第15話 月とウサギと猫 その2

『お姫様のキス、つまり、きみのキスで、僕たちは元の姿に戻れるんだ』


「それを書いてるのが紫庵ってところが、信憑性がないというか」


 呆れた顔で、なぎは溜め息を吐いた。

 まったく、本気で取り合う気にはなれない。


 もう一度庭に出ると、猫とうさぎはまだいた。


 白い毛に濃いグレーの毛がマーブルのように渦巻く猫は、なぎが近付くと、フーッ! と背中の毛を逆立て、飛び退いた。


「猫になっても、半径1m は近付かない約束を守るっていうのかしら」


 なぎは苦笑いになる。


「シアンは誰にも慣れない」

「そうなの? ちょっと意外だわ。それじゃあ、『お姫様のキス』がどうのこうの言う以前の問題じゃないの」


「おなか空いてる時だけ寄ってくる」

「ああ、ゲンキンなのね……」


「それと、きれいなおねえさん……」

「ああ、やっぱり、ゲンキンなのね……。そして、威嚇いかくされたわたしは『きれいなおねえさん』には当たらない、と?」


 はいはい、わかりましたー、とばかりに苦笑いのまま、なぎは猫を見下ろした。


 ありすは階段に座ると、ぴょこぴょこ寄って来た茶色のウサギを膝に乗せた。


「わぁ、それ、みーくん?」


 長い耳を垂れた茶色いウサギは、花の茎を口にくわえ、もぐもぐ食べながら、丸い瞳でありすとなぎを交互に見ている。


「かわいい!」


 なぎは、そうっと背を撫でてみたが、ウサギはまったく気にしない様子で、花を食べ続けていた。


 白ウサギは、遠く離れたところから動かず、見ているままだった。


「リゼはいつも遠慮してる」


 ありすは茶色いウサギをなぎの膝に乗せると歩いていき、白ウサギの足の下に手を入れて抱き、なぎの隣に戻って座った。


 白いウサギは目を細め、ありすの手の甲をペロペロとなめた。


「かわいい!」


 なぎが思わず笑った。

 

「ナギも手を出してみて」

「えっ、大丈夫かなぁ」


 なぎが、そっと人差し指を曲げてウサギの鼻に近付けると、ウサギは、なぎの指もペロペロとなめた。


「くすぐったいけど、かわいい」


 猫の舌のようにザラザラではなく、張り付くような、しっとりとした感覚は、幼い頃に動物園でうさぎを抱いて以来だと、なぎは思った。


 そして、思い出した。

 まだなぎが小さかった頃、祖母がこの庭でうさぎを飼っていたことがあった。あの時は、ピーターラビットのような、茶色い、耳がピンと立ったうさぎと、他にもいたような……?


 茶色いウサギは花を食べ終え、なぎの膝から脱出すると、ぴょんぴょんと庭を跳ね回った。

 ありすは白ウサギをなぎの膝に置くと、茶色いロップイヤーのウサギを追いかけ、楽しそうに走り回った。


「ありすちゃんは、みーくんと遊んでる時はいつも楽しそうね」


 微笑みながら、なぎはその様子を眺めている。


 ふと、膝に視線を落とす。


「ホントに、これがリゼさんなの?」


 ウサギの白いふわふわの毛をやさしく撫でていると、ウサギは背を丸め、うとうとし始めた。


「……皆は、にいて楽しい? 自分たちのいた鏡の向こうの世界でなら、こんな不具合もないだろうから、面倒じゃないんだよね?」


 茶色いウサギを捕まえそこなったありすが、なぎを振り返る。


「それでも、リゼだけは、やっぱりウサギになっちゃうの」

「え、そうなの?」


「『時の番人』は、もともとウサギに良く似た形をしてるみたい。だからリゼは、その国での住人のような姿になってはいても、どこの世界に行ったとしても、異常現象が起きる。でも鏡の国でも」


「リゼさんに限っては、姿という異常現象なのね? 化け切れないというか……」


 こっちが本当の姿だったの?


「不思議過ぎて、とてもすぐには信じられないわ……」


 受け入れ難い気持ちで、なぎは、まじまじと白ウサギを見つめた。


「シアンも、みーも、耳と尻尾は赤の国でもあったよ」


「……ケモ耳と尻尾はあったのね?」


 やっぱり普通じゃない。


 なぎは苦笑いをした。


「『白の国』っていうのもあるの? そういえば、ありすちゃんが動かしてたポーンの兵士は、赤い色だったよね?」


「そう。赤の国と白の国は仲は良くて、兵士たちを使って時々チェスの試合をするの。その結果次第では、キング同士がケンカになることはあるけど、戦争みたいなことにまではならない」


「そ、そうなんだ? 国同士は友好的な関係ではあるのね? それなら良かった」


 なぎは少し考えてから、ありすに尋ねた。


「『時の番人』っていうのは? どこか別の国に住んでるの? 赤の国とも白の国とも違うの?」


 ありすは普段と変わらず表情のない顔で告げた。


「『時の番人』の故郷は、もうないって聞くわ」


「……え?」


「帰る場所のなくなってしまった『時の番人』は、各世界に散った。『時』が正常に進んでいるかを静かに見守って、時々連絡を取り合ってる」


「じゃあ、リゼさんは、……赤の国の『時』が正常に進んでいるかを見守るために……、赤の国に来たの?」


 考え考え、なぎは自分でもはっきりと理解したわけではないまま尋ねた。


「あたしが生まれる前からリゼは赤の国に来ていて、宮廷に勤めて、親切にしてくれた。だから、もとから赤の国の住人とばかり思ってた」


「そうなの? ありすちゃんでさえ知らないことなのね」


 膝の上の白ウサギは、完全に眠っていた。

 なぎには、これまでの旅の疲れが出たようにも思えてくる。


「最初は誰も知り合いのいない国に来て心細かった? だけど、紫庵やみーくんたちとも知り合って、気が合って、赤の国が居心地良くなったのかな?」


 ウサギをゆっくり撫でながら、リゼの性格が歪まなかったことを良かったと思った。


「ところで、彼らは、いつ元の姿に戻るの?」

「そのうち」

「なぁ〜んだ、やっぱりキスなんてしなくても元に戻るのね」


 ホッとして笑うなぎだったが、ハッと、ありすを見た。


「それまで、紅茶館の紅茶は……!?」


「博士もまだ戻らないし、……ナギが淹れるしか……」


 なぎの顔は青ざめていった。


「そそそ、そうだよね? わ、わたしが淹れるしか、……ないんだよね?」


 芝生で飛び回る茶色いウサギに、毛繕いをしているマーブル模様の猫、そして、自分の膝の上で眠る白いウサギ。


「頑張るけど……皆、早く前の姿に戻ってね……」


 不安にかられながら、なぎは動物たちを見回し、そう語りかけていた。

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