第53話 VSジャブジャブ鳥とバンダースナッチ

     *


「ただいまっ!」


 赤の城の壁かけ鏡から飛び出した弥月に、ありすが続いてぴょん! と床に降り立った。


「きゃっ!」


 なぎが飛び出すと、白のナイトが抱きとめた。


「おかえりなさいませ」

「あ、ありがとうございます」

「意外と早かったですな!」


 目がぐるぐる回っていたなぎは、なんとか赤のキングの部屋に戻ってきたことは理解した。

 相変わらず、白のキングとクイーンはオロオロと部屋の中を歩き回り、落ち着いていない。


「戦況はっ!?」


 鏡の映す景色が城の外の様子に変わって行くのを見ながら、弥月は白のナイトを見ずにいた。

 横浜に一旦戻った時と違い、垂れたウサギ耳とピンを上を向いた丸いふわふわの尾、足はフサフサのウサギ足である。


「ジャブジャブ鳥がギャアギャア鳴きながら旋回しておる。全部集まってから攻撃に転じるつもりだと思われる。それから、アールグレイ殿が言っておられたが、白のクイーンのロッドは現代にはないことがわかり、リゼが今取り返しに行っておる」


「よしっ! それならまだ間に合う!」


 弥月は青銅の鞘から剣を抜き取って見せた。


「……本当にヴォーパルの剣を見つけたのだな!」


 目を丸くするナイトに、「へへーん!」と弥月は自慢気に笑ってみせた。


「それで倒すのだ!」


 奥のベッドから聞こえた赤のキングの寝言だった。


「よっしゃあ! 外に行ってくるぜ! あれ? 紫庵……アールグレイのヤツは?」


「さ、さあ? いつの間にかいなくなってまして」


「そっか。じゃあ、まあ、放っといていいか。ありすとなぎは危ないから鏡から見てな!」


「うん」

「き、気を付けてねっ、みーくん!」


 普段と変わらない様子でありすが手を振る横で、なぎは心配で仕方がなさそうな顔になる。


「心配すんな、任せろ!」


 弥月は笑顔で、親指を上に向けてウィンクしてみせた。


 見た目だけはヒーローなんだけどなと、なぎは心の中で認めたが、不安でいっぱいであった。


      *


 ウサギ穴を通ってチェス盤のような地面に現れた弥月は、赤のビショップ、ルークたちの間に並んだ。


 白と赤のポーンたちはスピアで戦い始め、馬に乗ったナイトたちも出陣していた。


 空を旋回していたジャブジャブ鳥たちの鳴き声が変わった。

 オレンジの嘴を突き出し、空から地面に突き刺さるような勢いで向かってくる。


 白のポーン兵たちは一斉に引き、その他の兵士たちも下がった。


 いきなり弥月が走り出し、オレンジ色の嘴に、ダンッ! と音を立てて飛び蹴りした。


 巨大な鳥はグエッ! と呻くとゴロゴロ転がり、白のポーンたちにぶつかった。


 キキーッ! とブレーキをかけたように向きを変えた弥月はすかさずダッシュし、向かってくる嘴を避けながら、別の鳥の本体へ蹴りをくらわせ、吹っ飛ばしていく。


 その動きは、鳥たちにも兵士たちにも予測が付かない方向ばかりであり、防御が追いつかない。


 転倒してバタバタと転がり、羽ばたいて起き上がろうとする鳥へと赤のポーン兵たちが群がり、スピアで突ついた。


「ロープで縛って、向こうに転がしといて!」


 次々とキックを繰り出しながら、弥月が兵士たちに向かって叫んだ。


「飛べないよう翼を縛るんじゃ! 折っても構わん! 羽は料理に邪魔だから、後で抜いておけ!」


 いつの間にか現れたアッサム博士がイカレたような笑いを浮かべ、片眼鏡の奥で残酷に目を光らせた。




 壁かけ鏡で戦況を見守るなぎは、驚きのあまり目を見開き、口をポカーンと開けていた。


「……みーくん、すごい……!」


 ありすの碧い瞳が、ピクッと動いた。


「みー、バンダースナッチが来る!」


 チェス盤の広場では、どこからともなくありすの声が聞こえたのか、弥月が顔を上げ、遠くを見据えるのが映った。


