第14話 月とウサギと猫 その1

「グリフォンは、を見ていいました。

『この子にお前の歌を歌ってやれよ。海ガメ・スープの歌を』と。

『今夜のスープはおいしいスープ! 魚も肉も入ってない。スープだけ。みんなが飲みたいスープは、緑でこってり、カメの

 海ガメもどきは、泣きながら歌っていました。

『はい、もう一回最初から繰り返し!』

 グリフォンがそう言った時、裁判が始まったので、グリフォンは飛んでいってしまい、残された悲し気な歌声は、そよ風に乗って消えてしまいました。おしまい」


 すやすやと眠るありすの顔を見て安心して絵本を閉じたリゼは、ありすの肩まで布団をかけると、部屋の電気を消してドアを閉めた。


 いつも後ろで聞いているなぎは、一階の休憩室にいる。

 この二、三日は、ずっとそうだった。


「ありすが寝たので帰ります。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 中庭を通って洋館に向かうリゼの方をろくに見もせず、しばらく経ってから、なぎはドアの鍵を閉めた。


「……態度悪いな、わたし……」


 静かに呟き、二階の階段を上がる。


 彼らが鏡の国の住人と知って以来、彼らのなぎに対する態度に変わりはなくても、なぎの方は戸惑いがあった。

 洗濯物を干す時間帯をずらしたり、洋館で皆と食事をする間も、なんとなく目を合わさないようにしてしまう。


「ぼく、避けられてるのかな」


 食事が終わってなぎが帰った後に、リゼがぽつんと言った。


 弥月は「そんなことねーんじゃね?」と、きょとんとするが、紫庵は唸った。


「リゼには悪いけど、……僕にもそう見えたよ」


 ありすは何も言わずに、リゼと紫庵とを見る。


 紫庵は、にっこり笑ってリゼの肩をたたいた。


「気にするな。僕だって、未だに半径1m 以内に近付いちゃいけないんだから、思いっ切り避けられてるよ」


「えー、なんだよ、二人とも、なぎに嫌われてんのかよ!? なにやらかしたんだよ?」


 こめかみをひくつかせながら、紫庵が、そう言った弥月を睨んだ。


「お前ね、なんでそうデリカシーないの?」

「でりかしー? なにそれ、美味しいの?」

「……母国語なのに、わかんないのか?」

「そんなことよりも——」


 リゼが遮った。


「リゼもさー、『そんなことよりも』はないだろ?」


 憮然として、紫庵は今度はリゼを向いた。


「そろそろ、『三日月の日』が近付いてますが……時計がないので正確な時間はわかりませんが、どうしましょう?」


「ああ、そうか。もうすぐ新月だしなぁ」


 窓の外の、細長く弓なりに光る月を、紫庵が見上げる。


「いいよ、なぎちゃんには、僕からうまく伝えておくから心配するな」


 紫庵は任せてくれとばかりにウィンクした。




 数日後、閉店後にレジの売り上げを確認し、パソコンに打ち込んでから、なぎは、リゼと紫庵の作る夕食を食べに洋館に向かった。


 ダイニングテーブルには食事は並べられていたが、座っているのはありすのみだった。


「あれ? 皆は?」

だから」


 そう答えると、ありすはスープをすすり、サラダを食べ始めた。

 なぎも一緒に食べるが、誰も来ない。

 食べ終わってから、二階の彼らの部屋へ向かう。


「みーくん、紫庵、ご飯食べないの?」


 そうっと、彼らの部屋をノックしてみるが返事はない。


「ありすちゃん、皆いないみたい」

「庭にいるわ」

「え? でも、ここに来る時、中庭を通ったけど皆には会わなかったわ」

「こっち」


 ありすは、中庭側の裏手ではなく表側の玄関へ、なぎを連れて行った。


 玄関ドアを開けるとタイルの敷かれた数段の階段を降りた芝生に、うさぎが二匹と猫が一匹いた。


 耳の垂れた茶色いうさぎが花を食べながら、ひょこっと立ち上がり、なぎを見る。


 毛繕いをしていた白地に濃いグレーのマーブル模様の猫も顔を上げ、緑がかった碧い瞳でじっと見つめる。二匹より遠くで花の香りを嗅いでいた白いうさぎは、ピンと耳を立てて首を上げ、赤い瞳を向けた。


「わ〜、かわいい! いつから飼ってたの? おばあちゃんからは何も聞いてなかっ——」


 ありすに尋ねかけてから、ハッとしたようになぎの目だけが動いていき、もう一度、小動物たちを見回した。


 茶色いうさぎに、白地にグレーの碧い目の猫、赤い目の白うさぎ。


「……まさか……?」


 なぎは、自分の想像を口にすることが出来なかった。


 しばらく口がきけないその様子を、不思議そうにありすが見上げた。


「シアンから聞いてなかった? ナギに言っておくって言っていたけど」


 なぎは、首を横に何度も振った。


 ありすは、なぎを連れて、二階の紫庵の部屋のドアを開けた。


 落ち着いたヨーロッパ調の家具の置かれた、ブルーグレーを基調とした壁紙に白い小花模様、いかにも外国人の住む部屋のようだと、なぎは思った。


 窓際にある書き物机を、ありすが指差す。


 シンプルな線で模様の描かれた便箋には、外国人が書いたと思えない書き慣れた日本語が書かれていた。


『なぎちゃんへ

 月が真っ暗になる新月を過ぎた三日月の晩、僕たちは、この世界にいる人型以外の生き物みたいな姿になってしまうことがある。それは、どうしても、自分のいた世界と異なる世界にいると起こる現象で、自分たちではどうしようもないことなんだ。』


「ええっ!?」


 そこまで読んだなぎは驚いてありすを見た。


「ありすちゃんは、大丈夫なの?」


「鏡の国でも人型な人はならないから、あたしも博士も大丈夫。異常現象が起きるのは、シアンと、リゼだけ」


「え、じゃあ、皆は、鏡の国では、……ってことなの?」


 目を丸くしたまま、なぎは手紙の続きに目を通す。


『動物になった僕たちを治す方法はただひとつ。お姫様のキス、つまり、きみのキスで、僕たちは元の姿に戻れるんだ』


「……え……」


 思わず、低い声が出た。

 眉間に皺を寄せ、嫌々もう一度読み返すが、読み間違えではなかった。


 そして、手紙のその先は『それから、』と、書いてあるだけだった。


「日付とシアンのサインがないわ。この手紙を書いている途中で、動物の姿になってしまったみたい」


「えっ!?」


 頭から、さーっと血の気が引いていくような感覚に襲われ、なぎはフラフラとよろめき、椅子の背に掴まった。


「……ちょっとー……、またしても……なんなの?」

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