第25話 ウサギ男子の恋バナ

「そうしたら、あの港の見える丘からの風景とか夜景とか、イングリッシュガーデンとかも気に入ってしまって。紅茶館もアズサ一人で切り盛りしていたから、陰ながら手伝うことにしたんですよ。普段は調理場にいて、たまには紅茶を運んでましたけど」


 首を傾げたままのなぎが、ちらっとユウの表情を観察すると、彼の方は「そっかぁ!」などと言いながら紫庵の話に頷いていた。


「僕もそんなにしょっちゅう行ってたわけじゃないし、最近は二、三年顔出してなかったからきみたちを知らなかったのも当然かぁ。……それにしても、僕がうさぎたちの話を梓さんから聞いたのは十年くらい前だったような……?」


「ああ、じゃあ、僕たちがウサギを連れて来たのは、その後ですね。十年も前ではありませんから。ちょうど二、三年前だったかなぁ」


「そうか……。梓さん、うさぎと猫を可愛がってたから、一度いなくなるとさびしくてずっと飼い続けてたのかな。いなくなるのはもう嫌だ、とも言ってたけど」


 ユウはウィスキーに浮かぶ氷を揺らしてから、一口啜った。


 適当に話を合わせたように思えるのらりくらりとした紫庵を見てから、なぎは酔いが覚めた思いでカルヴァドスのティーカクテルに口を付けた。


「ところで、僕はユウさんの恋バナが聞きたいなぁ」


 にっこりと唐突に話題を変えた紫庵の向かいで、なぎはむせそうになった。


「なんかモテそうだもんね。彼女とかいるの?」


 ユウは笑った。


「まあまあ、僕の話はいいとして、なぎさんはどうなの?」


 まさか自分に振られるとは思ってもいなかったなぎは慌てた。


「な、なんで、わたしなんです? いませんよ、誰も」


「そうなの? なぎさん、かわいいのに」


 隣で自然に驚いているユウを、意外な思いで見上げる。


「わたし、かわいくなんかないです。地味だし。それに、会社の上司にセクハラされてから、男の人と付き合うなんて考えられないんです」


 ふっと、ユウから艶のあるバーの床に目を逸らした。


「……そう……。辛かったね」


「……いえ……」


 なぎの瞳が潤んだ。


 男たちはそれに気付いたか気付かないか、しばらく黙っている。

 そんな風に気を遣わせるのも嫌だと思い、なぎが何か話題を探していた時だった。


「なぎちゃんも辛かっただろうけどさ、こいつも結構な目に合ってると思うよ」


 紫庵が隣に座るリゼの肩をポンと叩いた。


「たまにはさ、リゼも吐き出していいんだぜ」


「いや、ぼくは……」


「リゼと赤のクイ……いや、メアリー・アンの出会いとかさ」


 なぎは下を向いた。

 あまり知りたくない、と思った。


「へー、どんな感じだったの?」


 興味本位ではなく、優しくユウが尋ねた。


「そ、それは……、思い出したくもありません!」


 突然の強いリゼの口調に、なぎは思わず顔を上げた。

 ユウもグラスを持つ手を宙に浮かせたまま止まっている。


 リゼは両腕を抱えた。


「初対面の時、彼女は出会い頭に、いきなりぼくの耳を鷲掴みにしました」


「鷲掴み……? 耳を?」


 ユウが聞き返すが、リゼは構わず続けている。


「振り払って逃げようとすると背後から抱きしめてきて、身動きが取れなくて息も苦しくて、死ぬかと思いました。必死に逃げても笑いながら追いかけてきて、毎日ずっと恐怖に怯えてました」


 目を見開くなぎとユウだったが、そのうちユウが口を開いた。


「……えっと……随分小さい頃の話なのかな?」


「はい。小さかったせいでいじめられるんだと思ったぼくは、彼女より大きくなりました。それ以来、メアリー・アンはそんな虐待はしなくなりました。その代わり、いろいろとぼくを連れ回し、手袋を持ってこさせたり、使いパシリのようにこき使ってきました」


 ユウは訳のわからない顔をしていたが、なぎには見当がついた。


 おそらく、初めの出会いではリゼはウサギの姿で、幼い頃の赤のクイーンに乱暴に扱われたのだろう。それから人間の少年に姿を変えたということか、と解釈した。


「ある時から、メアリー・アンは急に優しくなりました。あのワガママお嬢様だった彼女がいつの間にか美しく成長し、なぜか優しく接してくれるようになったので、ぼくもだんだん打ち解けていきました」


 美少年に育っていったリゼに恋心が芽生えてからは優しくなった……と想像した。


「自分はプリンセスだから結婚相手を決められてしまうのが嫌だ。だから、ぼくに、自分を連れて逃げてくれと頼んできたので、それは出来ないと言いました。その時、軽く殴られました」