「リゼさんとグルジアさんが怪我させられた、例の怪物……!」


 なぎは両手を握りしめ、緊張した面持ちで鏡を覗き込んだ。


「みーくん……気を付けて!」




 ジャブジャブ鳥たちが次々と縛り上げられて行く一方で、バンダースナッチがやってきて暴れ、突進された赤の兵たちは空中に舞い上げられていた。


 オロオロする白の兵たちの前に、紫庵が突然現れた。


「僕は赤の国のアールグレイだ。白のビショップ二人は僕が捕らえた。白の国のキングとクイーンは赤の城で保護している。人質じゃない。悪から守るためだ。鏡の国が歪んだ元凶となったビショップは罰を受け、もう悪の力は持たない。怪物を操るロッドは回収中だ。それが届くまで、赤の国と協力して怪物に立ち向かおう!」


「ウソだ! 騙されるものか!」

「そんな話、信じられるか!」


 ポーンたちが喚くと、紫庵は消えてすぐに現れた時には、ルークの一人の首元に手の甲にはめた三本のクローを突きつけていた。


「消えた!?」

「しかも、あのルークを……!?」


 動きの速いルークを一瞬で捕えられる姿を消せる者が相手では、自分たちに太刀打ちするのは不可能だろうと白の戦士たちは悟った。


「ロッドは今ビショップは持っていない。ということは、怪物を止めることは出来ないということだよ。わかってる?」


 静かだが凛とした声に、ポーンたちは目を見張り、どよめいた。


「僕は姿を消せる。きみたちには捕らえることも、僕を追撃することも出来ない。なんなら今すぐ赤の城に戻って、きみたちの王様を暗殺することも出来るんだよ。だけど、そうやって脅して無理矢理言うことを聞かせるのは僕の主義に反するし、僕のプリンセスにも顔向け出来なくなる。だから、僕の言うことが本当だと証明するために、今、赤のプリンセスでありクイーンの代理であるありすに話してもらうよ」


 白の城のバルコニーから、ありすと、その後ろから恐る恐るなぎが顔を覗かせると、見上げた白の兵士たちは驚愕した。




「えっ……?」


 なぎは「一緒に来て」と言ったありすに手を引かれ、鏡を通り、一瞬で白の城に移動していた。

 ありすについてバルコニーに付き添うと、地上で兵士たちがどよめいているのが見下ろせた。


 カチッとした詰襟の真紅のケープ風コートに、同色の膝丈のドレス、金髪の頭部にはティアラが乗っている。

 少女でありながら威厳のある姿と静かな碧い瞳、凛とした立ち姿に、白の兵士たちは目を見張った。


「赤のプリンセスだ!」

「間違いない!」


「白の国の民、よく聞いて」


 冷静な口調と表情ながらも、ありすはよく通る声で語りかけた。


「クイーンのロッドは、あたしの親衛隊が今、悪者から取り返しているところ。白のキングもクイーンも、赤のキングの部屋でちゃんと無事でいるわ。あなたたちの謀反むほんは、悪に無理矢理仕向けられたもの。おとがめはナシにしてもらうよう頼んでおくわ。だから、白の国と赤の国共通の敵である怪物を、皆で力を合わせて撃退して。お願い!」


 人差し指を遠くの空へ向ける。


「見て! 怪物たちは、赤の国も白の国も関係なく、無差別で攻撃し始めたわ! そして、向こうの空には、凶悪なドラゴン——ジャバウォックも飛んで近付いてきている!」


「ジャバウォックだって!?」

「まさか!?」


 白の兵士たちは信じられないと口にしながら、ありすの指し示す方を見上げる。

 黒い物体が向かってくるのが見えると、兵士たちの顔色はますます青くなった。


「皆で鏡の国を守って!」


 ありすの声に白の兵士たちは混乱しながらも状況を把握したのか、迎え撃つ態勢を整え始めた。


「ポーンの半分は怪我人をこの城に運び入れて手当てを! 残りのポーンとルークは、赤のポーンたちに協力してバンタースナッチを! ナイトは赤の兵士たちに助太刀して、ジャバウォックの攻撃に備えて!」


