第51話 時の番人とビショップ その2

 リゼは、頭の中で静かに思いを巡らせていた。


 時間軸の過去をたどって修正を加えようとすると、そこから後に起こった現代までの出来事に歪みが生じる。

 自分たちはヨコハマのアズサの店になぎを手伝いに行くこともなく、なぎたちと出会うことすらなかったかも知れない。


 自分たち以外にも様々な支障が出るため、には、なるべく『現在』に近い『過去』に行わなくてはならない。


 すなわち、十年以上前に飛び、ビショップのしたことを食い止めるのではなく、過去を見張り、ジョーカーの仕業と断定出来たら、そこから先の歪みを食い止め、勝手に『時』を行き来した者には罰を与える。

 現代から先の未来への『時の流れ』を正常に保つためにも必要な仕事だ。


 グルジアが過去を調べた経緯を知り、その後を引き継いだリゼの目的は、現代の黒のビショップが怪鳥たちに命令を出した後、時空を渡ってロッドを過去の白のビショップに渡すところを押さえることだ。


 暗く、青白い光のみが交差する空間の中を、ヒト型の時の番人リゼが宙を浮かぶように移動していく。

 目を閉じ、ウサギが耳を澄ませる時のようにどんな『音』も聞き逃さないよう、注意深く『音』を聞き分けながら進む。


 空中に留まり、着ていたローブの裾がふわりと広がった。


 目的の『音』を探し当てると、方向を変え、加速していく。


      *


「数日前あたりから、誰かに見られている気がする」


「誰もいないぞ。考え過ぎだろう。悪いことをしているという後ろめたさでビクついてでもいるのか?」


 白髪のビショップがニヤッと笑った。


「それでは、怪物どもの命令は任せたぞ」


 そう言うと、白い司教の姿のビショップは、教会の門を閉めた。


 黒髪のビショップは拳ほどの大きなクリスタルをてっぺんに付けた白い木の杖を手に、裏山へと登っていく。


 ギャアギャア騒ぐ黒とオレンジ色の縞模様の、大きなくちばしを開けていた人間ほどもある体長の鳥たちは、ビショップが杖を掲げると静かになった。


 その奥の岩の下に寝そべっている白く長い毛に覆われた、人間以上に大きい熊のように見えるものも三体。そのガッチリとした顎は獲物をしっかりと掴んで離すことはない。三体のバンダースナッチは首を持ち上げた。


 その奥にある黒く巨大な岩に見えるものが動くと同時に、爬虫類のような縦に長細い瞳孔の黄色い瞳が、うっすらと開いた。


 夕日を反射する杖の先にあるクリスタルの輝きは、物悲しい色、終わっていく一日の色を映した。


「満月の夜その二日後の朝日が昇る頃、赤の国を攻撃しろ。それまでジャブジャブ鳥たちよ、威嚇を続けろ」


 黒のビショップは声を張り上げた。


「これで良いか?」


 後ろを振り返ったビショップの視線上にボヤボヤと赤い煙が巻き起こると、二本足で立つ赤いウサギが、ゆらっと現れた。煙がウサギの形に集まったと言う方が近い。


「結構です、ビショップ、それでこそ白の国の、いいえ、鏡の国全土の王の器と言えましょう。それでは、ロッドを取り返そうとする奴らに奪われないよう、過去へ向かいましょう」


 しわがれた声を発した煙ウサギの横にビショップが並んだ時だった。

 ウサギの姿が消えた。ビショップは気にも留めることなく歩き出す。


 暗闇の中から密かに覗く二つの紅い目は、赤いウサギの消えた先を見定めるよう細められた。


 そこは、白の国の裏山ではない。青白い光だけが照らす暗い空間を通ってから元の場所に現れた赤いウサギは、金色に光る瞳を見開き、白いロッドを高く掲げて怪物たちに告げた。


「赤の国を滅ぼした後は、白の国を同じように襲え」


 そして、再び姿を消してから現れた時には、ビショップの隣を歩いていた。元どおり、ビショップの手に先ほどのロッドは握られていた。


 その前に立ち塞がったのは、魔法使いの着るイメージの多いローブに身を包んだ長身の人間だった。


「見つけた。ジョーカー」


 突如現れた見知らぬ男に、ビショップはビクッと肩を震わせると、隣の、人間の子供ほどの大きさの、二本足で歩く赤いウサギを見下ろした。


 ウサギの金色の瞳がにんまりと笑うような形になった。


「いずれ出会うと思っていた、時計ウサギ。いや、時の番人」


「ビショップ、あなたが手にしているそれは、白のクイーンのロッドですね? それを返していただきます」


 黒髪に黒ヒゲの司教は少し落ち着きを取り戻し、上から下までリゼを眺めた。


「グルジアは怪我をしているはずだからな、代わりの時計ウサギが来るものとジョーカーから聞いていた。そいつも叩くために、あえてグルジアを生かしておいたのだ。そろそろ来ると思っていたぞ、小僧、念のため、名前を聞いておこう」


