第5話 開店準備
「もし、向かいのあの店が、ロリータとイケメンで釣ってるだけだったらムカついて、文句の一つも言ってやろうと思ってたの。『ちょっと、あなた、うちのおばあちゃんのお店の向かい側にわざわざ似たような喫茶店作って、名前も超パクリで、おばあちゃんのやってた老舗紅茶館だと勘違いして入ってく観光客も多いし、どういうつもりなの? 完全にうちに対抗してるじゃないの!』って」
休憩室で語るなぎを、ありすは、ぱっちりとした碧い瞳で見ていた。
「……ああ、まあ、こんなにハッキリとは言えないだろうけど、こんなようなことを言おうと思ってたわけよ。そうしたら、意外とちゃんとしていたのよ」
「
「ちゃんと、いい仕事してたの」
無表情なりに、ありすは、なぎの話を真面目な顔で聞いていた。
「カフェインレスじゃと!」
「そうなんだよ~!」
「ぐあああああ! なんということじゃ!」
西洋人はアルコールの耐性はあっても、日本人に比べてカフェインに耐性がない。
昔から茶を飲む習慣があった日本を含めた東アジア人にはカフェイン耐性が出来ていったのだと、なぎは後から知った。
店の中で、博士の叫ぶ声と紫庵の嘆く声が、なぎとありすのいる休憩室にまで聞こえてきた。
七歳半だというありすの方が、よほど彼らよりも頼りになるように思えてしまい、なぎは溜め息をついた。
「偵察でわかったのは、店長の
「……すみません」
後ろから聞こえたしゅんとした声に振り返ると、縮こまったリゼがいて、なぎは慌てた。
「あ、残念ってのは、リゼさんのことじゃありませんから!」
「はあ、でも、ぼくもお役に立てなかったので……」
「そんなことないです。みーくんの面倒見てくれて助かりましたから!」
まっすぐ店にたどり着けずに寄り道しかける弥月の近くに自分がいたらと考えただけでも、どっと疲れてくる。
「その弥月が、ブランチを用意したので」
「えっ、ホント!?」
弥月はティーフードを専門に作っていただけあり、テーブルには、パンケーキ、ベーコンエッグ、サラダ、ミルクが並んでいる。
偵察後に資金を渡し、弥月とリゼで材料を買いに行っていて、どんなものが出て来るか心配していたが意外にも普通のもので、なぎは安心した。
「意外だわ、美味しい!」
「意外って、どーゆーことさ?」
コックコートまたはシェフコートと呼ばれる詰め襟に二つボタンが並ぶ白い七分袖、オレンジ寄りの黄色いコックタイ、腰から下もタイと色を合わせたソムリエエプロンという制服に着替えた弥月が、厨房からトレーに乗せて運ぶ。
「わあ、みーくん! そうしてるとパティシエみたいでカッコいいじゃない!」
見直したとばかりに、なぎが笑顔になって喜んだ。
「パンケーキはふわふわで美味しいわ! ベーコンエッグとかサラダが出て来てくれたのが、みーくんにしてはちょっと意外って思っただけよ」
「それはリゼが作ったんだよ。オレが作ったのはパンケーキだけだから」
なぎはリゼを見て、瞳を煌めかせた。
「美味しいです!」
「別に普通ですよ。弥月のパンケーキ一式用意する方が技術が必要ですから」
と、リゼが微笑んだ。
「このパンケーキは、おばあちゃんの時は出さなかったの?」
「出してないよ。スコーンは出したけど」
答えながら、弥月が自分の作ったパンケーキを頬張る。
「せっかく美味しいのに」
ふと、なぎが、ありすの皿に目を移す。
ポイップクリーム付きのパンケーキは、半分ほど残っていた。
「もう食べないの?」
「うん。おなかいっぱい」
少し考えてから、なぎは顔を上げた。
「このパンケーキ、お茶菓子として出すならもう少し小さくして、ポイップも少なめにしたらいいんじゃないかしら」
「えー、いっぱい食べられる方がいいじゃん。横浜でも人気ある専門店だと、パンケーキもクリームもたっぷりだぜ?」
「う~ん、そうなんだけど、ここでは紅茶がウリだし、女子はそんなに食べられないし、カロリー気にする子もいるし、子供でも食べられるくらいの量にしたら? あくまでも紅茶が主役で、お茶菓子は脇役で」
「脇役……」
しんみりと、弥月が呟いた。
「でも、ほら、美味しいお茶菓子があって、ちょっと足りないなぁっていうくらいがいいじゃない? もう一品頼もうかって気になってくれるかも知れないし」
「いくら『うちは正統派です』なんて言ったって、お客さんには伝わらないし、カフェインレスにもかなわないんだよ」
そう言って大きく溜め息をつく紫庵を、なぎが横目で見る。
「だったらさー、一目で目立つようにアピールしようぜー!」
もう立ち直った弥月が飛び跳ね、ありすの後ろに回った。
「店の名前、変えようぜ~! 『ありす紅茶館』に!」
なぎは愕然とし、紫庵もリゼも目を見開いた。
「ちょっと、みーくん、何を言ってるのよ、老舗の『港の見える紅茶館』って名前はどうなるの?」
「うーん、サブタイトル的な?」
「『的な?』って!?」
「店長も、ありすがやればいいんだよ」
それには紫庵がピクッと反応した。
「そうか、向かいのゴスロリ二人組に対抗して、こっちは正真正銘のロリで勝負するんだな!」
