第52話 VSジョーカー
*
白の城の一室では、もう一人のビショップがジョーカーと一緒にいるところ、うっすらと透明がかっていた男の姿が徐々にはっきりと現れていった。
「なんだ貴様は!? いつの間に!? どうやってここへ!?」
焦ってまくし立てる白髪の司教に、片膝を抱えて城の窓枠に腰掛けている皮の服に軽い防具、長いブーツを履いた、一見人間であるが猫のような耳を頭の上に生やした男は、長い尾が持ち上がると同時にニヤッとして答えた。
「そちらは白の国のビショップだね。あれ? 珍しいお友達を連れているんだね」
赤いウサギを見た途端、紫庵にはピンと来た。
リゼの言っていたジョーカーだと。
「……話の通りだな。ビショップ、あなたはやはり、ジョーカーと組んでいたんだな?」
紫庵が言い終わると同時に、赤いウサギは消えた。
次の瞬間、窓の中央に浮かんで現れると同時に、窓にいたはずの紫庵の姿はない。
「どこだ!? ヤツはどこに消えた!?」
ビショップと赤ウサギは部屋を見渡すが、長身の長髪男を見つけられない。
「あ、そーだ」
トボケた声に驚き、振り返ったビショップは目を
紫庵がドアを開けて再び現れ、少年の手を引いていた。
「これ誰?」
そのまだ十五歳ほどの少年を、あごで指して問いかけた。
ぶかぶかの黒い司教の衣装をまとい、司教の帽子も被り、こわごわと部屋の中と白ビショップ、赤いウサギを見てから、怯えるような目で、自分の手を握る見知らぬ長髪青年を見上げた。
「……お前は……ビショップか?」
しわがれた声が、赤いウサギから漏れた。
「なんだって!?」
ビクッと震えた白い衣装のビショップは、少年の姿をまじまじと見つめ、徐々に恐怖を覚えた顔になっていった。
「まさか!」
「……そうか、あのヒト型の時計ウサギの
「どうやら、そうらしいねぇ!」
あっははは! と、紫庵が高らかに笑った。
「リゼは悪に染まったビショップを排除はせず、人生をやり直させることにしたんだね。あいつらしい判断だよ! ということは、ビショップがこんな若い頃から、お前は悪の道に引きずりこもうと囁き続けてたってことかな? 見かけによらずヒドイことするねぇ、赤いウサギさん」
「ネコよ、我のことを甘く見るでないぞ!」
ウサギが消えると同時に、紫庵の姿も消えた。
部屋の四方八方で、空気が激しくぶつかり合うような風が飛び交った。
怯えた目をなんとか凝らす白ビショップは、部屋の角へ
しばらくの後、シュッ! と、ドアの前に現れたのは紫庵だった。
改めて、二人とも注目した。
彼の頭部には二つ生えた耳がピンと立ち、グレイと濃いグレイで出来た縞模様の尾は山型に持ち上がり、油断なく周囲をうかがっているかのようにゆっくりと動いており、左手には三本の長い
二人が悲鳴を上げると、紫庵は右手で少年の手を掴み、ビショップの目の前に立ちはだかった。
「滅多に使わないけど、僕にはこれがあるから剣は必要ないんだよ。ジョーカーは煙を切るように散るだけだし、向こうも消えた僕の居場所は特定出来なかったみたいで、
「ひっ!」
手の甲をビショップの胸に当て、鉤爪が顎の下に触れるか触れないかというところに、下から突き上げるような形で向けられた。
「やめろ……やめてくれ!」
「ふーん、ヤツがここに現れる様子もない。となると、あなたは見捨てられたのかな? リゼも言ってたんじゃない? このままジョーカーの言うことを聞いていたら破滅するって。彼は優しいから、こっちのビショップのことは子供時代に戻してくれたけどさ。破滅に比べたら人生やり直す方がいいでしょ? それとも、力尽くじゃないとわからないかな? リゼが来る前に僕が決着をつけてあげようかなぁ」
ニヤッと笑ってから、紫庵の表情が冷たく、残忍に変化していく。
