第9章 時の番人
第47話 タルジーの森のウサギ穴で
明け方、ベッドで何気なく目を覚ましたなぎは、隣にあたたかく、ふわふわとしたものがあることに気が付いた。
『メイドたちの部屋の、しかもソファなんかで寝てたんですか? だったらなおさらこの部屋を使ってください。隣の部屋にはありすもいますし、何かあった時のためにもその方がいいと思います。ぼくは
なぎにベッドを譲り、ウサギ小屋で寝ていたはずのウサギ化したリゼは、いつの間にかベッドに登り、丸くなっていたのだった。
思わず微笑んで、横になったまま白いふわふわの背を撫で、そのまま安心したように、すうっと再び眠りについた。
朝になり、もう一度目を開けた時にはベッドにもウサギ小屋にも白ウサギは見当たらない。
調理室に顔を出すと、「あ、おはようございます」と、人の姿になったリゼが、弥月と一緒に朝食の用意をしていた。
「今朝はありすの部屋で食べましょう」
「はい。わたし、運ぶの手伝います」
「ありがとうございます」
花柄のトレーに、弥月の作ったパンケーキを乗せている時、なぎは隣にいるリゼをチラッと見上げた。
気が付いたリゼが微笑む。
今まで以上に親しみのこもった笑顔に、なぎも安心して微笑みを返した。
朝食が済むと、ありすの部屋にある、紅茶館の休憩室と同じようにありすがすっぽり入れるほどの巨大な鏡に、白のナイトが映った。なぎも紅茶館で鏡を通して会ったことのある、馬に乗った白髪の鎧の老騎士だ。
騎士が眉間に皺を寄せた深刻な様子で打ち明けた。
「白の城は、白のビショップに占拠されてしまった」
「なんですって!」
「なんだって!」
リゼ、紫庵、弥月が口々に叫んだ。
「ビショップに捕らわれの身となっていた白の女王様を、脱獄したグルジアが救出し、脱出に成功した」
「父さんも無事だったのですね!」
リゼがホッと胸を撫で下ろした。
ナイトは頷くが、深刻な顔のまま馬から落ちそうになり、また這い上がる。
「女王様が正気に戻られ、白のキングもライオンとユニコーンが休憩後に再び争っている間に逃れられた。今はなんとかタルジーの森のウサギ穴に身を潜めておられる」
「おっ! あの暗い森の中の、背の低いカラフルな花たちがしょっちゅう移動しながら咲いてるとこか! 確かに、あそこにはウサギ穴はあちこちあるぜ」
弥月が片方の耳を、ピンと上げた。
弥月が自分にわかるように説明するとは思えず、おそらく実際に見てみた方が早いのだろうと思ったなぎは、その疑問は今は口にしないでおいた。
「グルジアも一緒だが、怪我をしているとのことじゃ。他のウサギたちが応急処置はしたと聞くが、日増しに苦しんでいるようじゃ」
リゼを始め、皆の背筋に緊張が走った。
「だったら、ワシの作った万能薬を持って行った方が良い」
「ああ、アッサム博士はお薬をお持ちでしたか! 是非お願いしたい!」
博士とナイトの会話の横で、紫庵は皆を見渡した。
「キングとクイーン、グルジアはこの城に匿おう。僕とリゼは独自ルートでタルジーの森へ行き、弥月はウサギ穴を通って向かってくれ」
「キングたちはありすと一緒に鏡を通って戻れば、敵に会わずにここに来られる」
「そうだな。リゼの言うように、ありすは博士を連れて鏡からおいで」
紫庵が中腰になり、ありすと目の高さを揃えた。
ありすは頷くと、なぎの手を握った。
「一緒に来て」
なぎは驚いた。
ありすの見上げた青い瞳は、普段の平淡な色合いと僅かに違って見える。
「タルジーの森は意外と楽しいんだぜー! その近くにオレ住んでてよく博士とお茶会したんだ! 毎日『なんでもない日のパーティー』とかな! だから、なぎも行こうぜー!」
「ちょ、ちょっと、みーくん! 遊びに行くんじゃないんだから、わたしなんかが行っても役に立てない——」
「いいえ、なぎさんも、ありすについていてあげて下さい」
遮ったリゼの声に振り返る。
「本当は危険な目に遭わせたくはないので、なぎさんの世界に帰ってもらっていた方がいいと思うんですけれど、少なくともこの鏡の国では、キングの部屋にいるか、ありすについていれば安全ですし、その方がありすも心強いでしょう。それに、なぎさんにはぼくの父のこともお願いしたいです。勝手なお願いですみませんが、博士を手伝って、どうか傷の手当てをしてあげていただけないでしょうか?」
切羽詰まった表情を見上げていたなぎは、ありすにつながれた手とありすとを見下ろしているうちに頷いた。
「わかりました。ありすちゃんと一緒にいます。リゼさんのお父さんの看病もします。そうすることで、戦うことは出来ないわたしでも皆の力になれるなら」
