* 夏の紅茶 *
第4章 夏の紅茶
第19話 ミニトマトのアイスティー
準備中の紅茶館では、季節物である夏だけの特別メニューを選別中だった。
「こちらは、紫庵が考えたイタリアンフルーツ・ティーです」
リゼが言った。
ニルギリの茶葉にイタリアンバジルを1g ほど入れて湯をそそぐ。
グラス一杯に入れた氷にシロップを多めにかけ、その上から二分半蒸らした茶を注ぎ、ミニトマトとバジルの葉を飾ったものだった。
「トマトを紅茶に入れちゃうの?」
ミニトマトがゴロゴロ入ったアイスティーを見て顔を引きつらせるなぎには、思い切り抵抗感が表れている。
紫庵とリゼが笑った。
「茶葉は今はニルギリを使ったけど、香りにクセがないディンブラとかキャンディでもいいよ。騙されたと思って飲んでみなよ、なぎちゃん。ほら、ありすだって飲んでるよ」
丸みのあるワイングラスを傾け、平然と飲んでいる少女を見る。
スプーンでミニトマトを掬うと口の中に入れ、どことなく微笑んでいるようだった。
「赤のクイーンは赤いものがお好きで、赤い物を使った紅茶はよく頼まれました。ぼくと紫庵はいつもいろいろ試作していて」
「ああ、だよな」
紫庵の隣で微笑んだリゼの笑顔が淋しそうではないとわかると、なぎも微笑んだ。
「ありすは小さい頃はトマトが嫌いでしたが、今は大丈夫になりましたね」
「スープとかピザみたいに温めれば大丈夫。生のトマトが苦手だっただけ」
無表情でありすが応えるのを、リゼはいつものようににこにこと見ていた。
好きな人の子供の世話係——ちらっと、なぎはリゼとの会話を思い出したが、今の彼を見ていて辛そうには思えなかった。
なぎがリゼを避けることもなくなった。
リゼの方も誰かに話して気が楽になったようにも見える。それなら自分は少しは役に立てたのだろうかと、なぎは少しだけ嬉しく思った。
それから、問題の、テーブルに置かれた、赤い丸い物が氷と一緒にゴロゴロと入ったグラスに視線を移動させた。
「……ま、まあ、見た目は可愛いわよね。鮮やかな明るい赤にパッとした緑色の葉が乗ると、マルゲリータピザみたいだし」
勇気を出してグラスを傾けると、バジルの香りに誘われた。
「意外に美味しい……。紅茶だけどバジルの香りが冷製スープっぽくもあって、後口が紅茶らしくさっぱりしてて、バジルがリラックスさせてくれるみたい」
「トマトも食べてみて」
紫庵が大人の男のように色気のある微笑みを浮かべながらも、わくわくとしたいたずらっ子のような輝きを碧い瞳に浮かべている。
すんなり食べているありすを見て、なぎもスプーンでミニトマトをすくい、おそるおそる口に入れた。
「えっ、甘い!? さっき、紫庵、固めのトマト使ってたわよね? 食感が良いし、シロップのせいか甘くてホントにフルーツみたい!」
「そ。だから、『イタリアンフルーツ・ティー』ね」
「真夏に飲んだらさっぱりして、トマトの栄養も取れるし、夏バテ防止にいいかも! でも、『トマトとバジルの紅茶』って表記だけだと、わたしみたいに想像がつかなくて『え〜?』ってなる人もいるだろうだから、メニューに写真を載せましょうか?」
「写真! いいね!」
紫庵がぽんと手を打ち、リゼを見た。
「確か、博士がカメラ持ってたよな?」
「あれはちゃんと写らないから……」
「……」
窓際に新しく淹れたアイスティーを持っていき、リゼがなぎのスマートフォンで撮影する。
「これでどうですか?」
「わあ! ちょうど光がグラスに当たって綺麗ね!」
「OKでしたらSNSにも載せましょう」
「はい! それにしても、紅茶って何でもアリなのね! ミニトマトとイタリアンバジルも入れられちゃうなんて!」
なぎたちがわいわいやっている店内の奥の厨房では、弥月がキューカンバー・サンドウィッチを作っていた。
きゅうりを3mm ほどの厚さに縦に切り、長さをサンドウィッチ用のパンに合わせ、容器に入れて塩胡椒をし、味を馴染ませてから、ペーパータオルで水気を除く。
パンには一枚にはバターと、もう一枚にはマヨネーズを端まで塗る。
きゅうりを隙間なく並べて挟み、しばらく皿を乗せて落ち着かせてからパンを切る。挟んだきゅうりが見えるよう切り口を上に向け、貝割れ菜を乗せた。
「みーくん、これ美味しい! 暑くて食欲ない時とかにもいいわね!」
なぎに褒められても、弥月は特に嬉しくもなさそうに溜め息を吐いた。
「どうしたの? 珍しく元気ないわね」
弥月は椅子に座り、テーブルに肘をつくと溜め息混じりに言い出した。
「どっか行きたい」
「なんなのよ、唐突に」
腑抜けた顔で、弥月はぼうっと言った。
「なんかこう、日常とまったく違うところに、新しいネタを仕入れに行きたい。せっかく『鏡の向こうの国』に来たんだから」
