第13話 鏡の国?

「なんだったの!? あいつは、どうなったの!? 鏡の中に入っていったみたいに見えたけど……なんで、あの鏡はこっちと景色が違ってたの!? それに、おばあちゃんみたいな人も見えてすごい勢いで走ってたけど!? なんで、鏡から特大サイズのポーンみたいなのが出て来たの!?」


 男が消えた後、すぐに不動産屋の年配女性と管理人もやってきて、無事手続きを終え、弥月たちと荷物を紅茶館に持ち帰ってから、なぎは矢継ぎ早に質問していた。


「ありすは『赤の女王クイーン』で――ああ、詳しく説明すると、赤のクイーンの娘だから王女なんだけどね」


「それ、ちっとも詳しくないから!」


 鋭くなぎに突っ込まれると、紫庵は肩をすくめた。


「要するに、ありすはチェスが強いんだぜ! 『赤の女王クイーン』になれたのは、実力でもあるんだぜ!」


 弥月が、自信たっぷりに威張ってみせた。


「それのどこが『要するに』なのよ! 全然わかんないわよ!」


 なぎは、ありすを振り向いた。

 ありすの表情は変わらない。


「あたしは、ありす。『赤の女王』の娘。さっきのはポーン。兵士よ」


「……チェスのポーンみたいなのは、ありすちゃんの兵士なの?」


「そう。あたしの父『赤のキング』に今トラブルが起きていて、アズサはそれをなんとかしようと、『鏡の国』に今行ってるの。アズサは、あたしたちだけじゃなく、赤の女王とも友達なの」


「……え……ええっ!? あなたたちの国に関係することで出かけたって言ってたけど、おばあちゃんまで、なっちゃってたのー!?」


「なぎちゃんから見ると僕たちの世界は鏡の向こうにあるけど、僕たちから見ると、なぎちゃんたちのいるが、『鏡の向こうの国』ってことになるんだよ」


 衝撃的な内容を、何気ない口調の紫庵が、にこやかな表情で説明していた。


「……わ、わたしのおばあちゃんは、イ、イギリスに行ったんじゃ……なかったのね?」


「そう、イギリスに行ったわ。の。イギリスの友達に会いに行って、からね」


「……? ? ……?」


「そう」


 なんで、おばあちゃんは、が出来たんだろう……?


「アズサのことは心配いらない。鏡の国にはから」


「慣れてる……確か、前にもそう言ってたけど、そんなにしょっちゅう、おばあちゃんは鏡の国に……?」


「昔から」


「昔!?」


「あたしが生まれる前から」


 ありすの言う一言一言に、驚かずにはいられない。


「……そんな前から、おばあちゃんと、ありすちゃんたちは知り合ってたの? でも、ありすちゃんは、今、七歳半で、昔っていう割には、皆だってまだ若いし……」


「七歳半で、あたしの『時』は止まってる。そういうもの」


……?」


「鏡の国とこっちでは、時間の流れが違うから。そういうものなの」


 まばたきをするのも忘れるほど、ずっと見開いた目で、ありすと不思議な住人たちを交互に見る。


「そ、それで、皆は……? ありすちゃんが王女様なら、彼らは?」


「僕と弥月、アッサム博士は、赤の国の民。博士は、クイーンのお茶会でも重宝されてるティー・ブレンダーだよ。弥月はここと同じくティーフードの係で、僕もお茶を淹れる係」


 うなずきそうになるが、説明しているのが紫庵だったのが、なぎにはまだ半信半疑だ。

 だが、訂正する者がいないところを見ると、本当なのだろうとも思う。


「リゼさんは? 紫庵と同じように、お茶を淹れる係だったの?」


 なぎがリゼを見た。

 リゼは微笑んだが、少し困ったような顔でもある。


「僕は、最初は赤の国の民というわけではありませんでした。『時の番人』の家系で……」


「『時の番人』!?」


 新たな種族出たーっ!?


 ますます驚きで言葉を発せずにいるなぎに構うことなく、リゼは淡々と続けた。


「よほどのことがないと『時』をはいけないのですが、『時空』を、『異なる世界』をことは出来ます。


 頭も目もぐるぐる回り始めたなぎは、フラフラと絨毯の敷かれた床に座り込んだ。


「大丈夫ですか?」


 リゼが焦って屈み、なぎの顔を覗き込む。


 あなたのことが、一番ワケわかんないんですけどー!?


