『海の色は何色』35


 ✳︎




 音が嫌いだった。



 自分が聞こえる音は、普通の人には聞こえないような音。そして、その音のせいで大切な人が死んだ。



 人はこのようなことを『超能力』とよく呼ぶ。


 しかし、誰かを傷つけるための能力なんて必要ない。そんなものを超能力だなんて言わない。そして、そんな能力はあってはならないのだ。



 だから、ひたすら耳を塞いだ。聞こえないように、必死に耳を塞いで毎日を過ごした。


 そしたら、いつの間にか、あの音は聞こえなくなっていた。


 良かったと安心したのもつかの間、さらに別の問題が浮かんできた。



 友達の声も聞こえなくなったのだ。



 何も聞きたいと思わなかったから、誰の話も聞いてこなかった結果、誰も自分には話しかけなくなった。


 色盲という一般人とは違うものを持っていたこともあってか、僕はいじめられた。


 でも、構わなかった。どうでもよかった。この世界は、モノクロのつまらない世界でしかない。そんな世界に、友達なんて色はいらない。





 そう思っていたのに……。






 ✳︎


「巧海、ちょっと来なさい」


 机に向かって、3DSで遊んでいると、隣の部屋から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「なんだよ、おじいちゃん。俺、今、算プリの宿題で忙しいんだよ」


 適当に言い訳をしながら、俺はおじいちゃんの部屋に向かった。どうせ、またゲームのやり過ぎだとか説教されるに違いない。


 おじいちゃんは、ちゃぶ台に湯のみを一つ置いて座っていた。


「巧海。お前、もう小学5年生になったんだよな」


「まあね。高学年だよ」


「漢字テストは満点取ってるか?」


「何? もしかして、俺がちゃんと勉強してないとでも思ってたの? 残念だけど、毎回テストは満点だぜ」


「じゃあ、読めるかな」


 読める? 何が?


 疑問に思っていると、おじいちゃんがガサゴソとちゃぶ台の下から取り出した。



 分厚い封筒だった。



「何それ?」


「見ればわかる。これは、巧海の自由にしなさい。俺は、何も言わん」


 それだけ言うと、おじいちゃんは部屋を出て行ってしまった。



「なんだよ。意味わかんねぇ」


 俺は文句を言いながらも、その封筒の中身が気になってしまい、ついにそれを手に取った。



「宛名は出版社。ってことは、何かの原稿?」


 しかし、どうも郵便局に送られた痕跡がない。


 封筒をひっくり返して、送り主の正体を見る。





 息を飲んだ。






「お父さんと、お母さん……」




 手が震える。

 最後に二人の姿を見たのは、七年前。俺が四歳のとき、幼稚園の送り迎えのときどった。


 鮮明に覚えている。もちろん、あのときに聞こえた音も。恐怖も。


 お父さんもお母さんも、死んだ。

 事故死だったらしい。



 もう二人のカケラはどこにもない。そう思っていたが。



「ちゃんと、残ってる……」



 俺は静かに封を開け、中身を取り出した。



 タイトルは『君の青、僕の赤』。



「“彼女と出会ったのは、3月の砂浜だった” か。なんかいいな」


 確かに難しい漢字や、言葉もたくさんあったが、読めないことはない。


 僕は、ゆっくりと長い時間をかけて、その物語を読み進めていった。











 ✳︎


 気がつけば、涙を流していた。


 感動して泣くってこと、本当にあるんだ。俺は、怪我したときとめちゃくちゃ怒られたとき、そしてお父さんたちが死んだときしか泣いたことがなかった。だから、本を読んで泣いたなんて初めてのこと過ぎて、なんだかよくわからなかった。


 だけど、読んでいてすごく楽しかった。


 聞いたこともないような、不思議な音が本からたくさん聞こえてくるのだ。読み始めは、音を聞こえないようにしていたのだが、どんなに耳を塞ごうとしても、本の音は次から次へと流れ出て止まらなかった。だから、耳を塞ぐことをやめたのだ。


 でも。


 こんなに、世界は広かったのか。


 確かに、嫌な音もある。辛い音もある。だけど、その分、素敵な音もある。



 そして、最後の一文からはお父さんの懐かしい音がした。



“だから僕はこれからも、「自由」に書き続けます。”



 きっと、これがお父さんの本心なんだろう。温かみのある音が、体中に広がり、やがて、心がブワッと熱くなった。



「俺も、小説、書けるかな……」


 お父さんたちが残してくれた、この物語を、僕らしい形で創りたいと思った。



「どうするも俺の自由って、おじいちやん言ってたよな」


 多分だけど、これはお父さんの書いた最後の作品で、これを出版社に出す前に死んでしまったのだ。


 だから、この封筒をそのまま送ればきっと本になるだろう。



 だけど、どうもそうする気にはなれなかった。なんというか、二人がそれを望んでいるように思えなかったのだ。



「俺が新しく小説を創って、題名はこの『君の青、僕の赤』にするのはアリかなぁ……」


「アリだよ」


 突然、真後ろで声がして、「うわぁぁぁ、出たぁぁぁぁぁ!!!」と僕は叫んでしまった。


「な、なんだ、お、おじいちゃんか。心臓に悪いよ」


「そりゃこっちのセリフだ。大声で叫ばれて驚いたじゃないか」


じゃあ驚かせるようなことするなよ。そう思ったが声には出さず、その代わりに別のことを聞いた。


「……で、題名はそのままで俺が話を新しく創るのはアリなんだね?」


「ああ。いい。……まあ、そんな簡単に行くとは思えないけどな」


 そこで、僕の心に火がついた。



「……上等っ!」








 ✳︎


 おじいちゃんの言っていた通り、小説を書くのは難しかった。


「んぁぁ、もうっ!」


 集中力が切れたので、気分転換で外に散歩に出かけることにする。



 とりあえず、適当に家の近くを歩き回っていると、クラスメイトたちが前からやってきた。


「よう、巧海! 一緒にサッカーやろうぜ」


「あ、ごめん。今ちょっと用事あるから、また今度誘ってくれ!」


「そっか。じゃ、またなー!」


 そう言って俺たちは別れる。




 お父さんとお母さんの書いた小説を読んでから、また音を聞くようにした。その結果、友達とも仲直りして、今では普通に遊んだりしている。


 小説を書くと、たくさんの色が見えてくる。


 それこそ、この世には無いような色だって見えてくるのだ。



 自由って、いいな。




 そんなことを考えていると、前方で女の子がテクテクと歩いているのが見えた。黄色い帽子を被っているから、おそらく一年生だろう。ランドセルがまだ大きい。



 少し、耳を澄ましてみた。




 すると、「パン!」というキレの良い音が聞こえてきた。誰かを叩く音? なにやら不穏な空気。


 しかし、そのあとには不思議な音が次々と聞こえてきた。まるで、お父さんたちの小説のように。



 しばらくの間、その音に耳を傾けていると、後方から小刻みな足音と共に、他の女の子の声が聞こえてきた。



ちゃーん! いっしょに帰ろっ!」


その声に反応して、前方にいた女の子が振り返る。フワリとしたその笑顔は、どこか懐かしい温かさを思い出させた。


「あいちゃん! 早くこっち来てー!」


 愉快に笑いながら女の子たちは合流して、仲良く帰っていった。



 僕も、来た道を引き返して家へと向かう。








 新しい物語が始まる予感がする。
















 ✳︎



 そして、この女の子と巧海が再会するのは、また別のお話。












 前日譚「海の色は何色」 : 終









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る