第38話 女王様の館
「なんで私がこんなことしないといけないのよ!」
鏡の国では赤のクイーンであるメアリー・アンは両手を腰に当て、ぷんぷん怒った。
「すみません、人手が足りないんです」
なぎがエプロンをしながら答える。
白衣を羽織った博士とコックコートに身を包んだ弥月は厨房に入り、まだ疲れの残っていそうな梓には、なぎが一年間自分で店を回す約束を守りたいから見守って欲しいと頼んでいた。
「なんでアズサがやらずに私がやるのよ? ねえ、ありすー! なんとか言ってよー!」
久しぶりの母子の対面でもありすは表情を変えず、「あ、ママ」と言っただけだったのを、なぎは思い出した。随分淡々としたものだった。
「あたしはここの店長で、平日は午後のお茶の時間を過ぎたら手伝うの。普通のコドモは学校に行ってる時間に働いてたら、お客さんに変に思われるから」
「なんですって!? ちょっとナギ! 私の娘までコキ使ってたの!? この子はプリンセスなのよ!」
「だから、ママ、働いて」
「へっ!?」
メアリーは拍子抜けしたように、娘を見下ろした。
「あははは! 店長の命令は絶対だぜ、メアリー・アン!」
厨房から顔をのぞかせた弥月が大笑いしている。
「後でタルト作ってあげるからさ!」
「タルト!」
途端にメアリーの碧眼がほころんだ。
「ダージリンの作ったタルトを食べられるならいいわ!」
「すみません、お願いします」
と言って、なぎはメアリー・アンにもエプロンを渡した。
赤いドレスに白いエプロンを着た金髪碧眼女性は、客たちの目を引いた。
「お姫様みたい!」
「素敵なドレスねぇ!」
そんな声に、メアリー・アンは、まんざらでもないように機嫌が良い。
なぎは手が空けば注文も取りに行くが紅茶を淹れるのに忙しく、ほぼメアリー・アンが注文を受け、運ぶ役だった。
休憩室のドアを開け、梓とありすが店の様子を見守っている。
「この私にお茶を運べって言うの!?」
「はい、ごめんなさい。お願いします。ゆっくりでいいですから」
トレーに乗せて運ぶが、どうにも危なっかしい。
「だ、大丈夫ですか?」
「だったら、あなたが運びなさいよ」
「じゃあ、メアリーさんがお茶を淹れてくれるんですか?」
「私が?」
しばらく沈黙するメアリーを、なぎは黙って見つめた。
お城にはお茶の係がいるくらいだから、やっぱり自分では淹れられないのかしら?
「こんにちは」
「ユウさん!」
久しぶりにやってきたユウを、救いの女神でも見るようなホッとした様子で、なぎが駆けつけた。
「昨日の夜、紫庵くんがこの時間に来てくれたらチェスを教えてくれるって言ってたんだけど……いないのかな?」
「ええ、ちょっと急用で」
ユウはさっと店内を見渡すと、空いているテーブルもあり、混んでいるとまでは言えないが、リゼの姿も見えないことに気付いた。
「忙しそうだね。紫庵くんが戻るまで手伝おうか?」
なぎはハッとした。
リゼさんも自分もいないから紅茶館が回らないと思って、紫庵たら気を利かせてユウさんを呼んでくれたのかしら?