「獲物を狩るのは久しぶりだな。肉食動物の血が騒ぐよ」
ブルブルと震え上がり、恐怖に見開かれた目が金色に光り、叫び出したビショップの腹に、素早く紫庵は左拳を打ち込んだ。
ビショップの身体は折りたたまれるようにして、ドサッと倒れこみ、それを紫庵が左腕に抱えた。
鉤爪は、触れる前に消えていた。
猫耳と尾もない。
ビショップの身体のどこにも傷跡はない。
紫庵は、壁に寄りかからせて座らせたビショップの身体をロープで縛り、壁にかけられた鏡の前に立った。
「ありす、ビショップは二人とも食い止めた。白のキングとクイーンに伝えてくれ」
冷静なありすと驚いた顔のなぎが、徐々に鏡に映る。
『わかった。白の戦士たちにも呼びかける』
目を白黒させて尻もちをついた震えている少年司教に、紫庵はにっこり笑った。
「ああ、さっきのは冗談だから安心して。僕はヒト型の肉は食べないから」
*
リゼが黒ビショップを裁き、ロッドをローブの中にしまう。まるで、ローブの中に別空間があるとでも言うように白いロッドは見えず、リゼの邪魔にもなっていないようだった。
紫庵に、ジョーカーが赤の国の後は白の国を襲わせようとしていることを伝えようと、白の国へ、時の番人の『道』を伝って行く途中であった。
リゼは突然移動をやめ、留まった。
長身の男が見えたからだった。
その背格好には見覚えがあり、着ているものは、今自分が着ている紺色のローブとよく似ている。
リゼが止まっても、男の方からスーッと近付き、目の前にふわりと浮かんだ。
赤茶色のクセのある髪、紅茶色の瞳。
自分と瓜二つの者が、そこにいた。
高鳴る心臓を落ち着かせようと、リゼは心の中で自分に言い聞かせた。
これは、未来や過去の自分ではない。だから、時の番人の決まりを犯しているわけではない。
ジョーカーは、混乱に陥れようとしているのだ、と。
「白の国の者は素直だから面白いほどにガラッと変化を遂げていった。キミも、知らなかった自分を見てみたくはないか?」
リゼそっくりな外見だが、瞳は金色に光り始める。
「なぜ未来を見てはいけないなんて決まりがあるんだろうね? 考えたことはない? キミ自身のためにも、知るのは必要なことだよ」
自分にそっくりな者の言うことは暗示ともなる。
リゼだけを残し、目の前のリゼは消え、周りは赤の国のよく見知った風景となった。
自分は、浮遊しながら、何が起きているのかを客観的に見下ろしている。
赤の城の前の広場では、ジョーカーが元は時の番人だということを、紫庵が報告していた。ありすも弥月もリゼを弁護することなく、赤の国も白の国も兵士たちがリゼを痛めつけ、追放する。
どこに行くあてもなく
そこは、ローズガーデンの花の咲き方からすると、春のようだった。
なぎがユウと結婚し、二人だけで紅茶館を経営していた。
どくん、と大きく心臓が鳴る。
なぎの幸せそうな笑顔に耐えきれず、思わず顔を背ける。
それが消えると、景色が混ざり合い、巨大な時計の文字盤があちこちに現れ、別の『時』へと移動するのがわかった。
そこでは、梓の葬儀が行われていた。
「アズサ……そんな……!」
漂うリゼは思わず声に出していたが、下に映る人々には聞こえていない。
喪服に身を包んだなぎが、棺にうつぶせて泣き崩れた。
そこに、ライバル店の海音が寄り添い、ずっとそばに付いていた。
それ以来付き合うようになった二人は将来を誓い合い、紅茶館を閉めた後は海音のティールームを経営して、やはり幸せそうであった。
「どうやら、どこにもキミの居場所はないみたいだけど、まだ見るかい?」
再び現れた偽者の自分が、憐れむような表情になるが、目には嘲笑が浮かんでいる。
景色は一変して、時の番人の『道』に戻った。
青い光の差し込む、暗い空間だ。
