第55話 帰還

 弥月と紫庵、リゼの三人が顔をほころばせてハグし合い、リゼも紫庵も弥月の頭をぐしゃぐしゃと撫でていると、隠れていた兵士たちもわらわらと出てきて喜び合った。


 ジャブジャブ鳥の羽毛をくっつけまくった博士がやってきて、「よくやった!」と三人を労った。


「博士、羽だらけになって何してたんだよ?」


 弥月が笑うと、博士は片眼鏡をちょうどいい位置に直してから答えた。


「むろん、お前が早く料理に取りかかれるよう、下ごしらえの前に邪魔な羽を抜いておったんじゃよ」


「それは助かるけどさ、危ないぜ? もう年なんだから気を付けろよ」


「ワシはそんなに年ではない!」


「博士は自分が早く食べたいんじゃないの?」


 紫庵がわざと意地悪に笑う。


「それはそうじゃ! 前代未聞のメインディッシュなんじゃからな!」


「年寄りのクセに食い意地張ってるねぇ!」


 四人で戯れているところに、赤の城からは白のキングとクイーン、ナイトがやってきて、その後ろからありすとなぎも続いた。


「みんな、よく頑張ったね! ありがとう!」


 そう言って珍しく笑顔になって駆け出したありすを、リゼも弥月、紫庵が交代で抱きしめ、その後、弥月などは手を取り合ってぐるぐると回っていた。


 きゃっきゃ喜び合うありすと弥月の先に、リゼはなぎの姿を見つけると駆け出した。


 なぎも泣きそうな笑顔になって走り出す。


 ポン! と、リゼが唐突にウサギ化した。

 飛んでいった白ウサギは、なぎの足の周りをぐるぐる走り回っている。


「あ〜あ、こんな時に。リゼも間が悪いね!」


 紫庵が肩を竦める。


「ううん、いいの! 無事ならどんな姿でも」


 目尻を指で拭うと、なぎは石のチェス盤のような模様の地面に座り込み、ウサギの足元から掬うようにして膝の上に乗せた。ウサギは、ふんわりとしたワンピースのスカートの上でなぎの方を向いて頭を差し出し、撫でられながら紅い瞳を細めていった。




 赤のキングも、ようやく目覚めた。

 白の国、赤の国共に兵士たちが協力し、壊れた広場の建築物などの残骸を片付ける者と、石や岩を集めて調理場に仕立てる者もいた。


 白の国の、黒い衣装の少年ビショップの隣には、似たような年頃に見える白い衣装の少年ビショップがいた。リゼが裁いたのだろうと、なぎたちには見当がついた。


 赤と白の兵たちが縛り上げたバンダースナッチは弥月が包丁でぶつ切りにしていき、弥月と博士の指示で皆で網に包み、ハーブを挟み入れた。

 赤の国の料理屋でもあちこちで大鍋の水を沸かし、それらを分担して茹で始めた。


「こっちの鍋では、カレー味にしてみようぜ!」


 料理屋に弥月が指示し、スパイスなど準備させた。


「ああ、カレーはインドからイギリスに伝わったんだもんね。みーくんもインドに行ったことあるって言ってたし」


 見ていたなぎは一人で納得し、頷いた。


 茹でると、バンダースナッチの皮はつるんと剥けた。その後は、弥月と博士の調合した調味液に漬け、紅茶の茶葉と一緒に鍋で煮込んだ。


 ローストしたジャブジャブ鳥とジャバウォックも、炭の塊をどけたりはらったりしながら弥月が切り分け、それぞれの大きな塊を城の調理係であるウサギやネコの獣人メイドたちがスライスしたり、一口サイズに切っていった。


「これで、やっと皆で横浜の紅茶館に帰れるのね!」


 なぎが嬉しそうに、ヒト型に戻ったリゼと紫庵を見ると、二人は「あ……」と、顔を見合わせた。

 妙に思ったなぎは、ありすを振り返る。


 紫庵が頭をかきながら、言いにくそうに答えた。


「えっと、その……僕たちは、鏡の向こうに——ヨコハマにメアリー・アンを迎えに行ったらこっちに連れて帰って、その……、元々はの住民だから、危険がなくなったなら、ありすたちも城に戻ってこられる。だから、ヨコハマに帰るのは、なぎちゃんだけ」


 なぎはハッとして三人を見回し、生き生きと料理をする弥月や博士にも視線を向けた。


「……そ、そっか……そうよね……、そうなるわよね……。今さら皆が紅茶館をやる意味はないんだもんね」


「アズサから、自分が帰るまでなぎちゃんを手伝って欲しいとは頼まれてもいたけどさ、アズサも戻ったから紅茶館も二人でなら出来るでしょ? もうなぎちゃんだって上手にお茶を淹れられるようになったんだし」