と思うとありがたい。
「ありがとうございます! それよりも、おばあちゃんが戻ってきたんです!」
「梓さんが?」
なぎが休憩室にユウを連れて行くと、ソファに、ありすと、ひざ掛けをかけて座る梓と対面した。
「あら、ユウくん」
「梓さん、ご無沙汰してます!」
ユウが礼儀正しく頭を下げた。
「バーの方はうまくいってるの?」
「おかげさまで」
にっこりとユウは答えた。
「そう。今度またお邪魔したいわ」
「是非どうぞ!」
「ところで、ユウくん。お願いがあるの。なぎを手伝ってあげてくれないかしら?」
なぎが驚いた。
「ごめんなさいね、急に。今、うちのスタッフがどうしても外せない用事でいなくて人手が足りないのよ。ね? ありす」
梓と顔を見合わせたありすは頷いた。
「ユウ、お願い。お茶はナギが淹れるから、注文と運ぶのをやってくれない? そうしたら、シアンの代わりにあたしがチェスを教えてあげる」
淡々とした口調でありすが言った。
ユウは思ってもみなかった事態に目を見開き、腰をかがめて嬉しそうにありすを見た。
「ありすちゃん直々にチェスを教えてくれるんだね! 喜んでお手伝いしますよ!」
「ユウさん、ありがとうございます!」
なぎは大きく頭を下げた。
「ママ、お仕事変更」
「ふえっ!?」
ありすに呼び止められ、茶器を片付けていたメアリー・アンは振り向いた。
「お店の中はユウに手伝ってもらうから、ママは外でこれ配って」
ありすは弥月が作ったチラシの束をメアリー・アンに渡した。
「これをどうするのよ?」
「ローズガーデンのところで観光客に配って、お店の宣伝をして」
「この私が!? よくもそんなこと……!」
続けて文句を言おうとするのを、なぎが遮った。
「お願いします! メアリー・アンさんの素敵なドレス姿は絶対人目を引きます。ローズガーデンをバックに立ったらもう似合い過ぎです! 急にこんなこと頼んですみません。でも、……どうかよろしくお願いします!」
メアリー・アンが散々文句を言った後で外に出ると、ユウがリゼのコックコートに着替え、赤いタイをして紅茶を運んだ。
「うわー、なんだかパティシエになったみたいだねぇ」と、楽しそうに笑っている。弥月も親指を立てて「グー!」と答えた。
メアリー・アンの不慣れな調子と違い、スムーズに運ぶユウになぎはホッとした。
「まったく、皆、人使いが荒いんだから。私はクイーンなのよ」
ぷんすかぶつぶつ言いながら、メアリー・アンはローズガーデンの前に立った。
目の前には、ゴシック・ロリータ・ファッションの少女二人がいて、互いにじろじろ見合った。
「誰? あれ?」
「チラシ持ってるから、紅茶館がビラ配りを雇ったんじゃない?」
「コスプレイヤーを?」
黒い衣装でツインテールの双子は小声で話し合い、クスクス笑う。
「まっ、トウィードルダムとトウィードルディーみたいな双子だわ。何をしてるのかしら?」
メアリー・アンは不思議そうに二人を見ていた。
三時のお茶の時間を終えたありすが店に出ると、なぎは少しだけ休憩時間をもらえた。
休憩室での鏡の前で、白いコックコート姿の男が、ありすの飲んでいたカップとソーサー、茶器を片付けていた。
「リゼさん?」
思わず呼びかけたなぎに、振り向いたのはユウだった。
「……そうだった。ユウさんには、リゼさんの仕事着をお貸ししてたんだったわ。背格好が似てて、つい……」
姿勢良く片付ける姿が重なると、思わず瞳が潤んだ。
「あの赤いドレスの、ありすちゃんによく似てる彼女が、前に皆で話してたメアリー・アンさんなんだね」
ユウの穏やかな声に、なぎは目に溜まっていく涙がこぼれないように気にしながら頷いた。
ぽん、とユウがなぎの肩に手を置いた。
「疲れたでしょう? 休んでていいよ。僕はもう一仕事してくるから」
「で、でも、それじゃ悪いです! 手伝ってもらってるのに私だけ休んだら……」
「ありすちゃんにチェスを教えてもらえるっていうのは、それほどの価値があるんだよ」
ユウはわくわくを抑えられないような不敵な微笑みになっていた。
何もなぎを安心させるためだけに言っているようではなかった。
ユウが部屋を出ようとすると、ありすが急いでやってきた。
「ユウ、ナギ、すぐに来て!」
顔を見合わせてから、ユウとなぎは部屋を出た。
「この私が運んでやってるのよ。ありがたく飲みなさい!」
「はい! 女王陛下!」
「いただきます!」
数人の年齢も様々な男性客が、テーブルに着こうともせず床に平伏している。
ドレスをつまみ上げると、メアリー・アンが履く赤い靴のヒールがガツッと踏み付け、一人の背に食い込んだ。
「ああ! 女王陛下ー!」
「どうか、私めにも至上の喜びを!」
「次はわたくしの番でございます!」
驚きのあまり声も出ないなぎとユウは、次々と喜びの声を上げる男たちをただただ見ていた。
「早く飲みなさい。お茶が冷めるわ」
「ははっ!」
「いただきます!」
人相も風貌も年齢も様々な男たちは行儀よく椅子に座ると、一斉に紅茶を飲み出した。
「……鏡の国の人たち……なのかしら?」
小声で訪ねたなぎに、ありすは即答した。
「違う」
翌日、SNSで知った客たちが押し寄せて来た。
「さあ、下僕ども! 私のお茶をありがたくいただきなさい!」
「はいっ! 女王陛下!」
メアリー・アンは得意気であったが、客たちの目的は、紅茶とは別のところにあるのが一目瞭然だ。
「繁盛するのは嬉しいけど……違う! わたしの理想とするお店の趣向とますますかけ離れていくわ!」
なぎは頭を抱えた。
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