第16話 月とウサギと猫 その3

「ダージリン一つ、アッサム・ミルクティー一つ」

「はい!」


 ありすの声になぎが応え、用意に取りかかる。


 手の込んだ紅茶はとりあえずメニューから外し、休憩時間には祖母の勧めた紅茶の本を見直したり、ありすに教わったりしながら、なぎが基本的な紅茶だけを淹れる。


 普段彼らが淹れているところも見ていて、待ち時間や加減などはなんとなくわかってきたつもりだ。


 茶請ちゃうけは、弥月が作っておいた日持ちのするクッキーでしのいだ。


 二人連れの男女が紅茶を飲み、「美味しいね」などと話す声が聞こえるとホッと安心し、「別に普通だね」などの声が聞こえた時は、「……まあ、普通であればいいか。マズかったらダメだけど」と思うようにして気持ちを切り替え、仕事に専念することにした。


 少しずつでも客は増えている。

 向かいの『港の見える丘ティールーム』は常に混んでいるのが見える。並ぶのが嫌だという客がこちらに流れてきている。


 ゴスロリ双子に対抗してイケメンで客に呼びかけることが出来ない今は、でも助かっている。


 三日ほどすると、紫庵と弥月は自動的にもとの姿に戻っていた。

 庭には、白いウサギだけが残る。


「なんか、リゼがいないと面倒臭いなー」


 洗濯物を干しながら、紫庵が欠伸あくびをする。

 隣で、さっさと弥月が干していくのを横目で見た。


「お前、ちゃんと干せよ」

「紫庵こそ早く干せよ。オレの方がさっきからたくさん干してるんだぜ!」


「雑なんだよ」

「乾けばいいじゃん!」

「歪んだ服なんか着たくないね!」


 ぎゃあぎゃあ文句を言い合っていると、なぎがベランダにやってきた。


「手伝う」

「あ、サンキュ」


 弥月がなぎに場所を譲り、紫庵の方に詰めると、そこでまた狭いなどと言い合いになる。


 淡々と干し終えたなぎは、「じゃ」というと、すたすたとその場から去っていった。


「あ、サンキュ……」


 弥月と紫庵は、怒っているわけではなさそうだが上の空な彼女を、目だけで見送った。




 仕事の後、弥月と紫庵がまたしてもぎゃあぎゃあ騒がしく夕食を用意している間、ありすはリビングでTVを見ていた。


 なぎは洋館の入り口の階段に座り、頬杖をついて白いウサギを眺め、ぼうっと考えていた。


 リゼさんだけ元に戻らないのは、……わたしがリゼさんに対して、避けてるような態度を取っちゃってたからかも知れない。


 白ウサギは、どこか落ち着かなそうにウロウロしている。

 猫と茶色いウサギがいないから探しているのだろうと、なぎは思った。


「そうだよね、自分しかいなかったら淋しいよね」


 ありすに教わったように、足元からすくうようにウサギを抱く。ウサギは戸惑うように、膝の上でも辺りをキョロキョロ見回している。


「リゼさんのことがイヤになったわけじゃないの。ただ、世界の違う人に対して、どういう風に接したらいいかわからなくて……」


 小声で、ウサギに話しかけた。


 だが、紫庵と弥月には、これまでと接し方は変わっていないと自分でも思う。


 なんで、リゼさんにだけ……?

 なんか裏切られたような気になったから?

 悔しかったの?


 違う世界の人だってことが?

 世界の違う人だからって区別するのは当たり前……じゃない……?


 ウサギの背を、そうっと撫でる。

 ウサギは、まだ落ち着かない。


 リゼさんはリゼさんであって、住む世界が違うなんてことを知らなければ、仲良く出来たのに。


 だとしたら、どうして、ありすちゃんや紫庵、みーくんとは、これまで通りに付き合えるの?

 世界が違うのを理由に、その人を嫌うなんてひどい……よね。


 考えているうちに、ハッとした。


 踏み込むのがこわいから……


 その思い付きが、頭から離れない。


 これ以上リゼに親しみを感じ、興味を持ってしまうことが、きっと怖いのだ、と。

 違う世界の人に、必要以上に興味を持つことが。


 それは、もしも、好きになってしまったら……ということ?