弥月たちからすれば、こちらの世界を『鏡の向こうの国』と呼ぶことを、なぎは思い出し、頭の中で変換して聞いていた。
「オレの知らない世界がまだある。例えば、これ!」
休憩室から持って来てバラバラとテーブルに置いたのは、旅行会社のパンフレットだった。
昨日、弥月が食材を買いにいったが、そのルートに旅行会社はない。いったいどこまで寄り道したんだか……と、なぎが呆れた苦笑いでそれらを眺めた。
「ねぇ、リゼ、オレにも時計貸してよ。博士には貸しただろ?」
「壊れて戻ってきたけどね」と横目で、リゼが平淡に言った。
「オレが壊すわけないじゃん! ねぇ、貸して貸して! じゃないと、牢獄に入れられたウサギみたいに病んじゃいそう!」
「……そんなに、ここはストレスが溜まるの?」
「そうじゃないよ。オレはフード・クリエイターなんだぜ! 常に新しいものを作りたいんだ! そのためには、行ったことのないところに行って、見たことのない景色を見て、新しい味を見付けたいんだよ!」
「みーくんが、フード・クリエイターねぇ……」
怪訝そうな顔のまま、なぎは熱く語る弥月を見つめる。
「なぎちゃん、弥月は時々こうなるんだよ。だから、わざわざインドに行ったこともあって、そこで買って来たスパイスをティーフードに活かしたりしてたんだ。ありすも知ってるよね?」
紫庵に、ありすも同意して頷いた。
「でも、みーくん、これまでリゼさんに時計借りて旅行したことあるの?」
「あるよ。ほんの一週間くらいだけな」
「壊さなかった?」
「壊してないけど、錆びた」
「錆びたの!?」
驚いたままなぎがリゼを見ると、リゼは疲れた笑いを浮かべた。
「ちょっとの期間にどうしたら錆びさせられるのかしら? 逆に難しいと思うんだけど」
けろっと、一向に悪びれた様子もない弥月をじろじろ横目で見る。
「あたしも行きたい」
平淡な少女の声が初めて積極的に物を言ったことに、ますますなぎは驚いた。
「ありすちゃんも、一緒に行きたいの?」
ありすがそんなことを言うとは意外だ。
弥月の顔がぱーっと晴れ上がっていく。
「だよな! ありすも行きたいよな、南の国!」
「南国って決まってるの!?」
ハワイ、グアム、小笠原諸島、沖縄……弥月がテーブルに並べたのは南の国ばかりであった。
「フルーツが美味しそうなんだよ! 絶対紅茶にも合うと思うんだ! な? ありすも一緒に行こうぜ!」
弥月がありすの両手を取り、ぐるぐる回り始めた。
ありすも普段からは想像も出来ない、素直な子供のようにきゃっきゃと笑った。
ほんの一瞬、なぎは、世界遺産である小笠原諸島に弥月を行かせるのは間違っている気がした。
「大丈夫……じゃないわよね。コドモだけで行かせるのは」
「はい。僕が一緒に行って……」
「でも、リゼさんまでいなくなっちゃったら、留守中のお店が困るわよね。夏の期間限定メニューって、さっきのミニトマトのアイスティー以外にもいくつか写真撮ったのももうSNSで発信しちゃったし、意外と『いいね』付いてるし」
少し考えてからリゼが切り出した。
「あの、経理の面から言って先月は開店したてで赤字なのはしょうがないと思いますが、今月からは黒字目指していかないと……」
「そうなのよね。どうしよう? といって、みーくんがやる気出ないのも困るし、可哀想だし……」
リゼとなぎが話し合っている横で、紫庵が口を開いた。
「なぎちゃんが行けばいいよ」
「はい?」
二度見したなぎに、にっこりと余裕の笑顔で紫庵がもう一度言った。
「なぎちゃんが、弥月とありすを連れて、旅行してくればいいんだよ」
「で、でも、それじゃ、紅茶館は……」
言いかけて、すぐに口を噤んだ。
そして、肩をすぼめて小さくなった。
「……要するに、わたしが戦力外ってことね。納得しました」
「あはは〜、そーゆーこと! 頼んだよ〜!」
肩の荷が下りたように笑う紫庵に、言い返したくても言い返せないでいるなぎは、せいぜい上目遣いになるしかなかった。
「すみません、なぎさん。二人をよろしくお願いします。あの……時計は、ありすが使い方を知ってますので」
目を見開いて、なぎはリゼを見上げた。
「いろんな人が使えるのね、あの時計」
「ええ、ぼくが許可すれば。でも、皆は移動するしか出来ませんから。ましてや、時間を行き来なんて出来ませんから安心してください」
安心させようとリゼが笑顔になっているのはわかったが、一層心配が募るなぎだった。
※『紅茶のすべてがわかる事典(ナツメ社)』では、ミニトマトは半分に切るよう書いてありますが、作中では見た目重視で切らずに入れています。
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