第3話 従業員で居候

 狐につままれたように、なぎの思考は止まっていた。


 彼らとおばあちゃんとの間では、どんな決まり事があったのかしら?

 普通の「大家兼雇い主と従業員」とは違うような……ファミリーのようなフランクな付き合いだったのかな。


 なぎは改めて青年たちを見回した。


「もともと祖母と一緒にお店を経営していた皆さんに手伝っていただけるのでしたら、もしかしたら、……紅茶館を再開出来る……のかしら?」


「全然OKだぜー!」


 金髪褐色少年が勢いよく拳を振り上げて笑った。


「アズサの頼みだから、もちろん僕も手伝うよ」


 ふっと笑みを浮かべ、艶やかな黒髪をかき上げた青年も言う。


「ありすもぼくたちもアズサと一緒にやって来て要領はわかってます。どうですか、なぎさん、やってみますか?」


 柔らかい声の赤毛の青年が尋ねた。


 既に経験者である従業員たちがいるなら、素人の自分が加わってもなんとか店は回るのではないか、という気がしてくる。

 ありすを含め、どこか現実離れした雰囲気の彼らは、生身の人間というより妖精に近い存在にも一瞬思えたが、外国人だからそう見えるのだろう。


 それに、知らないアルバイト先でまたセクハラやパワハラに遭ってしまったら……?


 それが一番の心配事だ。


 ああいうやからは、いつどこに潜んでいるのか、事前にはわからないんだし。

 でも、おばあちゃんともファミリーのように付き合って経営して来た彼らなら、そんな心配はいらないし! 


 何よりも、祖母の素敵な紅茶館をやっていけるなら、なぎにとってはこれから探さなくてはならないアルバイトよりも心はほぼ傾いていた。


「足手まといにならないように頑張るので、どうか皆さん、紅茶館再開するにあたって色々教えてください。わたしもおばあちゃんに教わった本で自分でも勉強しますから」


 なぎは夢中で頭を下げた。


「イェ〜イ!」

「よろしくね〜!」


 拍手と口々にかけられる声がなぎを暖かく迎えた。

 恥ずかしそうに笑ったなぎは顔を上げた。


「今度は皆さんのことを教えてください。お一人ずつ、お名前とか年齢とか、ここでは何のお仕事を担当されていたのか、良かったら趣味とかも教えてくだされば」


「やれやれ。日本人は、すぐに年齢を聞きたがるね」


 まず、長い黒髪の男が肩をすくめた。


「やれやれって……、どんな人に手伝ってもらってるのか知らないとわたしも困るので。……って、普通は困りますよ」


 男の態度を意外に思ったなぎは、少しだけ目を鋭く細めた。


「アールグレイ。年は七歳半。趣味は女の子と話すことかなぁ」


 黒髪の男が気怠そうな声で言った。


「ちょっと待って下さい。なんか今さらっと七歳半って言ってましたけども? いくらなんでもそれはないでしょう?」


「そうだよ! 七歳半は、ありすの年じゃないか!」


 金髪褐色少年が横槍を入れる。


「それに趣味も。からかわないでちゃんと話してください。お名前もちゃんとフルネームで」


「ちゃんとフルネームだよ」


 ニヤニヤとアールグレイが笑っている。


「だったら、アール・グレイさん? それとも、まさかとは思うけど、アールグ・レイさん?」

「どうでもいいでしょ、そんなの」


 スマートフォンのメモに書きかけていた手を止め、なぎは口をあんぐりと開けた。

 ちゃんと答える気は、彼にはないらしい。


「だったら、私が覚えやすいように、勝手に名前を付けさせていただきます」


 あの眠ってしまった女の子がありすなら、この人は、『不思議の国のアリス』でいうチェシャ猫ではないか。ニヤニヤ笑って、のらりくらりと人を煙に巻くような発言をし始めた。


 ディズニー映画のチェシャ猫は、紫とピンクの縞模様だ。

 目の前の彼は、艶のある美しい黒髪に少し日焼けした肌、切れ長で目尻の上がった、少し緑がかった明るく水色に近い青緑色の吸い込まれそうな瞳——『アリス・イン・ワンダーランド』のチェシャ猫の印象的な目の色にも近い。


「シアン……紫庵シアン・アールグレイね。アールグレイの方で呼ぶと紅茶の注文とごっちゃになりそうだから、ハーフってことにして、お店では『紫庵シアン』の方を名乗ってね。すみませんが、私が覚えられるまでは名札も付けてください」


 言いながら、なぎはメモに打ち込んだ。年齢は、自分より少し上の二〇代前半くらいと目安をつけた。


「それで、あなたは何の担当をしていたんですか?」


「紅茶を淹れる係だったよ。お店にも運んだし。それと、茶葉の買い付けにも行ったな」


 まさか、紅茶を運んだ後に、そのままテーブルで話し込んで「子猫ちゃん」とか言って女性客を口説いてなかっただろうな? と、とっさに思った。


「わかりました。ありがとうございます。じゃあ、次」


 金髪の少年に視線が移る。


「ダージリン」


「あなたも、それがフルネームなの?」


「うん、そうだよ」


 疑わしい目になる。


 でも、もしかしたら、本当に紅茶の精かも……?

 ないない! そんな非現実的なことあるわけないわ!


