第17話 リゼの過去 その1
「今日は、絵本は読まなくて大丈夫」
「そうですか」
リゼはありすに布団をかけると、「おやすみ」と言って、ありすの額に口づけた。
目を丸くして見ていたなぎに気付いたリゼが、「ああ、絵本を読まない日もありますから」と、なぎに笑いかけた。
「……ホントに親子みたいね」
「親子……」
またリゼが落ち込んでいるように、なぎには映った。
「あの、良かったら下でお茶でも。リゼさんたちの代わりにお店ではわたしがお茶を淹れていたので、これでも少しは上手く淹れられるようになったんですよ」
リゼが微笑んだ。
「じゃあ、お願いします」
一階に降り、なぎは茶器を用意し、湯を沸かした。
ポットに紅茶一杯分の茶葉を計るキャディ・スプーンで二杯、茶葉をすくい、入れる。
湯を入れ、二分半待つ間に、空の二つのグラスに氷を入れ、シロップをかけておく。
なぎが注いだ紅茶の香りをかいでから、リゼはグラスに口をつけた。
「ニルギリのアイスティーですね。やさしい味で美味しいです」
「ホント? 良かった! ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
やさしく微笑んだリゼを見て、なぎはホッとした。
「前から聞いてみたかったんだけど、……リゼさんとありすちゃんのことで。ありすちゃんは、自分が生まれる前から、リゼさんが赤の国にいたことは知ってるみたいなんですけど……」
リゼは浮かない顔になって、口を開いた。
「美味しいお茶をごちそうになった上に、僕の身の上話みたいなことを聞いてもらっちゃうのは申し訳ないです」
「ああ、そんなのいいのよ。わたしはただ、リゼさんのことが知りたいっていうか……」
きょとんとしたリゼの表情に、なぎは自分で言ったことを頭の中で繰り返し、ハッとした。
「いえ、あの……! 『時の番人』っていうのが、わたしにはイマイチよくわからないし、わたしなんかが聞いたところで何とも出来ないとは思うんだけど、どうして、そんなに悲しい——いや、切ない? 落ち込んでる? なんかよくわかんないけど、それがなんなのか気になって……。決して興味本位とかじゃないの。もう少しリゼさんのことを知りたくて……」
そこで口を噤んだ。
また言ってる。
こんな言い方したら誤解されるじゃない。
リゼは少し考えてから、「少しだけ、お酒をもらってもいいですか?」と言った。
お酒が入らないと言えない話なのかしら?
「最近、安いブランデーがスーパーにも並ぶようになったから遠慮しないで。それともウイスキーがいい?」
「じゃあ、ブランデーをいただきます。紅茶に入れるだけなので、そんなに飲みませんから」
笑っては見せるが、淋しそうな笑顔にも見える。
なぎはリゼを真似て、自分のアイスティーにもブランデーを少しだけ垂らしてみた。
「わぁ、いい香り」
「少し混ぜた方がいいですよ」
リゼはにっこり笑うと、ブランデー入りアイスティーを二口ほど飲んでから語り始めた。
「時の番人の一族は、大まかに説明すると、様々な世界に飛んで時の流れが正常かどうかを見て管理するんだと、幼い頃、父から教わりました。ほとんどの場合は正常なので特にすることはないのですが、ありすがまだ生まれる前の赤の国では、ちょっとした異常があったのです」
既に半分以上わけがわからないが、なぎは黙って話に聞き入った。
「父の懐中時計が盗まれたのです」
「えっ……、時空を越えられるとか言っていた?」
「はい。父は、新しい時計をもらったばかりのぼくと一緒に赤の国にもう一度入り、調査するうちに、時計を盗んだのが白の国のビショップだとわかり、白の国に行きました」
なぎは、チェスの駒に「ビショップ」があったことを思い出した。どのような形であったかまでは覚えていない。
祖母の部屋にもチェス盤があって、幼い頃にチェスを教わったことがあったが、ほとんど駒で遊んでいた気がする。
「ありすちゃんの命令で動いたポーンの兵士が赤の国にいて、白の国ともチェスの試合をするっていうなら、当然、白の国にもポーンとかビショップとかがいるってことよね」
考え考え、なぎは自分が確認するために口にした。
「それにしても、ビショップって司祭だか司教だとか、偉い人じゃなかったっけ? そんな人が人の物を盗むなんて……」
「そうなんです。白のビショップは何度尋ねても時計なんか持っていないとしらばっくれるので、チェスの試合で決めることになりました。……ああ、
「おばあちゃんが!?」
なぎが思わず立ち上がりかけた。
「アズサはチェスの達人です。
またわけのわからないことを!
というなぎの表情で察したのか、リゼは「チェスのルールにそういうのがあるんです」と言った。
「クイーンになれば、どの方角にも一番速く動けます。キングはゆっくりしか進めないので、クイーンになれれば、
「は、はあ、そういうものなの? ……あ、だからおばあちゃん、私のアパートで鏡に映ってた時ものすごい速さで動いてたのね?」
わかったような、わからないような思いだったが、なぎは、
「その試合の後で、白のビショップは渋々時計を返してくれました」
「やっぱり、そのビショップってのが持ってたのね?」
「はい。ですが、恐ろしいことに、彼は、その前に、禁じられていた『時間の旅』をしていたのです。過去にさかのぼり、その時、何かをしたらしいのです」
「時間を行き来!? 『時の番人』でもない人が、そんなこと出来るの?」
「通常は出来ませんが、すれば必ず不具合が起こります。その不具合のせいで、今頃になって、赤のキング、つまり、ありすの父親は眠りから目覚めず、白の国の女王も時間が逆行して子供に返ってしまったのです」
「白の女王が、子供に返る……?」
頭がぐるぐるといくら回っても追いつかない話だと、なぎは思った。
「……とにかく、今、赤の国も白の国も異常な状態ということなの? それをなんとかするために、おばあちゃんは今鏡の国にいる、と?」
「はい。肝心なビショップが逃げてしまったので、ぼくの父が行方を追ってますし、アズサも赤のクイーンと協力して、赤の国と白の国までなんとかしてくれてます」
「……なんだか思ったよりも非常事態なんじゃないの、ありすちゃんの国とお隣の国。大丈夫なのかな?」
「アズサが向こうに行っている間、なぎさんをこちらでお守りすると同時に、ありすの身も守っているのです」
「そうだったの!?」
「赤のクイーンは強力です。ありすも同じくらいのチェスの腕前なのでビショップが敵う相手ではありませんが、万が一ということもあって、クイーンは、ありすをぼくたちに托したのです。
「……とにかく、ありすちゃんや皆がこっちにいた方が安全っていうなら良かったわ。リゼさんたちは、よっぽどクイーンに信頼されてるのね。おばあちゃんも」
安心したなぎだったが、リゼの瞳が揺れたのを不思議に思った。
「アズサがいれば大丈夫なのはわかっていますが、心配はしてます。ぼくを赤の国の民として迎え入れてくれたのは、クイーンでした。子供の頃、約束した通りに」
「子供の頃?」
訊き直したなぎに、ためらいながら、リゼは口を開いた。
「幼い頃に知り合ったクイーンを……後のクイーンになるとは知らず、一緒に育っていくうちに美しく成長していく彼女を、ぼくは女性として見るようになっていました。その後、結ばれるはずがないことを知りました」
なぎは、愕然とした。
身分違いの恋……!?
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