『海の色は何色』14
*
「うーみーはぁ、ひろいーなぁ、おっきぃーなぁー」
その先は歌詞を覚えていなかったので、「フーフーフ、フフフーフ、フッフーン、フフーン」と鼻歌で誤魔化した。それに呼応するかのように、さざ波が優しく歌う。
朝のこの時間が好きだ。
日の光がまだ上っておらず、水平線の先が紅蓮と群青を司っている広大な海。
その先の方では、お父さんたちが網を引っ張っているのだろう。肉眼では見えずとも、心の目ではよく見えた。
この時間に歌を歌うのが好きだ。
誰にも邪魔されないし、咎められない。障害のせいで、怒鳴られることもない。
澄んだ空を見上げて、心赴くまま、力一杯歌える。
でも、最近はもっと好きな時間があるの。
それはね。
和臣さんの物語を一緒に創っているとき。
そのことだけに、夢中になれる。
幸せが胸の中に広がる。
そういう、時間。
*
「和臣さん」
いつもの小屋の中、今日も私たちは小さな机を挟んで向かい合う。
「ん?」
一つの言葉から関連する言葉をどんどん繋げていくという、「マッピング」と呼ばれる図で埋め尽くされた紙を広げながら、和臣さんが顔を上げた。
「あの、その物語のことなんだけど……中身より先に題名を決めるのはどうかな?」
今回の作品のコンセプトは、『和臣さんの本心で書いた物語づくり』がメインだ。そこにさらに、『世間にも認めてもらう』という難題が付いてきただけだ。 “だけだ” と言ったが、無論そんな簡単な話ではない。自分の書きたいことと、世間が求めている面白さというのは必ずしも一致するわけではないからだ。むしろ、一致しないことがほとんどだろう。
だからというわけではないが、普段と違う順序から考えてみるのはどうかと思ったのだ。和臣さんの場合、物語を創ってから、最後に題名を決めるのだという。
「なんていうか……多分、和臣さんの心の中では、伝えたいことや書きたいことはもう決まってるんだよね? あとは、うーんと、物語の主旋律というか、肉付けというか……流れ的なものが決まらないってだけ。そうでしょ?」
すると、和臣さんはフフと笑って頷いた。
「相変わらず、真彩は表現豊かだなぁ」
「からかわないで」
和臣さんは首をブンブンと振りながら「からかってなんかないよ、滅相もない!」と訴えた。
「まあいいけど。……だから、先に題名を決めてそこから話を紡ぎ出せば、なんていうか、それを書く和臣さん自身もこの物語の中で冒険が出来るんじゃないかなって」
うーん、やっぱり上手く説明出来ない。けれど和臣さんの反応は、私の納得していない様子といつも真反対だ。
「なるほどね。やっぱり真彩の表現は面白いし、わかりやすいよ」
ありがとな、と爽やかに笑うその笑顔に、思わず胸が高鳴った。こういうとき、「私、ちゃんと恋してるんだな」なーんて、他人事のようにしみじみと思う。
「ちょっと考えてみよう。真彩は何か入れたい単語とか、ある?」
まさか自分が題名の提案までもしていいとは思ってもいなかったので、私は「えぇっ」と焦ってしまった。
「いや、無理にとは言わないけど」
「ううん、そういうのじゃなくて、ちょっとびっくりしただけなの」
私はぐるりと頭の中の引き出しを見渡した。
真っ先に浮かんだのは、『ライオンの空』の主人公の言葉だった。
「『君は青色の澄んだ心を持っているけれど、僕の心に色はない。闇しか宿っていないんだ』____彼はそう打ち明けた」
和臣さんは驚いたのか、大きく目を見開いた。しかしすぐに嬉しそうに笑って、私の言葉の先を続けた。
「けれども彼女は、『そんなことはないわ』と微笑む。『あなたの心は、赤色よ。私に生きる希望と熱をくれた、真っ赤な心』」
このシーンを読んだとき、私は大好きな暁の海を思い浮かべていた。紅蓮と群青とが、溶け合わさった海。主人公と彼女のような、優しさと強さが滲み出ている色。
「僕の母親は、『泣きたいときは笑え』っていうモットーの人だったんだ」
優しさと強さの両方を感じさせるような精神だよね。和臣さんがふわりと笑う。
「そんな素敵な人になりたいよ、なってみせるよ……『ライオンの空』は、そういう意味合いを込めて創ったんだ」
和臣さんの過去の話____母親との急な別れ____については既に聞いていたので、その思いの深さがよくわかった。
「それで、いきなりその場面を引用するってことは、なにか案があるってことだよね?」
うう、痛いところを突いてきた。
「ま、まあ……」
「どんなの? ねえ、教えて!」
出ました! 和臣さんの小説スイッチ! 一度このスイッチが入ると、逃げる事は出来ない。
「なんか、本当に気色悪い感じなんだけど……」
「いいからいいから!」
和臣さんがじいっと目を見つめてきた。ここはもう、腹を割るしかない。
「……『君の青、僕の赤』」
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