第39話 タルトを食べたのは誰?

 ユウは連日手伝いに来ていた。

 ありすにチェスを教わる目的ではあったが、注文を取ったり、紅茶を運ぶ白いコックコート姿も様になっている。


 朝食まで紅茶館の隣の洋館で一緒に食べていた。というのも、開店前にチェスを教わってから昼間だけ仕事を手伝うなら、梓が朝食も食べていくよう勧めたのだった。


「普段一人だから、こんなに大勢で朝ごはん食べるのっていいものですね!」

「えーっ、ぼっちかよ? さびしー!」


 弥月が平気でひどいことを言うのを、なぎは「みーくん!」と、つついてたしなめた。


「そうなんだよ、さびしくてね」


 ユウは一向に気にならないようで笑っている。


「ユウくん、もうすっかりここで働いている人みたいね」

「はい。僕もなんだか楽しくなってきました!」


 梓とユウが笑い合う。


「タルトを食べたのは誰!?」


 突然、赤いドレスのメアリー・アンがテーブルを叩き、立ち上がった。


「私のタルトはどこ!?」


 弥月の作ったカボチャのタルトだ。

 皆の分はあったが、確かに彼女のところには置かれていない。


「ダージリンが作ったパンプキン・タルト、さっきまでちゃんとここにあったのよ。どこに行ったの!?」


 なぎも弥月もユウも梓も、博士もありすもテーブルの下やキッチンなどあちこち探すが、どこにも見当たらない。


 インターホンが鳴り、なぎが玄関に出ると、港の見える丘ティールームの店長、湊海音がにこやかに立っていた。


「回覧板です」

「朝早くからご苦労様です」


 なぎが受け取ると、バタバタと足音が迫ってきた。


「あっ! あんたはジャック!」

「はい?」


 海音は面食らい、赤いドレスの金髪碧眼美女に釘付けになった。


「メアリーさん、戻るよう梓さんが……」


 後に続いたユウと海音が顔を見合わせた。


「あ、あなたは、ここに一緒に……まさか、なぎさんたちと一緒に住んで……」


「住み込みで働いているわけではありませんよ。朝食をご馳走になってるだけで」


 ますます海音の表情がこわばる。


「そんなに進展してたんですか? あなたたちの仲は……」

「は?」

「まさか、……結婚も秒読み……?」

「は?」


 なぎとユウが同時に聞き返す。


「私の質問が先よ!」


 メアリー・アンが遮った。


「ジャック! あんた、私のタルトを食べたわねっ?」

「な、なんのことですか? それにジャックって?」


 目を白黒させながら動揺しっぱなしの海音は、メアリー・アンとなぎを交互に見た。


 メアリー・アンの眉が、ピクッと上がる。


「その、ほっぺについているのは何よ?」

「え?」


 海音が聞き返すのを待たずに、メアリー・アンが肩に手を付いて爪先立ちになり、海音の頬をペロッと舐めた。


「なっ……! なんなんです!?」


 かああっと顔中を赤くした海音が後ずさり、隣にいたなぎも思わず後ずさった。


 メアリー・アンが舐め取ったものを口の中で味わうと、キッと睨んだ。


「間違いないわ! 私のパンプキン・タルトを食べたのはお前ね!? 頬にクリームが付いていたのが証拠よ!」


「なっ、なんのことです!?」


「裁判を開くわ! 誰か早くリゼを呼び戻しなさい! 訴状を読ませないと!」


「なっ! 何なんですか!?」


 慌てっ放しの海音を庇うように、なぎもメアリーを諭した。


「湊さんは今来たところよ? どうやってあなたのタルトを食べられるのよ?」


「だって、間違いなくさっき食べたパンプキンの味だったわ! こっそり忍び込んで食べたのよ! そうでしょ? ジャック、白状なさい!」


「知りませんたら!」


「ちょっと、メアリーさん、冷静に考えてみてよ。皆もいたんだから、忍び込めるわけないでしょう?」


「お前の首をはねるわよ!」


 なぎの話をまったく聞いていないメアリーが、海音の白いシャツの襟首を掴み、引き寄せる。

 慌ててなぎとユウが止め、なんとか海音とメアリーを引き離した。


 海音は、離れられても頬を赤くしたまましばらくメアリー・アンの顔に釘付けになっていたが、早く帰るようなぎに促され、我に返ると玄関から逃げるようにして帰っていった。


 突然、なぎたちの背後から笑い声が響いた。


「あっ! アールグレイ!」


 廊下の奥から現れた紫庵をメアリーは睨みつけ、なぎとユウは驚いて見つめた。


「相変わらずだね、メアリー・アン。彼は何も食べてはいないよ。きみのタルトはここだよ」


 紫庵が見せた皿に乗ったタルトは、指でクリームをすくい取った跡があった。


「もうっ! 紫庵たらイタズラしたの!? いつの間にか湊さんの頬にクリームを塗ったのね?」


 なぎが睨むが、紫庵はニヤニヤ笑うままだ。


「だって、あいつ、なんか気に入らないんだもん」

「そんなわけのわからない理由で濡れ衣を着せたなんて、信じられない!」

「早く私のタルトを返しなさい!」


 メアリー・アンは紫庵の手からタルトと皿を引ったくり、ウキウキとダイニングに戻って行った。


「ユウさんも、朝早くからサンキュ!」


 紫庵がウィンクすると、ユウは「いえいえ」と微笑んだ。


「悪いけど、チェスは当分ありすに習ってくれないかな?」

「それは構わないけど」

「ついでに、紅茶館の方の手伝いも続けてくれるとありがたいんだけど」

「それも構わないよ。ありすちゃんとチェスで対戦できるくらいの腕になるには、まだまだかかるからね」


 そう言って笑うユウに、紫庵はどことなくホッとしたような顔になった。


「そんなに時間がかかりそうって、何かあったの? それにリゼさんは……?」


 なぎが心配そうに紫庵を見上げる。

 気を利かせたユウは先にダイニングへと戻っていく。それを見届けてから、紫庵は真面目な表情でなぎを見た。


「グルジアが敵に捕まった」


「リゼさんのお父さんが!?」


「グルジアだけじゃない。白の国は今、例のビショップの手に握られている。赤の国にもじわじわと侵攻してきている」


「なんですって……!?」


「もはや、チェスの試合でなんとかなるような事態じゃない。アズサは長く鏡の国にいると疲労するようになってきてる。年齢のせいか、あの迷いの森で身を隠すために長くいたのが大きい。あそこは長くいすぎると自分の名前すら忘れてしまい兼ねないほど、わけがわからなくなるんだ。これ以上、彼女を危険な目には合わせたくない」


 深刻な碧い瞳に、なぎも思わず真剣な眼差しで頷いた。


「メアリー・アンとありすは、こっちにいてもらった方がいいだろう。いざという時までは」


 なぎが自分の両手を握り締めた。尋ねる前に、紫庵は答えていた。


「リゼは無事だよ。ただ、……憔悴しょうすいしてる」

「一体、何があったの?」


 ためらった紫庵は、迷いを断ち切るように、思い切ったように言った。


「なぎちゃん、鏡の国に来る勇気はあるかい?」


 なぎは驚いて、目を見開いた。

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