第4話 ライバル店
はあ。なんだか勢いで紅茶館を再開することにしちゃったけど、わたし、大丈夫なのかな?
でも、知らないところでバイトするよりもいろいろ安心だし、気持ち的にもなんだか張り切ってるみたい……?
何より、あのストーカー上司もいないことだし。
会社にももう行かなくていい。
最後の挨拶だけで、もう何もかも終わるんだから。
そうしたら、新しい生活を始められるんだから……!
もうあいつに怯えなくて済む!
ベッドにうつ伏せたなぎは、隣のベッドで寝入っている整った顔のありすを見つめるうちに、頬が持ち上がっていくのが自分でわかる。
「不思議な子だなぁ、ありすちゃんて。この子がいてくれるだけで頼もしい気がする。あの従業員男子たちは
遊びに来る度に眠っていたこのベッドも久しぶりだな、と思ううちに、なぎはすーっと眠りに落ちていた。
懐中時計を持ったリゼが、休憩室に顔を出す。
「あちらの開店時間になりました」
セミロングの髪を、最後に暖炉の鏡でチェックしてから、落ち着いた色のワンピースを着たなぎが振り向いた。
「まずは偵察に行ってきます。ありすちゃんと博士は、お店で待っていてください」
なぎと従業員たちは裏手から出て行った。
観光客を装うため、わざわざ外人墓地の前の通りまで行き、Uターンする。
なぎを先頭に、黒い長髪を後ろで編み、黒い服を着た、ミュージシャンかアーティストに見える
黄色いTシャツに緑色の短パンにスニーカーの金髪というカラフルな出で立ちの
まったく、道路からまっすぐなこんな道もちゃんと歩けないのかと、内心なぎは呆れた。
右にはローズガーデンが見えて来る。その先が、なぎたちの『港の見える紅茶館』だ。
左手はフランス山へと差し掛かる、その手前だった。
『港の見える丘ティールーム』。ライバル店だ。
『港の見える紅茶館』と名前が似ていて、老舗店と間違える観光客も多い。
「はーい、いらっしゃーい! 『港の見える丘ティールーム』は、こっちですよー!」
「ガイドブックにも載ってて、SNSでもバエるちょ~評判いい喫茶店は、こちらで~す♡」
店の前で声を張り上げる美少女二人が目に留まる。
黒いゴシック・ロリータ・ファッションにツインテール。一人はストレートでつり目、もう一人はくるくると丁寧に毛先まで巻かれた、目尻の下がった少女だった。
「あの子たちが呼び込みしてるんだよ」
甘い声に耳元で囁かれ、びっくりして、なぎがよけた。
隣で耳打ちしていたのは紫庵だった。
「そんなに近付かなくてもいいでしょ」
「向こうに聞こえないようにと思って」
ニヤニヤ笑う紫庵を睨むと、なぎはティールームに向かう。
「あー、いらっしゃいませー」
ストレートのツインテールが、二人に気が付いた。
「四人で……」
「二人です」
紫庵が、なぎの声を遮ったと同時に肩を抱いた。
「は~い、お二人さまですね~。どうぞ~♡」
巻き毛の方が店の中に案内する。
「ちょっと何してんの」
なぎが紫庵から離れた。
「みーくんたちも待ってあげないと」
「あいつらも二人組の客ってことでいいんじゃない?」
「あの二人、兄弟にも見えないし、友達にしてはタイプが違い過ぎるから変じゃない?」
「そんなの知らないよ」
にっこり笑顔になると、紫庵はなぎをカウンター奥に座らせ、隣に腰掛けた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中にいたのは、なぎや、紫庵、リゼたちと近い、20代半ばか後半くらいだろうか、笑顔の印象的な青年だった。
サラサラヘアに切れ長の瞳、さわやかな笑顔!
少女漫画に出て来る主人公の恋人みたいな、日本人のイケメン……!