 そう言うと、ありすはなぎの手を握り、バルコニーから鏡のある部屋に入った。


「ありがと。さすが、ありす! よくやったね!」


 いつの間にか移動して来た紫庵が、心から感心した笑顔でありすの頭をやさしく撫でる。


「それで、この少年が、リゼが罰して少年時代からやり直させられてるビショップ」


 ホッとしたなぎが、少年と紫庵を見上げた。


「リゼさん、うまくいったのね……! 良かった……!」


「そういうこと。で、そこで寝てるのが、一応僕が捕まえたもう一人のビショップ。二人とも赤の城に連れて行こう」


 紫庵は大人のビショップを肩に担ぎ上げ、なぎに少年ビショップの手をつながせ、ありすと共に鏡の中へと入っていった。


      *


 バンダースナッチに引っかかれ、苦しむ白のポーンに、弥月は持っていた香水の瓶を放って渡した。


「万能薬だ! それ振りかけとけ! 皆で仲良く使えよ!」


 素早く移動しながらルーク放つ弓矢を難なくよけ、ナイトの剣からも逃れたバンダースナッチが弥月を目指し、突進していく。


「みーくん! 二頭後ろから来てるわ! 気をつけて!」


 赤のキングの部屋に戻り、見ていた鏡に叫んだなぎの声が空にも響いた。


 ギリギリのところで爪をかわした弥月は、小袋に入ったスパイスを掴み、投げつけるようにばら撒いた。


 目にかかったものは転がり、のたうち回って前足で目をこすり、鼻で吸い込んだものは連発するくしゃみに苦しみ、転がってもがいた。


 残りの一頭が弥月目がけてまっしぐらに走っていくと、弥月はひらりとよけ、背にまたがり、バンダースナッチの白く長い毛を掴んだ。


 振り落とそうと身体を震わせるが、弥月が素早く足で踏み付け、ダンッ! と音を鳴らした。ウサギが腹を立てたり思い通りにいかない時によく見られる動作だ。

 怪物が倒れ込むと同時に、弥月は飛び降りた。


 そこから、くしゃみが止まらない怪物の腹めがけてジャンプキックをくらわせ、それがさらにもがき苦しんでいると、目をこすりながらフラフラとやって来たもう一頭がぶつかり、二頭とも倒れた。


「そいつらも縛り上げ、スピアで身体中を突き回ったら、傷口に塩を擦り込んでおくのじゃ! ただし、爪には気を付けよ! 引っ掻かれた者はワシの作った万能薬を使うが良い!」