 リゼとなぎの目が合う。

 それに気付いた紫庵は、さらに言いにくそうに続けた。


「アズサにも挨拶しなきゃだから、とにかく送るよ、皆で」


「その前に」


 紫庵の後ろからやってきた弥月が、手を腰に当てて言い放った。


「皆でパーティーだぜ! なぎも、帰るのはそれからでもいいだろ?」


 なぎには弥月の言葉が救いに思えた。


「そうね。みーくんの作った料理も食べてみたいし」

「じゃあ、オレと博士はこっちで作ってるから、メアリー・アンを呼んで来てくれ!」


      *


 休憩室の鏡を通り、なぎはありす、リゼ、紫庵と一緒に戻った。


 紅茶館の店内に歩いていくと、紅茶をアズサが淹れ、ユウが運び、メアリー・アンは赤いドレスをつまみ上げ、四つん這いになった客の背を踏みつけていたところだ。


 「ああ、女王さま! もっと!」「これこそ至福の時!」などの声を上げる客たちに釘付けになったなぎは、開いた口が塞がらなかった。


「……ますます様子が変わっちゃってるわね。……あら? 湊さん?」


 なぎと目が合うと、黒髪イケメン青年がハッとなった。

 手に持っている花束を見てから、湊海音みなと あまねの顔へと視線を戻す。


「あら、ジャック、いたの?」


 冷たい視線を投げかけたメアリー・アンへと二、三歩駆け出すと、海音は片膝をつき、花束を差し出した。


「僕のクイーン、どうか今日こそは、僕の愛を受け取ってください!」

「私は子持ちだって言ってるでしょ! 何度言ったらわかるの!?」


 メアリーは花束を引ったくると、つかつかと後ろへ回り、海音の背を蹴り飛ばし、赤いハイヒールのかかとで踏み付けた。

 海音は「ああっ!」と歓喜の声を上げていた。


「そんなことよりも、お前は私にラズベリータルトを返しなさい! 昨日食べようとしたらなくなってたのよ。犯人はお前だってわかってるんだからね、ジャック!」


「ああっ! クイーン! タルトのことは本当にわからないんです!」


「だったら、お前のことは赤の国で裁判にかけてやるからねっ!」


 ガツガツと蹴られながら、青年の顔は幸せの絶頂へと変わっていく。

 なぎは見ていられず、目を逸らした。


「ちょっと、アマネくん! いい加減働いてよね!」

「いつまでお店休業にしてるのさ!」


 ゴスロリ双子が乱入して、海音を引きずって帰っていく。


「ああ、僕のクイーン! 明日も行くから待っててー!」


 遠のいていくそんな言葉を聞きながら、なぎたちは無言になっていた。


      *


 横浜から連れ帰ったメアリー・アンも赤の城に戻り、キングと再会を果たした。

 わーん! と泣きつくと、彼女よりも背の高い、がっちりとした体型のキングがよしよしとにこやかに頭を撫でた。


 なぎには、紅茶館で客を踏ん付ける彼女とのギャップが大きかったせいもあり、可愛く思えた。


 弥月たちの料理も並べられ、白のキング夫妻もリゼの取り返したロッドを手にし、パーティーに加わった。


 紫庵とリゼ、博士、他のお茶係たちも紅茶の用意に忙しい。なぎもお茶を淹れるのを手伝おうとしたが、ありすと一緒に座るよう、リゼたちに言われた。


 白ワインに浸したジャブジャブ鳥の香草焼き、パン粉とハーブをまぶして揚げたり、蒸してサラダの上に乗せたり、あるいは豪快に焼いただけのものもあった。


 おそるおそるなぎが口にしてみると、脂身の少ない鶏肉のようで意外に美味しかった。


 バンダースナッチの紅茶煮は余分な油分は落ちていて、紅茶のせいか後味がさっぱりしている。みじん切りにした香味野菜と酒を使った、弥月特製のタレをかけて食べたり、オーブンで焼いた焼き豚風やスペアリブ風のものもあり、こちらも意外と美味しい。

 毛に覆われていた時は見えなかったが、中身の肉は小豆ほどの黒い斑点が点々とあり、それは煮ても焼いても残っている。


 ジャバウォックのローストビーフに似たものは、格別に美味いと好評であった。

 紫庵がハーブをくるくると巻いて、口に頬張っている。

 なぎもありすも真似をして食べてみると、周りに擦り込まれたスパイスが辛すぎずにちょうどよく効いていて、肉の臭みはない。食感はしっとりとしていて、噛むと溶けていくようであった。