 好きになるわけにはいかないなんて、そんな心配、今からすることないのに。


 目の高さに、ウサギを持ち上げる。


 心なしか、ウサギが少し小柄に、軽くなった気がする。

 食欲がなくなるほどストレスになっていたのだと、なぎは思った。


「わたしが避けてきちゃったから、リゼさん、もとの姿に戻るのイヤになっちゃったの? 博士が帰って来て、リゼさんの時計が戻って来たら、他の世界に行っちゃうの?」


 途端に、喪失感のようなものにおそわれた。


「……ごめんなさい」


 ウサギを軽く抱きしめたなぎの目が、潤んでいく。


「……行かないで」


 そう言った時、涙がこぼれ出した。


「ただいま。あれ?」


 聞き覚えのある柔らかい男の声に、なぎは顔を上げた。


 大きく目が開く。


 明るい赤茶色のふんわりした髪、紅茶色の瞳。

 玄関の門を開けて入って来たのは、リゼだった。


「……えっ? えっ?」


 なぎは、膝に抱くウサギとリゼとを、何度も見た。


「……ええええっ!?」


 声に驚いて、ウサギは逃げ出した。それをリゼが抱き上げる。


「良かった、ここにいたんだね!」


「リゼさん、ウサギになってたんじゃなかったの!?」


 動揺するなぎとは反対に、リゼはいつもの笑顔だった。


「なってましたよ」

「じゃあ、なんで!?」


「近所の子が飼っていたウサギが逃げて、この庭に紛れ込んだみたいなんです。昼間探しに来たお子さんが、この子と僕を間違えちゃって。その子の家からこっそり抜け出してきたら、ちょうど元に戻ったんです」


 またしても信じ難い話に、なぎは、あんぐりと口を開けていた。


「なので、、今急いで返してきちゃいますね」

「あ、わたしも行きます!」




 なぎはウサギを返した時に、自分の家でも時々うさぎを庭に放すことがあるから、まぎれた時は声をかけて欲しいと、その家の人に丁重に頼んだ。


 帰り道、リゼと並んで歩く。


「あの、紫庵の手紙が途中だったので、異常現象のことはありすちゃんに教えてもらったんですが……」


「手紙が途中? 紫庵のヤツ、しょうがないですね」


 リゼは、あははと笑った。


「ウサギになっていた間の記憶ってあるんですか? 紫庵たちは、なんとなくはあるみたいでしたけど」


「もちろんです。ありすから聞いたと思いますが、僕は本来あの姿なので」


「ああ、そっか」


 にこっと笑うリゼに、なぎも笑ってみせた。


 少しの間、無言でいると洋館の表門に着いた。門を通り、庭に入ると、リゼが切り出した。


「さっき、泣いてましたね」

「え? あ、ああ、そうだったかな」


 なぎは、ごまかした。


「何か嫌なこととかあったんですか? お店のこととかで」


 リゼは、気の毒なほど、なぎの身を案じるように心配そうな顔になっている。


「ぼくで良ければ愚痴でもなんでも聞きますから、言ってください」


「い、いえ、愚痴とかじゃなくて……ホントにもういいんです」


「だって、なぎさんが泣くなんて今までなかったから、よっぽどのことかと」


「よっぽどのこと……?」


 なぎの顔が、うっすら赤くなっていく。


「全然たいしたことじゃないから、大丈夫!」


 さっさと玄関から上がると、なぎは早歩きでキッチンへ向かった。


「ああ、リゼ、戻ったんだね」


 紫庵が紅茶を淹れ、弥月がオムレツを作っている。


「あれ? なぎちゃん? 夕飯……」


 紫庵が呼び止めるのも聞かず、なぎはさっさと紅茶館に戻ってしまった。


「……なんか、ぼく、まだ避けられてる気がする……」


 少し落ち込んだ声のリゼが、小さく溜め息を吐いた。

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