「リゼ。赤の国の民で、グルジアの息子だ」


「ほう! あいつに息子がいたとは! 白の国の民である父親と違い、赤の国の民であったか! 道理で今まで気付かなかったわけだ!」


 ビショップは邪悪とも言える笑顔を見せた。


 濃紺色のローブを羽織ったリゼと、一見すると聖人のようななりである司教ビショップ

 だが、その瞳はジョーカーと同じ爬虫類のような金色に光ると、邪悪さが剥き出しになっていった。


 かなり魔に染められていると見て間違いない。

 リゼの気は一層引き締まった。


 辺りは、一瞬で黒い空間へと移り変わった。

 青い光がどこからか差し込むだけの、そこここにあった岩や、怪物たちもなく、地面すら見当たらない、空中に浮かんでいる感覚に陥る不安定なところだった。


「時の番人の使う空間——『道』か」


 驚きもせず薄笑いを浮かべる黒のビショップは、身体の周りにうっすらと赤い煙をまとわせ、空間の中を浮かびながら歩く。

 その慣れた様子に、リゼは慎重な眼差しを向け、手を差し出した。


「ロッドを返してください」


「言われて素直に返すと思うか? 私から奪ってみろ」


 言い終わると同時にビショップの姿が消える。

 その瞬間、リゼの目の前の空気が揺れるが、ビショップが姿を現した時にはリゼの姿は消えていた。


 背後に気配を感じ、よけながらロッドを抱え込むと、すぐ脇をリゼの手が掠った。


 二人の姿が消えた今、空気の揺れのみが、相手の動きを予測する。


 静かに青い光だけが交差する真っ暗な空間で、時折ぶつかり合う衝撃があちこちで風圧を巻き起こす。


「ふはははは! 速さでは時の番人にも劣っていないぞ!」


 ビショップの笑い声が響く。


「見えた! そこだ!」


 勝ち誇ったビショップの声と同時にロッドが勢いよく振り下ろされた時、咄嗟にリゼは懐中時計を掲げた。


 ガシャーン! と、破壊音が響き渡り、部品が空中で分解し、バラバラに浮かんだ。


「まさか、自分の時計を犠牲にして……!?」


 驚愕するビショップが怯んだ隙を見逃さなかった。


「生憎、ぼくは時計を直し慣れてるんです」


 飛び退こうとすると同時にリゼが踏み込む。


「は、速い!?」


 リゼの手には掴み取ったロッドが握られていた。


 突然、周りの景色がガラガラと石版で作られていたかのようにヒビが入り、崩れていく。


 巨大な魔法陣のように時計の文字盤だけが周囲に現れ、それぞれがまったく違う時間を指し示すと、様々な色に変わり、光り始めた。

 それは、二人のすぐ横や、斜め、上下など、あらゆる方向に浮かび上がり、取り囲んでいるようだ。


「な、なんだ!? 何が起きている!?」


 空中に浮かぶように立っていたはずが、足元がおぼつかなくなり、ビショップは体勢を崩した。


「おわああああ!」


 落下しかけたビショップの腕を掴み、二人だけがふわっと浮かんでいた。


「白の国のビショップ、きみは、時の番人の時計を奪い、時の番人だけに許された『道』を使った。『過去への道』だ。ジョーカーのささやきに乗り、番人以外の者には禁じられた過去の世界へと飛んだ。それだけではなく、過去を変え、結果、未来をきみたちに都合良く変えようとしてしまった」


 どこからともなく風が吹き荒れ始め、ビショップは恐怖におののき、ただリゼを見つめた。


「罰を受けるのです、がもう一度やり直すことで。ジョーカーが取り付く前に、邪心が生まれる前の姿にまで戻るのです」


「なんだと!? やめろ、何をする!? やめてくれ! 手を離すんじゃない! ジョーカー! どこにいる!? 早く助けろ!」


 赤いウサギの姿をしたジョーカーが現れる気配はない。


「さっきまで近くにいたはずだ! どこへ行った!?」


「彼はすでにきみを見捨て、次の目的地に向かった。ぼくが裁く間は自分を追って来られないとわかっているから」


「なん……だと……?」


 恐怖に見開かれる目はこれ以上にないほど見開き、唇はわなわなと震え出し、言葉にならない叫び声を発した。


「大丈夫。破滅はさせない。やり直すだけですよ」


「なにを……!? やめろ! なにをする気だ!」


 喚き立てるビショップには構わず、リゼはビショップから手を離した。


 光った文字盤が足元に現れ、眩しい光を放ちながら上昇する。

 絶叫が響いたのは、ほんの数秒だった。


 ビショップの姿を完全に吸収すると、しゅんっ! と、光は消えた。


 散らばった時計の欠片は、宙に浮いたままだ。

 リゼが腕を一振りすると、それらはローブの中に吸い込まれるようにして消えた。


「まずは一人」


 光の消滅したあたりを見てから、手にしたロッドに視線を移したリゼは、小さく息を吐き、ポケットの父の時計に目をやると、姿を消した。

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