それが、なぎの第一印象だった。
「てっきりシブいマスターが、コーヒー豆をごりごり挽いてるのかと思ったら……!」
「なぎちゃん、ここはティールームだよ。コーヒーじゃなくて、紅茶」
「そ、そうよね。ん? 今、なぎ
「だって、僕たちは今カップルなんだから。あ、それとも呼び捨ての方が好み? もしかして、『子猫ちゃん』の方が良かった?」
「やめてよ。別にカップルじゃなくても友達設定でも問題ないんだからね」
「え~、それだとイチャイチャ出来ないし」
「する必要ないでしょ!」
「あの、ご注文は?」
小声で紫庵と話していたなぎは、我に返った。
「店長の
「あ、どうも」
なぎは、ぺこっと頭を下げると小さくなって下を向くが、隣にいる紫庵は「どうも」と軽く言ってから、「アールグレイ」と言った。
本名を名乗ってどうする……いや、違う、注文してるんだ、と思い直し、「あ、わ、わたしも同じものを」と慌てて言った。
遅れてきた弥月が、カウンターに座るなぎたちを見て「あーっ、先に注文しててずるい!」と声を上げたが、リゼがテーブル席まで引っ張っていった。
「彼らは何を頼むのかしら?」
「弥月は本名の通りダージリン、リゼはこの店にチャイがなければアッサムのミルクティーだろうね」
木目調のテーブルと椅子に、明るい茶系のフローリング、白い壁に窓枠とそこから下はペパーミントグリーンの板が貼られ。ところどころに飾られる銀細工や小さな額縁に入れられた街中の絵。
カジュアルなイギリス風の店内に思えた。
ポットと一緒に渡された砂時計の砂が全部落ちた頃、白いティーポットから、紫庵がカップに注ぐのを真似て、なぎも自分の分のティーポットから注いだ。
途端に、オレンジのような柑橘系の香りが舞い上がる。
ベルガモットの香りだ。
「美味しい……。香りのせいか、なんだか気分が安らぐわ」
「アールグレイの
解説を終えてから、ふーふーと紅茶に息を吹きかけている紫庵を見て、なぎは尋ねた。
「猫舌なの?」
「……悪い?」
機嫌を損ねた顔で横目になる紫庵を見て、思わずくすくすと笑いがこぼれた。
完璧なイケメンよりも、ちょっと残念なところのあるイケメンには、少し好感が持ててしまう。
「それより、蒸らした茶葉は引き上げておいた方がいいよ。お茶が渋くなるから」
紫庵のポットから取り出したティーバッグが小皿に置いてあるのを見て、慌ててなぎもティーバッグを小皿に置いた。
「……っていうか、これ、ティーバッグだったの!?」
博士のようなブレンダーがいて、茶葉にもそのブレンドにもこだわってきたであろう祖母の店が、ティーバッグに負けた?
なぎにはしばらく信じられず、ショックを隠し切れないでいた。
その様子を見ながら、紫庵が言った。
「ティーバッグも、ちゃんと選んでちゃんと淹れれば美味しいよ。店長さんはさすがよくご存知だね」
「ありがとうございます」
湊海音が微笑んだ。
なぎはその笑顔に目を留めた。
紫庵のようなニヤニヤと人をからかう笑顔とは違う、ちゃんとした笑顔だと思った。
「茶葉を使って淹れるのは、一人だと大変だもんね」
「はい、それもありますが、あえて使ってるとも言えます」
「あえて?」
紫庵の水色の瞳を見据え、海音は屈託のない笑顔で言った。
「カフェインレスなんですよ、これ」
「カフェインレス!」
水色の目が見開かれた。
「はい。まだ時間も早いですし、お客様は昼食や午後もカフェなどでお茶やコーヒーを召し上がるでしょう。カフェインの取り過ぎは身体に良くありませんので、僕なりに考えたつもりです」
「どうりで渋みが少なくて、だから香りで楽しめるように強めに香りが付いていたのか……」
なぜか
「カフェインのせいで一日に飲めるお茶の量が限られてしまうんだよ、特に西洋人は。カフェインがないなら何杯でも飲める、そんな夢のようなお茶が、ここに……!」
「多少渋味があってクセがある方が僕は好きだけど、カフェインの壁には逆らえない……!」
ぶつぶつ言うと、紫庵は打ち拉がれたように、パタン! と、カウンター・テーブルに俯せた。
「あのさー、飲み終わったんだけどー」
なぎの後ろには、弥月とリゼが目を丸くして立っていた。
「紫庵は、どうかしたんですか?」
「ええ、なんかよくわかんないけど、
リゼになぎが答える横で、弥月が紫庵の肩をつつくが、紫庵は取り合わずに呟いた。
「そして、どうしてお茶は、ポットから器から全部あたためた方が美味しいんだ。猫舌にはツライ……」
「アールグレイならアイスティーでも美味しいじゃん」
「アイスティー!」
弥月の声に、ガバッと紫庵が起き上がった。
「僕としたことが、なんで思い付かなかったー!?」
「……イカレてるからじゃね?」
だんだん恥ずかしくなってきたなぎは、早く退散しようと席を立った。
「ところで、なぎさん、あのぅ……」
言いにくそうに、リゼがモジモジと切り出す。
「その……、とても言いにくいんですが……財布を忘れてきたみたいで……」
しゅんとしているリゼを見て、唖然とした。
残念イケメン、ここにも……。
なぎは、4人分の紅茶代と、弥月の食べ散らかした茶菓子代を支払った。
※ベルガモットの「ベルガモチン」という成分が体内の酵素の働きを阻害するため、降圧剤などを服用している場合は、降圧剤の効果が強くなり、思わぬ症状が出る事もあるので、飲用を控えた方が良いと言われています。
『英国紅茶専門店ロンドンティールーム』より
http://www.london-tearoom.co.jp/episode/2015/04/23/flavoredtea/
※カフェインで見ると、紅茶はだいたい一日六杯くらいまで、コーヒーは一日三杯くらいまでを目安に、と言われています。
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