくのことは気にしてくれなくていいんですよ。それなりに今はしあわせですから。あの人の子供だからという義務感ではなく、ありすのお世話がちょっと楽しいんですから」


「……確かに、ちょっと楽しそう」


 涙を拭きながらなぎが小さく笑うと、リゼも笑った。


 その時、紅茶館のドアを叩く音が店内に響いた。


 驚いたなぎを守るように、抱きしめていた腕にぎゅっと力をこめ、リゼがドアを見据えた。


「……ん? 博士?」


 そのリゼの声に安心したなぎは、身体の力が抜けた。


 リゼが鍵を開けると、大きな緑色のシルクハットと、イギリスを連想させる茶系のツイードのスーツに、緑色の茶葉と思われる葉をあちこち付けた博士が、やれやれと言いながら入ってきたのだった。


「お帰りなさい。ど、どうしたんですか、その格好は?」

 

 思いもかけない突然の博士の帰宅にどぎまぎしながら、なぎは尋ねた。

 博士は不機嫌な顔で、客席のテーブルに、上着のポケットから取り出したリゼの懐中時計を置いた。


「まったく、この時計が二日も遅れておったせいで、散々だ!」


「二日って……」


 時計に、なんてことがあるのかしら?


 なぎが首を傾げる。

 隣では、懐中時計を手にしたリゼが時計を振ると、カラカラという軽い音が鳴った。


「壊れてるじゃないですか! 何があったんです!?」


 悲痛な声を上げるリゼではなく、博士は時計を忌々しそうに見ている。


「『時』に支配されるのはイヤだと言っただろう? カチカチずっとうるさいし、中に歯車やらネジやらが詰まっとって、邪魔だから抜いておいたわ」


 博士はポケットからそれらの部品を取り出すと、雑にテーブルに置いた。


「なにするんです! ぼくの大事な時計が!」

「おや、きみのかい?」

「そうですよ! 知ってるでしょう?」


 リゼは大急ぎでドライバーとピンセットを持って来て、時計の中を開けた。

 見ていてなぎが気の毒に思うほど慌てながら、だが慣れた調子で部品を詰めていく。


「せっかく、にもらったのに……」


 溜め息混じりに、ぼそっとした呟きが聞こえた。


 ああ、誕生日ではない日ってことね。


 非常にがっかりと溜め息をきながら修理を続ける哀れなリゼを、なぎは気の毒そうに見守っていた。


 博士は調理場の冷蔵庫からバターとジャムを出し、リゼの目の前に置いた。


「バターとジャムは使わんのかね?」


「使いませんよ!」


「あの、博士、そういう冗談は、今はちょっと……」


 さすがに、なぎも顔を引きらせて、茶葉まみれの博士を見た。

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