 博士が塩やスパイスの入った皮袋を持ち、ポーンたちに命令した。


「何をグズグズしておる、白の兵士たちよ! ポーンは突きながらスパイスを塗るのを手伝え! ナイトとルークはジャバウォックを見張り、ダージリンに加勢するのじゃ!」


 ボウボウの白髪頭に緑色のシルクハットを被った片眼鏡の老人の、見た目からマッドな博士であるアッサムの剣幕に押され、白の兵士たちはその残酷な命令の通りに動き始めた。




「みーくんたら、すごいわ! ホントはあんなに強かったのね!」


 赤のキングの部屋では、鏡に食い入るように見入っていたなぎが感心していた。

 ありすはなぎに小さく微笑み、鏡に集中する。


「さて、それじゃあ、僕も弥月の応援に行ってくるか!」


「紫庵、気を付けてね!」


 紫庵は、なぎと、小さく手を振るありすにウィンクしてみせると、ふっと姿を消した。




「よくやったぞ、ダージリン!」

「まだヴォーパルの剣を使っていないんだろう?」

「お前は最強だ!」


 赤の兵士たちは口々に弥月に称賛の言葉をかけ、弥月の垂れたウサ耳の生えた金髪の頭を撫で回した。


「あの三月ウサギ、強くないか!?」

「あいつがいれば、例えドラゴンが相手でもなんとかなりそうだな!」


 白の兵士の間からも、そんな声が飛び交っている。

 赤の国、白の国のへだてなく、弥月はヒーローに扱われていた。


「残りは、ジャバウォック……!」


 弥月はこれまでより一層顔を引き締めて、青銅の鞘を抜いた。


 長剣『ヴォーパルの剣』はその刃に日の光を反射させ、キラリと輝いた。


「おおっ! いよいよ、ヴォーパルの剣を使うのか!」

「頑張れ! ダージリン!」

「俺たちも援護するからな!」


 赤の国、白の国の兵士たちが、弥月の周りに集まった。

 炎を吐くドラゴンの対策にと、全身が隠れるほどの盾を持つポーンたちが、弥月の前で防御するように隙間なく並んだ。


 黒い岩の塊に見えたものは巨大なコウモリのような形の翼を大きく羽ばたかせ、長く太い尾をくねらせて徐々に近付いた。


「かなりデカいぞ!」

「もうタルジーの森のあたりにまで来ているぞ!」


 ポーンたちが声を張り上げる。


 ドラゴンの細長い首は、ヒト型の兵士たちを縦に二人分並べたほどの長さがあり、頭の先から尾の付け根まで、本体は約五倍はあった。翼や尾を入れれば、もっと巨大となる。


 黒い爬虫類を思わせるドラゴンの全容がはっきりとわかった時、コウモリ型の翼には鉤爪かぎづめが生えているのが見えた。

 びっしりと爬虫類のような黒光りする鱗に覆われ、腹は白い。

 尖った瞳は黄色く、長細い縦長の黒い瞳孔はギロリと見渡す。開いた口には牙が覗き、その周りには長い髭のような触角がいくつも垂れ下がっている。


 頭には二本だけ特別に長い触角が風になびいてヒラヒラと揺らめき、二本の後ろ足は獣のような足先だが、前足の二本には、ドラゴンの牙よりも長く、ヒトの頭部など簡単に掴めるほどの鉤爪が四本ずつあった。


 あんなものに掴まれたら、一溜ひとたまりもない!

 地上から見上げる誰もが恐怖した。


 クワッと牙だらけの口が開かれると、炎が噴射された。


 寄り集まった盾で勢いに押されながらもなんとかしのぐと、その後ろから助走をつけて兵士たちの背と盾に駆け登った弥月がジャンプした。


 ジャバウォックの頭上を越え、両手に持ったヴォーパルの剣を力一杯振り下ろす!


 パキー……ン……!


 金属の割れる音が、空に響き渡った。


 剣の刃は、ジャバウォックの頭のてっぺんに突き刺さらず、固い岩にでも打ち付けたかのように真っ二つに砕けたのだった!


 シャアアアアッ!


 ジャバウォックは剣が割れて跳ね返るのを気にも留めていないのか、身体を一回転させた弥月が落ちてくるのを待ち、大きく口を開いた。


 誰もが息を飲んだ。


 突然、ドラゴンは体勢を崩した。

 右目から青い血を吹き出し、前足でこするようにもがいて暴れる。


「何やってるんだ! 大丈夫か!?」


 弥月の手を掴んでドラゴンから飛び退いたのは、紫庵だった。

 

 近くの木に飛び移ると、左手のクローに怪物の青い血を滴らせているのが、弥月にも見えた。


「剣が……ヴォーパルの剣が……折れた……?」


 放心気味に弥月が呟く。

 柄だけが握られている剣の残骸を見ながら、紫庵も青ざめた。


 地面にいる兵士たちは、落下するドラゴンの下から散るように逃げ出していた。

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