七年前――小学校三年生の春②
講演会当日。『自分の色を見つけにいこう!』と講演会名が変わったチラシを片手に、ママと電車に乗った。
最寄りの駅から、たった一駅。本当は自転車で行く予定だったけれど、雨が降っていたので電車で行くことになったのだ。
会場は、小さな地区センターだった。ママと受付を済ませ、案内された部屋に向かう。
すると、同い年くらいの女の子が、ひとり先に来て席についていた。どうやら、その子は自分ひとりだけで来ているらしい。
「あの……となりの席、座ってもいいですか?」
わたしが聞くと、その子はふわりと笑って頷いた。
……かわいい。
肩につくかつかないかくらいの長さの髪はさらさらしていて、すこしうすい色の瞳はきらきらしていた。顔は白っぽいけど、ほっぺたは濃かった。
もしかして、日本人じゃないのかな?
すると、ママがにっこり笑ってその子に話しかけた。
「今日はひとりで来たの?」
はい! とその子は元気に答えた。
「パパは今ロシアに出張で出かけていて、ママはいつも通りお仕事に行っているので」
えへへ、と笑ってその子はわたしの方を向いた。
「あの、わたし、マリンって言います。日本の、海の日に生まれたからマリン。あなたは?」
「わたしは、彩美。『彩る』って漢字に『美しい』って漢字で、彩美」
ア、ヤ、ミ、とマリンは一文字ずつ確かめるようにつぶやく。
「彩美! とってもいい名前! ね、名前の由来を教えて!」
名前の由来……それは友達のなかではまだ、浩介くんとあいちゃんにしか教えたことがなかった。名前の由来はわたしの宝物だから、信頼できる友達にだけ教えようと思っているのだ。
……ちなみに浩介くんは友達じゃないけど、しつこく聞いてくるから仕方なく教えただけ。……たぶん。
でも、マリンになら教えてもいい気がした。
「わたしはね、生まれつき色がわからないの」
マリンは真剣なまなざしで頷いた。
「そのときね、ママもパパもわたしに魔法をかけてくれたんだ。『たくさんの友達と触れ合って、いつか最高に美しい色を自分で彩れるように』って」
ママの方を見ると、ママは目を静かにつぶっていた。
「それで、わたしの名前は魔法の名前なの。このことは、わたしの宝物だから、秘密だよ」
わたしが言い終えると、マリンは小指を出して『ゆびきりげんまん』をしてくれた。
マリンと絡めあった小指は、心なしか温かくなっていた。
講演会には、二十人くらいの人が集まった。幼稚園生の子もいれば、高校生の人までいた。ここに来ている人たちはみんな、程度は違っても色覚に何かしらの異常がある人たちなんだと思うと、少しホッとした。
マリンの場合は、少し色が判別しにくい程度で全くわからない、というわけではないらしい。それでも、日常生活に支障はある。最近いちばん困ったのは、絵を描くのが好きな弟のために薄い色のクーピーを買いそろえたのだが、間違って同じ色を何本も買ってきてしまったらしい。薄い色というのは判別しにくいのだが、マリンはそれに気づかず、ラベルを見ないで選んでしまったのだとか。
開始時刻になった。すると、ひとり中学生らしき男子が入ってきた。
「みなさん、こんにちは! 本日は、雨の中ご来場して頂き、ありがとうございます」
その声に、聴き覚えがあった。
「それでは、講演会のほう、早速始めさせていただきます!」
うそでしょ……!
この人が、あの作家さんだなんて……!
講演の内容は、作家としてではなく色覚異常を持つ者としてだったけど……すごくよかったと思う。
この作家さんは、小学生の頃いじめを受けていた。その当時は、まだ色覚異常に対しての知識が人々にいきわたってなく、病気だと思われていたらしい。先生も見て見ぬふり。学校外でも差別を受け、自殺まで追い込まれたという。
けれど、そのときある本を読んで生きようと思ったんだとか。そして、それが作家になったきっかけでもあるようだ。
講演会のあとも個人的な相談があれば、受け付けるとのことで、そこにいたほとんどの人が作家さんの元に集まった。
「彩美、どうする?」
とママに聞かれる。ちなみに、マリンはすでに列に並んで順番待ちをしていた。
「うーん……」
とくに質問したいことはなかった。けれど、このまま帰るのはすごくもったいない気がする。
実は、いくつか気になっていたことがあった。それについて質問してみようかな……。
「ちょっと、聞いてみたいことがあるから、行ってくるね!」
わたしは、最後の相談者となった。まあ、列に並ぶのが遅かったから、当たり前の結果ではあるんだけど。
「あの、質問がいくつかあるんですけど……」
すると、作家さんは優しく笑って言った。
「ああ、君、前に電話くれた子だね。いいよ、なんでも質問して。どうせ、最後だから次に待つ人もいないし」
……本当にこの人は中学生なのだろうか、と思うくらいその人は大人びていた。ただ、身長はわたしより少し高いくらいだ。
「ええっと、まずですね、この前電話したときに、『できれば、あなたにもこの講演会に参加していただきたい』って、言ってましたよね? それは、なんでですか?」
作家さんは、ああ、と言うとニコリと笑った。