「お店にロリコン客ばっかり集まったら……!」
なぎが自分の身体を抱え、震えた。
「あの、そういう面だけじゃなくて、メニューも工夫したらどうでしょう? オールシーズンの紅茶もあれば期間限定でお出しする紅茶というのもあって、例えば、桜はもう散ってしまいましたが四月は桜を使った紅茶で、五月はバラを使うとか」
「それいいわね!」
リゼの提案に、なぎが感心した。
「リゼさん、博士、ありすちゃんも一緒に、当面のメニューを考えましょう。なるべく早く開店出来るように」
なぎたちがメニューを決め終わった頃だった。
「なぎー、ちょっと来てー」
外から、弥月の声がする。
「ちょっと、みーくん、仮にもわたしの方が年上だし……多分。呼び捨てはどうかと……」
ぶーぶー言いながら店の外に出ると、スタンド式の黒いボードに、『ありす紅茶館』の文字が大きく、カラフルなペンで飾り文字のように描かれていた。
「……上手い!」
「でしょー?」
弥月が自慢気に笑ってみせる。
その下に、小さく『~港の見える紅茶館~』と書いてあるのに、なぎの目が留まる。
「……ホントに、
「でしょー?」
その翌日、朝起きて店内を見たなぎは、もっと驚くことになった。
店内の床は、チェス板のように白と黒のタイルが貼られていた。
人をチェスの駒に見立てられるほどに。
「ちょっとー! オーソドックスなイギリス風だったのに、どういうことなの!?」
「だって、向かいとおんなじような店より、全然違った方がお客さんも楽しいんじゃね?」
「この方がリニューアルしたって感じがするでしょ、子猫……いや、なぎちゃん」
平然としている弥月と紫庵に、なぎは頭を抱える。
リゼは立ち尽くし、ありすは目を丸くし、博士は関心がなく、厨房の横にあるブレンド室に閉じこもってしまった。
「一晩であなたたち二人で全部やったの? ……っていうか、勝手にリニューアルしないでー!」
唖然としていたなぎは、我に返って叫んだ。
一気にガチャガチャとした店内となった。
だが、白黒のチェス板のような床は、市松模様とも受け取れ、レトロな喫茶店に見えなくもない。
それはそれで、年配の客にも馴染めるかも知れない、とは思うものの、なぎは落ち着かない気分でいた。
「おばあちゃん、ごめんなさい、こんなになってしまって」
店内と看板の写真を撮り、祖母に送信しようとして、思いとどまる。
「そうだった。おばあちゃん、スマホ解約してたんだった」
ちゃんとイギリスに着いたのかな?
高齢だから行くだけで疲れたのかも知れない。時差もあるし。
なぎはもう少し祖母からの連絡を待つことにした。というより、宿泊先も教えられていない。待つしか方法はない。
生活スペースになっている紅茶館の二階で洗濯物を干そうと、洗濯機から洗い上がりの衣類をかごに入れ、ベランダに出る。
「あ、なぎさん、おはようございます」
向かい側の煉瓦作りにツタの絡む洋館のベランダには、同じくかごを持ったリゼが現れ、向かい合わせに会釈をした。
なぎの分はすぐに干し終わるが、リゼは全員の洗濯物を干している。
そのうち、少女がやってきたのが見えた。
「ありす、手伝ってくれるんですか?」
こくんと頷き、リゼとありすが洗濯物を広げる。ありすでは物干竿にやっと届く高さだ。
「みーくんと紫庵は何をしてるの? 博士は見たところご老人だから仕方ないとしても」
「皆また寝てしまったので」
「さっきまで起きてたのに、二度寝!?」
呆れたなぎが紅茶館の建物を出ると、中庭を通り、向かいの洋館の中の階段を上がっていく。
「手伝うわ」
「あ、ありがとうございます」
なぎとありす、リゼで、大量の洗濯物を干す。
「ありすちゃんのものも一緒に洗ってるの? リゼさんが?」
「はい。ぼくというか洗濯機が」
「良かったら、ありすちゃんの分はわたしが一緒に洗って干すわ」
「え、でも、悪いですよ」
「何言ってるの。いくら若くても女の子なんだから、わたしが洗いますよ。いつ紫庵たちが変な気を起こすか……」
「僕が変な気を起こすのは、きみみたいな大人にだけだよ!」
突然、なぎの背後から腕が伸び、抱きかかえた。
「きゃーっ! 何するのよ!」
「こら、紫庵!」
リゼが紫庵の腕を解くと、なぎが逃げ出し、自分の身体を抱えてしゃがみこんだ。
「こわい……!」
「え、そんなに? 軽くハグしただけだよ」
動揺しながら紫庵が、なぎを覗き込む。
ありすもしゃがみ、震えているなぎを下から覗き込んだ。
「ナギ、大丈夫?」
「……わたし……会社にいた時、こわい目に合って……。大きくてキモい大っ嫌いな男に密室で抱きしめられて……身動きが出来なかった……。そのせいなの? あいつなんかに比べたら紫庵はキレイだし、こわくないのに、身体がすくんで……」
なぎは、ありすの瞳を見ると、会社に挨拶に行った最後の日のことも、これまでのことも自然と打ち明けていた。
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