「み、水……」


 なんとか呼吸を正常に戻しながら、なぎは、やっとのことで口にした。


「え、なぎ、水飲みたいの? 水飲むくらいなら、お茶をどうぞ!」


 弥月が、紫庵が茶を淹れていたティーカップの一つを、リゼの横から突き出した。 


「……悪いけど、冷たいものが飲みたいんだけど……」


 疲れきり、弱々しい声になる。


「おい、これじゃダメだって! アイスティーにしろよ!」

「お前が威張るな」


 紫庵が弥月に文句を言いながら、グラスに氷を詰め、シロップをかけ、その上から熱い茶を注いだ。


「ほら、弥月、持っていって。僕は、半径1m 以内には近付けないんだから」


 まだ言うか。

 と思っても、口に出す元気はない。


「すみません、混乱させちゃって」


 すまなそうに、心配そうに自分を見つめるゆるふわ男子の紅い瞳からも、なんとなく目をらしてしまう。


「……美味しい」


 紫庵の淹れたアールグレイのアイスティーは、オレンジの果皮のフレーバーが疲れを取る。


 この香り、好きだな……。


「大丈夫ですか?」


 もう一度、リゼがきいた。


「……うん。少しは」


「そうですか。なら、良かったです」


 ホッと安堵したリゼの顔に、しばらく、なぎは見入っていた。


 なんか、わたし、今聞いた中で、この人の正体——というんだろうか? ——に、特にショック受けてる……?

 だって、もう、ほとんど理解不能だし!


 と思う反面、別にリゼ本人が悪いわけではないとは、頭ではわかってもいる。


「そこのソファに移って休みますか?」


 差し伸べられた手に少し戸惑うが、なぎはリゼの手を取ることなくひとりで立ち上がり、ソファに座った。


「あ……、そう言えば、あいつは? 不動産屋さんと管理人さんが来たからついそのままになっちゃってたけど、鏡に吸い込まれたように見えたセクハラ男はどうなったの? あんなヤツの身を案じるわけじゃないけど、あのまま終わってたら、ちょっと気持ち悪いなと思って……」


 ありすは、表情のない顔で答えた。


「死にはしないわ」


 ビクッと、なぎの身体が震え、男のことはそれ以上聞くのが怖くなった。


「あ、紅茶の博物館……行くの忘れてた……」


「……あ……」


 なぎと弥月は愕然とし、紫庵は肩をすくめてリゼとありすを見た。


      *


 いつものアラーム音に、男は飛び起きた。


 頭から全身、汗だくだった。

 何か恐怖に襲われる夢だった。

 そうだ、夢だ。夢に決まっている。


 尻が痛い。

 夢の中では、鋭いもので突かれた。

 だが、あんなことは夢に決まっている。


 男はシャワーを浴びると、どうしても確かめたい衝動に駆られ、会社に休みの連絡を入れた。


 電車を乗り継ぎ、みなとみらい線終点、元町・中華街駅で降りる。

 老舗紅茶館を目指すが、巨体では急坂で息が切れる。男は、エレベーターが使えるアメリカ山公園口の存在に気付いていなかった。


 休み休み登り、なんとか頂上にたどり着くと、ゴシック・ロリータ・ファッションの若い娘二人が、喫茶店の宣伝をしていた。


 『港の見える丘ティールーム』だって? 確か、そんなような名前だった。きっと、そこだ!


「ヤマネ・ナギさん? ああ、それなら、向こうのお店ですよ~」


 巻き毛のツインテールがにっこりと答えた。つり目でストレートのツインテールは、遠巻きに男を見ている。


 この小娘、女子社員たちと同じ目でボクを見やがって!


 男はツインテールを睨んでから、右に曲がった。


 ガラス扉と、窓ガラスから覗き見ると、シンプルな明るい緑色のワンピースの上から白いメイド・エプロンをしたなぎを見つけた。


 いたぞ! この店で合っていた!


 白いコックコートを着た従業員に目を留める。

 よく見ると、見覚えのある男たちだ。


 黒い長髪の男、あいつは氷のような冷たい目で、ボクを見下しやがった!

 それに、罪状を読み上げて、人のことを「加齢臭」とか言った草食系男に、自分を蹴り飛ばした金髪の小僧までいる!


 あれは、夢じゃなかったのか!


 そして、長い金髪の少女と目が合った。


 何も映していないような碧いガラス玉のような瞳から、なぜか目を逸らせない。


 途端に、大量の冷や汗が流れ出る。


 少女が、すっと指先を向けた。


 身動きが取れない!


『もう一度、あなたの罪を数えてみる?』


 途端に、夢で聞こえた少女と同じ声が頭の中に響いた。


 同時に、背後からわけのわからない赤いものに尻を突かれ、ずるずると引きずられた感触も、一気に思い起こされた。


 その後は——!


 思い出すだけでも恐怖に襲われ、怯えて開き切った目が、ぐるぐると泳ぎまくった。


「ひいぃっ!」


 男は首を絞められた豚のような潰れた声で叫ぶと、転びそうになりながら、そこから逃げ出した。


     *


「ありすちゃん、どうかした?」


 不思議そうに、なぎが、ありすの見つめる外の風景を、ガラス越しに見る。


 緑の樹々と、晴れた青空の下で、海の青に挟まれたベイブリッジが白く映える。


 この景色が好きだな。

 子供の頃から。


「悪臭豚は、もう来ないわ」

「……?」


 目を凝らしてみるが、窓の外には誰もいなかった。


 なぎは首を傾げ、もう一度尋ねようとするが、ありすが少しだけ微笑むとなんだか癒された気になり、とりあえず今は仕事に戻ることにした。

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