「ボクは、キミには何が見えていたのかは知らない。だけど、絶望を感じていることはわかる。可哀想に」
言い終わると同時に、リゼの腹部に衝撃が走った。
思わず身体を屈め、前のめりな体勢で浮かぶ。
拳を見せた目の前のリゼが、金色の瞳をニヤリと歪め、笑いを浮かべる。
「おっと、痛かったかい? それは物理的な痛みかい? それとも精神的な——!」
「……!」
再び激痛が走る。
声も上げられずに、リゼは膝をついた格好になった。
「物理的にも精神的にも、痛みから逃れる方法は一つだけ。ねえ、ボクと同化しよう? そうしたら、未来はすべて思い描いた通り。安心だろ?」
呻きながら荒い呼吸をするリゼの肩を抱き、同じ顔が近付き、金色の瞳は同情的な視線になった。
「所詮、時の番人なんて誰ともわかり合えない。故郷もない、同胞とも離れ離れ。なのに、こんな辛い目に耐えていかなきゃならないなんて、ひどい話じゃないか。誰の決めた運命なのかな? ボクもキミも故郷と呼べるものはもうない。ずっと孤独なまま。だったら仲間になろうよ。わかり合えるのはボクとキミだけなんだ。ねえ、もうボクには敵わないってわかったんだからさ、いい加減、同化しようよ。そうしたら、鏡の国からは手を引いてあげてもいいよ」
苦しみながら、リゼは片方の目だけ開きかけた。
「もうさびしくなくなるし、痛いのだってすぐに直してあげるよ。ほら、いいことばかりだよ! 逆に、同化を断ったりしたら、鏡の国はどうなるかわからないよ」
暗い空間の一部分だけが、赤の国の風景となる。
ジャバウォックが飛行しながら炎を吐き、あたりは焼け野原となっていた。
ジャブジャブ鳥が兵士や市民たちを襲い、なぎとありすは抱き合い、恐怖に怯えている。
負傷して血まみれの弥月と紫庵が庇うように前に出るが、なすすべもなく、バンダースナッチの爪に倒れた。
なぎとありすの叫び声が響く。
リゼは目を
キリキリキリ……! と、ネジが巻かれ、あちこちで歯車が動く音がする。
巨大な文字盤が浮かび上がり、歪んだ文字盤も、見慣れない表記の文字盤も透けて漂っている。
「キミ一人の判断にかかっているんだよ? わかってる? キミのことを親友と言った男たちには裏切られ、手塩にかけて育てた少女もあっさり手のひらを
目を閉じたリゼが、痛みを抱えながら、口を開いた。
「……わかっ……た」
リゼの目の前の顔が、その言葉に輝き出す。
「そうだよ。ね、一緒になろう? わかり合えるのはボクだけ……」
優しい囁き声と共に、同じ顔の金色の瞳が迫り、肩を抱いた。
その時、倒れ込んでいたリゼの身体が一瞬消え、そこから離れた歪んでねじれた文字盤のところに現れると、何もない空中の低い位置で何かを掴んだ。
「……貴様……! なぜ……!?」
「『わかった』って……ぼくが言ったのは、……あなたの場所だ、ジョーカー。約束……したから、必ず戻るって」
後半は、ほとんど口の中だけで呟いていた。
リゼが掴んだ手の中では、直ちに、ふしゅーっ! と赤い煙が破裂するように飛び散った。
掴んでいない方の手には、香水の瓶が握られている。
「博士の万能薬が効いて助かった」
瓶を見て呟くと、掴んだ赤い煙がウサギを形作る。
「ぼくがどの過去に現れるかきみが予測出来たように、どこにきみが逃げようとしていたか、ぼくにも予測出来たよ」
「は、放せ!」
足元から、二人を包み込むほどの巨大な文字盤が光り出し、風を巻き上げながら上空へと移動する。
リゼの足をすり抜けると、文字盤の光は一層強くなり、叫び声を上げている赤い煙を完全に飲み込みながら、リゼの頭上へと浮かび上がった。
光が消えると、元の青い光の交差する暗い空間へと戻っていった。
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