 深くは問いつめず、なぎはまた自分の覚えやすいよう名前を付けることにした。


 金色のクセのある髪は、あちこちの方向を向いていて襟足えりあしも逆立っている。

 その髪型には彼の人柄が現れているとでもいうように元気がよく、話をあまり聞いていない。

 彼は、『アリス』で言うなら、三月ウサギのイメージだ。


「三月……って、さすがにそんな名前はいないわよね。三月は『みつき』とも読めるけど、そういう字は名前には使わないだろうし……、三月、弥生……弥月みつき、じゃあ、きみは、弥月みつき・ダージリンね」


 そう言っても、やはり彼は聞いていないようだった。

 光の加減で琥珀こはくのようにオレンジっぽくも黄色っぽくも見えるクリクリとした大きな丸い瞳であたりを見回し、きょろきょろそわそわと落ち着かない。


「それで、弥月みつきくん、……もう、みーくんでいいか、きみは何の仕事をしていたの?」


 ハッと弥月は我に返り、なぎを見た。

 コドモか? と、ちらっと、なぎは眉間にシワを寄せた。見た目からもまだ未成年に思える。


「オレはティーフード専門だったよ」


「え、もしかして、お菓子職人とか!?」


「お菓子だけじゃなくて、インドのスナックとかも作れるよ。インドとか他の東南アジアにも修行に行ったし」


 本当なのか、にわかには信じ難かったが、彼には紅茶に合う菓子等をそのまま作ってもらうことにした。


 アッサム博士は、ティー・ブレンダーという、産地の茶園に茶葉を買い付けに行き、茶葉をブレンドする担当だと、簡単に紫庵シアンが説明した。


 ただし、客に不気味がられてからは厨房の中か、その奥の扉のブレンド専用の部屋にいたりで、ずっと茶葉と水の配合の研究をしていたらしい。

 相当な変わり者らしい、とも。


 博士のことは、『帽子屋』というあだ名をこっそり付けた。


 残りは、リゼだった。


「リゼさんの目は、紅茶のような色ね」


 分厚い紅茶の本を開くと、リゼとはトルコの紅茶でよくチャイにして飲まれる、「ルビー色」や「うさぎの目」に例えられる「紅い水色すいしょく」をしているとあった。


「ちなみに、リゼの茶葉は今年の入荷は難しいじゃろう」


 帽子屋博士が、「Rize」と書かれている紅茶の缶の蓋を開けてみせる。


「産地のリゼでは、もともと収穫量が少ないからな」

「そうなんですか」


 なぎは視線をリゼ本人に戻した。


 彼は、『アリス』で言うところの白ウサギかな。

 そういえば、懐中時計も持っていたし。


 そう思うと、くすっと、思わず笑顔になってしまった。


「リゼ・紅野こうの、こんな感じでいいですか?」

「はい」


 素直に返事をするのは彼だけだな、と思った。


「リゼさんは、紅茶を淹れる担当だったの?」


「はい。アールグレイ——あ、紫庵シアンでしたね。彼と同じで、テーブルに運んでもいましたし、交替で茶葉の買い付けにも行ってました。茶菓子の材料は、弥月ミツキが自分で買いに行ってました。それから、売り上げとか経費の計算もしてました」


「経理もやってくれてたの? 助かるわ! ありがとうございます! リゼさんは趣味とかあります?」


「ありすのお世話をすることだよなー?」


 弥月が跳ねて笑った。


 なぎが目を見開く。

 見たところ、彼は自分より少し年上かも知れないが、紫庵と同じくらいの20代前半と踏んでいた。


 話も通じそうだし、唯一マトモそうに見えたのに……ロリコン?


 リゼが呆れた顔になって、弥月を見た。


「それは、きみたちがぼくに押し付けたんでしょう?」

「だーって、オレ、ありすの遊び相手担当だもん!」

「お前はそれしか出来ないからね」


 と、ニヤニヤと口を挟んだチェシャ猫——違った、紫庵だったと、なぎは思い返す。


「ありすちゃんのことは、明日の朝、彼女が起きてる時に直接尋ねることにするわ。えっと、メニューはあるかしら?」


「ないよ。それもアズサが処分しちゃったみたい」


 弥月が即座に答えた。


「……随分、手早く処分したのね」


「だって、お店を閉めたのは半年も前だよ」


「半年前!? そんなに前に閉めてたの?」


 ケロッとしている弥月の横で、リゼが口を開いた。


「目の前にライバル店が出来たんです。それから経営不振になって」


 なぎは愕然とした。


「……経営不振が原因でお店を閉めたなんて、知らなかった……。おばあちゃん、どんなに浮かばれない思いでいたか」


 わたしがもっと早く会社を辞める決断をして、お店を手伝っていれば……!

 いや、素人のわたしがいても役には立たなかっただろうし、ライバル店が出来て大変な時に、わたしの面倒まで見るのはもっと大変だったに違いないわ。


「でも、……どうすれば良かったかなんてことよりも、これからどうしたらいいか、よね……」


 そう口に出したことで、確信できた。

 再び閉店の憂き目をみることのないようにするためには、どうしたらいいだろう?


 なぎは顔を上げ、不思議な従業員たちを見回した。


「明日、ライバル店の偵察に行ってみましょう」

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