「ありがとう……!」
そう言ったリゼの瞳は潤んでいるようにも見えた。少しは自分でも頼りにされているのだと思うと、なぎは意外でもあり、少し嬉しくもあった。
ありすの手を握ったなぎと博士は赤のキングの部屋にある巨大な鏡を通り抜け、先に出発した弥月を追うようにして一瞬でウサギ穴にたどり着いた。
弥月お勧めの外の景色を見てみたかったが、生憎見ることはかなわず、鏡の中の様々な景色の色が混ざり合う中を通り抜けただけだった。
赤の城に入る前に弥月に連れられて通ったウサギ穴と同じく、オレンジ色の光がぼうっと照らす
既に、紫庵、リゼも来ている。
小さめのベッドや家具が置かれている。森のウサギがくつろぐところに思えた。
「赤の城の者たちか?」
部屋の奥から声が聞こえると、途端に皆は頭を下げ、片足を付いた。
なぎも慌てて頭を下げた。
「お久しぶりです、白のキング、クイーン」
ありすは着ていたドレスの両端を摘まみ、足をクロスさせてお辞儀をした。
「おお、プリンセス・ありす、よくぞこんなところにまでおいでなさった!」
洞窟の奥から現れた、白い装束の、頭に金色の冠を乗せて裏地の赤いマントを身に付けたキングは、プラチナ・ブロンドの巻き毛と顔のほとんどが白い頬髭、顎髭に覆われていて、唯一青く透き通る瞳だけが表情を読み取れる。
その後を、同じく艶やかなプラチナ・ブロンドを結い上げ、上品なデザインのティアラをした、白い格調高いドレスに白い宝石を耳からぶら下げている美しい女性——クイーンも続いて現れた。
「今は、かしこまっている事態ではないのでお互い手短に話そう。皆も顔を上げてくれ」
「すみません、白のキング。早速ありがとうございます。時計ウサギのグルジアが怪我をしてこちらにいると聞きましたが、今会えますか? 万能薬を持ってきたんです」
リゼの口調は、
「グルジアはこちらだ。急げ」
早足で奥へと進む王だが、とても速いとは言えない速度だ。
「わたくしがご案内しますわ。王はどうぞごゆっくりいらして」
赤のクイーンのように、なぎと年齢も近く見える白のクイーンは、目尻の下がった優しそうな顔立ちで、なぎは
クイーンは走るようなスピードで洞穴を進むが別段走っているようには見えず、紫庵たち三人は同じ速度で付いていき、なぎと博士は手を繋いだありすがひゅんと移動したのに引っ張られて、足が地面から浮くような感覚で、白のクイーンに遅れをとることなく素早く進んでいた。
オレンジの光が照らす部屋のような空間に再びたどり着くと、奥にあるベッドに横たわる白いウサギを発見した。
ウサギの背には、青いきのこがびっしりと生えている。
「父さん!」
リゼが駆け出し、皆も付いていく。
ベッドの脇に跪き、白ウサギの前足を握った。
苦しそうに息をしているウサギが辛そうに
「父さん、ぼくです、リゼです。その傷はバンダースナッチにやられたんですね? よく効く薬を持ってきました」
「ワシが改良して液体化した分、濃さは倍増し、鎮静剤の成分を増やし、即効性も増した。リゼが使った時より痛みもなく、早く効くだろう」
ひょっこり博士がリゼの横から顔を出し、白ウサギに言い聞かせた。
ウサギは苦しそうに荒く息をし、毛並みもよくない。
リゼの目には、父親の衰弱した姿が痛々しく映る。
いたたまれない顔で振り返った時には、なぎがそばにいき、薬の瓶を差し出した。
貴族の女性が使うバルブアトマイザータイプの瓶で、振りかけられるようになっている。
香水ボトルの蓋に付いた管の先が膨らんだパフパフを摘み、シュッシュッと青いきのこに吹きかけた。
両耳をピンと立てたウサギが目を見開き、足をバタつかせるが、紫庵がベッドの上に姿を現し、押さえつけた。
「驚かなくても大丈夫だ。即効で効くから」
「ホントだからさ!」
弥月も取り押さえに加わり、暴れるウサギのきのこに、リゼが
しばらくして、ウサギは震えながら丸まり、眠気に襲われたようにコロンと横になった。
リゼは
「なぎ、時間を置いて、もう一度薬を振りかけた方がいいじゃろう」
「はい。そうします」
紫庵とリゼの提案通り、なぎはありすと手をつなぎ、ありすのもう片方の手にはクイーンとキングが掴まった。
博士は弥月に引っ張られウサギ穴を通り、城に戻った。
紫庵と、ありすと背丈のそれほど変わらないウサギのグルジアを抱いたリゼは、それぞれ独自の方法で、間もなく無事に城に戻っていった。
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