 ぶつ切りにしてハーブバターを乗せ、ステーキにしたものもあり、紫庵はそれにもがっついていたが、猫舌なので、もどかしそうにふーふーと冷ましながらである。


 パーティーは、城の中でも外でも大騒ぎとなっていた。


 紅茶を淹れるのを交代したリゼが隣に来て食べ始めても、なぎは特に話もせずに食べ、弥月と紫庵、博士の普段のやり取りに笑い、ありすともにっこり笑い合う。


「美味しいですね」

「え、ええ。さすが、みーくんよね」


 リゼが話しかけても、なぎはそわそわと落ち着かない気分でいた。


「あの、なぎさん、話さなければならないことがあるんです。時の番人のことや、ぼくたちに関わることと、今後のことも」


 びくっとして、なぎは顔を上げた。


「今後……」

「そうです」


 リゼの真面目でどこか切なく見える表情から、すぐに顔を逸らしてしまった。


「後で聞きます。今は、みーくんのお料理を味わいたいから」

「……そうですね。じゃあ、後にします」


 リゼがそう言うと、なぎは席を立ち、弥月のところへ料理を取りに行った。


「おう! なぎ、美味いか? もっと食え!」

「ありがと! どれもとっても美味しいからいただくね!」


 しばらくそこで弥月と楽し気に話し、お代わりを取りに来たありすとも楽しそうに話すのを、リゼは遠くから眺め、ふっと小さく笑った。


 やっとリゼの近くに戻るが、間を開けて座る。


 なぎは、リゼと話すのが怖かった。

 別れを切り出されそうだと思うと、どうしても避けてしまう。

 リゼも何かを言いたげな顔にはなるが、ためらっていた。


 もっと話したいのに……。

 ……って、何を?


 話したいことはたくさんあったはずなのに、何をどう話していいのか、なぎにはわからず、自分の中でも曖昧にしてしまったまま、パーティーは終わった。




「あ、あの、わたし、ありすちゃんのお部屋で一緒に寝ますから」


 リゼの部屋の前で、顔を上げずになぎは言った。


「……わかりました。では、話はまた明日にでも」

「……はい」

「おやすみなさい」


 リゼが一歩近づくと、「おやすみなさい」と返し、避けるようにして背を向けたなぎは、隣のありすの部屋のドアをノックした。


 リゼは何も言わずに、自分の部屋に入った。


「ありすちゃんはプリンセスなんだもんね。ベッドも広くていいわね!」


「ここで一緒に寝て」


 ありすに言われ、なぎは嬉しそうにベッドに横たわってから、絵本を読み聞かせた。


「ありすちゃんとも、もうすぐお別れか……。わたし、ありすちゃんには元気付けてもらってきたから、すごくさびしいわ……」


 ありすは、なぎの方に淡々とした青い瞳を向ける。


「あたしも楽しかった。ナギはママより喋ってくれたし、やさしかった」


「そ、そうなの?」


 なぎはありすを見つめ直した。


「ナギは、リゼのこと、嫌いになっちゃった?」


 思わず驚いて、目を見開いた。


「……えっと、……そういう風に見えたかしら?」


 ありすが頷く。

 少し考えてから、なぎは微笑んでみせた。


「リゼさんには、ありすちゃんのお世話係っていう重要な役目があるわ。メアリー・アンさんにも信頼されて任されてるわけだから、この国のプリンセスのありすちゃんといつも一緒にいないとね」


「あたしのせい?」


「えっ!? そんなことないわよ! わたしの問題……なんだと思う……」


「リゼ、いらない? キライ?」


「そ、そんなことないわ! 好きよ。だけど……悲しいけど、住む世界が違う人同士はむずかしいのよ。リゼさんだって、きっと……」


「ちゃんと話して、リゼと」


「え、……ええ、そうね……今度ね……」


 なぎは気のない返事をした。

 それきり、ありすは何も言わなくなり、なぎも黙った。


 ふかふかのベッドに、ふんわりとかけられた毛布。


 寝心地はいいはずなのに、よく眠れない——


      *


 いつの間にか眠っていたなぎは、目を覚ました。

 ぼんやりと辺りを見回すと、紅茶館の休憩室で、紅茶の本を開いたままテーブルに俯せて眠っていたことに徐々に気が付いていった。


「え……? いつの間に戻ってきてたの? 皆は……?」


 独り言を言いながら急いで立ち上がり、じっくりと辺りを見回した。


 窓の外は、まだ明け方で薄暗い。

 そばに置いてあるスマートフォンを見ると、日付けは、なぎが弥月とありすとでクイーンの塔に行ってから三日ほどしか経っていない。


 紅茶館の店内には誰もおらず、二階にも、中庭を通って洋館にも行ってみるがどこの部屋にも人の気配はなく、静まりかえっていた。


 独り……?

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