「……乱暴なのは変わってなかったんだね」


「はい、変わってませんでした。彼女は、彼女の両親に、ぼくと結婚したいと言い出したのでびっくりしましたが、一時的に滞在しているぼくでは許されるはずもなく……。そのうち、彼女は親の決めた人と結婚して、ありすが生まれました。ありすは激しい彼女と違ってクールな中にも思いやりのある子で、お世話係を命じられてからは、ありすと過ごすのが癒しになってきて、今は大分穏やかに過ごせてます」


 しーん、とする中で、わずかに眉間にしわを寄せたユウが口火を切った。


「えっと、それは……恋バナ……だったのかな?」


「えっ? 違いましたか?」


「うーん、なんかトラウマみたいに聞こえたんだけど」


「ぼくは、それがずっと恋だと思ってました」


「いや、リゼ、だから僕が言っただろ? 『それは違うよ、恐怖で縛り付けられてたのが優しくされたら良く見えてしまっただけだよ』って。恋っていうのは、いつも自然にその人のことを考えてて楽しくて、たまには悩まされることもあったりするもので。『こっち』に来てからはずっと安心して過ごせてるだろ? メアリー・アンの恐怖から逃れられてるからだよ」


 正面で紫庵が、ポンポンとリゼの肩を叩くのを見ていたなぎは、ますます目を見開いた。


 恋じゃなかったの?

 クイーンのことを好きだって自覚してたみたいだけど……


 呆然としていて、言葉が出ない。


「それなら、やっとその呪縛から解き放たれた、と言っていいのかな?」


 ユウが気遣うような視線でリゼを見る。


「呪縛から解き放たれた……?」


 リゼはユウのセリフを反芻はんすうし、考え込んだ。


 が、ハッとしたように顔を上げ、皆を見回した。


「時間です。帰って、ありすに絵本を読んであげないと」


 リゼが懐中時計を見せると、後五分ほどで九時だった。


 紫庵が苦虫を噛み潰したような顔になった。


「そんなの弥月のヤツにでもやらせとけばいいんだよ。なぎちゃん、電話してあげなよ」


 なぎが店を出て電話をかけてからすぐに戻った。


「博士が電話に出て、みーくん寝ちゃったって」


「九時前に!? あいつ、子供かよ!」


 紫庵の横で、リゼが立ち上がる。


「おい、待てよリゼ、だったら、博士に読ませれば……」

「博士は、夜に読むのはダメなんだ。ありすが前に怖がって泣いて」

「……」


 紫庵は納得した表情になった。


「やっぱり、ぼくが行かないと」

「だけどさ」

「ぼくは今、ありすのことしか考えられないんです!」


 そう言って、リゼがハッとなった。


「もしかしたら、これが恋なのかな?」


 なぎは愕然とした。

 隣で、ユウも唖然としている。


 リゼは、「すみません、お先に失礼します」と二人に会釈をして出口に向かう。


 一瞬固まっていた紫庵が、我に返った。


「おい、お前、それじゃロリだぞ!」


 そう言った時には、リゼが走っているのが窓の外に見えた。




「あの、なんだかすみませんでした。せっかくオシャレなバーに連れて来ていただいたのに、変なことになっちゃって」


 ため息をついて謝るなぎに、ユウは笑ってみせた。


「大丈夫だよ。楽しかったし」


「あの、……なんか変に思いましたよね? うちの従業員ちょっと変わってるので、訳がわからなかったと思います。すみません」


 なぎは、恐る恐るユウを見上げる。


「……まあ、確かによくわからなかったけど、別にあれこれ詮索しようとは思わないから。お店にも時々遊びに行かせてもらうよ」


「ありがとうございます」


 なぎがペコっと頭を下げた。


「頑張ってね。と言って、あんまり頑張り過ぎないようにね。梓さんにもよろしく伝えておいて」


 ユウは軽くなぎの肩に手を置くと、紫庵にも手を振り、別れた。


「紫庵とみーくんは、いつリゼさんと知り合ったの?」


 行きに渡ったフランス橋ではなく、谷戸坂を登りながら、なぎと並ぶ紫庵が、普段の口調とは違う真面目な調子で答えた。


「僕はもともとお城のお茶の係で、後から弥月が入ってきて、それと同じ頃にリゼが入ってきたから、クイーンが結婚する少し前かな」


「じゃあ、三人は付き合い長いのね。リゼさんに仲間がいて良かったって、今日改めて思ったわ」


「リゼにもそう言われて感謝されたことがあったよ」


「……呪縛されてることにも気付かないなんて、……よっぽど根深いわよね」


「なぎちゃんの男嫌いよりも、多分ね」


「……そうよね……」


 どうしてあげたらいいんだろう。

 といって、自分がなんとか出来るような問題ではないとも思う。


「とりあえず、紅茶のカクテルメニューを決めないと」


 そうなぎが言うと、紫庵は「ああ、そうだな」と、うわの空で返事をした。

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