「いや、『障害』のことでさ、あそこまで真剣に考えられる小学三年生なんて、すごく魅力あんなって思って……。ちょっと会って話してみたいと思ってたんだ、マジで」
これを聞いて、少し肩の力が抜けた。
なんていうか、いくら有名作家だといっても、話し方は中学生っぽいんだな、と思って。あ、ちょっと上から目線だったかな、今の……。
「そんな……。ちょうどその日、始業式のあとに道徳の授業があって……それで障がい者の方の話を読んだので、それで……」
へえ、最近の小学校って初日から授業あるんだ? と、ちょっと的外れな返答が来たので少し笑ってしまった。
「でも、はっきり自分の意見を言えるなんて、すげぇと思うよ。はい、次の質問どーぞ!」
と、次の質問を促された。
「あとは……講演のときに言っていたことでちょっと気になってて……『自分で色を創造する』って話」
そう、この人は講演会の最後に「自分で色を創造してみてください、きっと素敵な世界が広がりますから」と言っていた。でも……。
「でも、もともと『色』というものが何かもよくわからないのに、一体どうやって?」
その話を聞いたとき、わたしは必死に色を思い描こうとした。けれど、まったく思い浮かばないどころか、目の前が真っ黒になってきたのだ。
だから、どうすればいいのか気になって仕方なかったのだ。
「それは……そのうちわかるようになる。俺もさ、むかしは『色』そのものが嫌いだった。……いや、怖かった」
……きっと、わたしが一年生のときに感じたものと似たようなものなんだろうな。
「でも、色んな人たちと出会って、話して、笑って、時には一緒に泣いたりなんかもして……。そうしているうちに、自分のなかで『色』が大切なものになってたんだ」
俺の今のセリフわりと名言じゃね? と嬉しそうに彼は言った。
「だから、ゆっくり考えていけば大丈夫。君みたいな子なら、きっと」
そう言った彼の目は、どこか懐かしそうな目をしていた。
この人は普通の中学生じゃないな、と思った。そりゃあ、一人前の作家としてデビューしてる時点で、もう普通じゃないけど……。それ以前に、普通の中学生じゃこんなに大人びた言葉は言わない気がする。
わたしが、初めて心から尊敬できた人だった。
「ところでさ」
「ひゃいっ!」
急に話しかけられたので、変な声が出てしまった。作家さんが、吹き出して笑う。……もう、年下の女の子に向かって笑うなんて!
「名前、なんて言うの?」
「え?」
突拍子もない質問をされたので、思わず聞き返してしまった。
「君の名前。なに、もしかして知らないの?」
……完全にからかわれてる。
「川口彩美です。……『彩る』に『美しい』で彩美」
そういえば、この人の本名は何だろう? 作家としての名前は、ペンネームだと聞いた。
「あの……お名前は?」
と聞くと、「え~、ひみつ」とはぐらかされた。……なんか、小学生なめすぎじゃないか?
「じゃあ、なんて呼べばいいんですか!」
「師匠、とか?」
「いつから、わたしは弟子になったんだよっ!」
あ、まずい。ついついクラスの子と話すときの言葉遣いに……。
「ご……ごめんなさいッ!」
「ははっ、最近の小学生は礼儀正しいな」
……こっちは真剣に謝ったんですけど。
「いいよ、タメ語で。俺、敬語使われんの苦手だからさ」
はあ……一体なんなんだ、この人?
「でも、師匠って呼べよ」
「なんで?」
「え、なんかかっこいいじゃん、響きが」
響きかよッ! と心の中でツッコミを入れる。
でも、この人と会うことなんてもうないだろう。なのに、今さら「師匠と呼べ」と言われたって……。
すると、まるでわたしの心の中を見透かしたかのように、「また俺たちは会うぞ」と師匠が言った。
「なんで、そんなことわかるの?」
「え、ただ言ってみたかっただけ」
ガクッ、とマンガのようにズッコケそうになった。もう、師匠と話すと振り回されっぱなしだ。
「さ、そろそろ時間だ。じゃあ、今日はありがとな」
そうやって、あっさり別れを告げられるとちょっと悲しくなった。
いつのまにか、ママが隣に来ていた。一緒にお礼を言って、部屋から出ようとすると、師匠が「彩美」とわたしを呼び止めた。
「チラシはしっかり、取っておくといいぞ」
最後まで、変な師匠だった。
それからのわたしの生活は見違えるように変わり、師匠が言っていた「色を創造する」ことも出来るようになった。
……なーんてね。
それからの生活も、とくに大きな変化はなかった。浩介くんは、相変わらずたくさん話しかけてくるし、今だにわたしのことを陰で「障害者」と呼んでいる人もいるし……。
とても、「色を創造する」どころではなかった。
もちろん、毎日楽しいこともあった。放課後、あいちゃんと一緒に遊ぶのは日課となっていて楽しかったし、最近は浩介くんと話すのも嫌じゃなくなっていた。
それに、浩介くんはクラスの人気者だから友達がたくさんいる。だから、わたしと浩介くんが話していると、浩介くんの友達がわらわらと集まってくるのだ。
小さな変化は、確かにあった。
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