七年前――小学校三年生の春①
桜の花びらが口の中に入ってきた。意外と甘いな……、ってすぐ吐き出さなきゃダメじゃん! そう考えて、あわてて口から花びらを吐き出す。淡いピンクの色が黒いコンクリートの上にひらひらと落ちていった(たぶん)。
一年生のときに起きた浩介くんとの事件から、約二年が過ぎていた。
それからというもの、わたしはできる限りみんなと関わらないようにしている。
もう同じような失敗をしたくなかったのだ。
あの事件の一週間後に、先生がわたしは生まれつき色がわからないということをみんなに伝えた。すると、何人かの女子はわたしのことを気遣ってくれるようになった。もちろん、あいちゃんも今まで通り手伝ってくれた。
……残りの人たちは、パパとママが言っていたようにわたしにあまり近づかないようにしていた。その人たちは、マンガとかに出てくる、いじめっ子たちの顔とよく似た表情をしていた。
浩介くんはというと……なぜか、今までよりもわたしに話しかけるようになった。
わたしは、また悪口を言ってくるのだろうと思って必死に逃げたのだが、そうじゃなかった。何事もなかったかのように、いつも通り話しかけてくるのだ。昨日、野球の練習で監督にフォームがきれいだと褒められたとか、今日の朝、ご飯を二杯もおかわりしたとか。
そうやって、なんだかんだ言っているうちに二年生になり、クラス替えがあった。が、浩介くんとはまた同じクラスで、そんな日々がそのあとも続いたのだ。
そして、三年生の今。
クラス発表の紙を見て、思わずため息が出た。
また、浩介くんと同じクラス……。
すると、後ろから聞きなれた大声が聞こえた。
「うおっ、また彩美と同クラだ! すげえ!」
見なくても誰だかわかる。浩介くんだ。
周りには、六年生などの上級生もいた。浩介くんのことを見て、クスクス笑っている。やだ、恥ずかしい……。みっともない!
浩介くんに話しかけられる前に、早く教室に行こうと思ってドアに手をかけた。が、開かない。
あ、もしかして鍵がかかってる?
「うわあ、あの人、さっき先生がドアまだ開かないって言ってたのに、開けようとしてるぜ、ハハハッ!」
最悪。
「あれ、よく見たら彩美じゃん! おーい、オレら今年も同じクラスだぞ! 良かったな!」
……何も良くないんですけど。
始業式と学活を終えて家に帰ると、ママがリビングで誰かと電話をしていた。
音を立てないようにそっとリビングに入ると、ママが手招きをする。なんだろう。
「すみません、今ちょうど娘が帰ってきたのでちょっと聞いてみますね」
どうやら、電話の向こうの相手はわたしに用があるらしい。
「ママ、どうしたの?」
「あのね、ママの知り合いがね、彩美と同じように色が認識できないんだって」
びっくりした。そんな身近(でもないけど)に、色盲の人がいるとは思っていなかったからだ。
「ただ彩美とはちょっと違って、『
それでも、仲間がいたんだという気持ちは消えなかった。むかしなら他人のことなんてそんなに気にしなかっただろう。でも、一年生のときにあんなに嫌な思いをした今は、その人のことがとても気になった。
「それで、それで?」
ママをせかす。
「その人はね、作家さんなの。彩美、この間友達と映画を観にいったでしょう。あの作品の原作を書いた人」
「ええっ? そんな人が知り合いにいるの?」
その映画というのは、『君の青、僕の赤』という作品だ。
あいちゃんが、その映画の主演をやる俳優さんの大ファンだというので、一緒に観に行ったのだ。
始めは、あんまり乗り気じゃなかった。というのも、映画を観ていると眠くなるし、ドラマとかはあまり好きじゃないからだ。
でも、始まったらどんどん話に引き込まれていった。
内容はよくある悲しいラブストーリーで、ざっくりまとめると主人公の男の人の恋人がある日、重い病気になってしまい残された短い人生を大切に過ごしていく、といったかんじだ。
わたしが感動したのは、内容ではなくセリフだった。ひとことひとことが心の奥深くに刺さった。そのすべてのセリフに、愛とか思いとか希望とか、そういうものがたくさんつまっているように感じた。
映画館から出てあいちゃんと別れたあと、早速本屋さんに向かい、その作品を探した。それまで、わたしはマンガコーナーと児童書コーナーしか行ったことがなかった。だから大人の文庫本のコーナーはものすごく新鮮に感じたし、自分が天才少女にでもなった気分になった。
その作品は一番目立つところにあり、よくよく見たらレジの前にも置いてあった。
字は細かいし、難しい漢字もいっぱいで……なのにふりがなもない。それでも毎日何時間もかけて読んで、三週間くらい経ってからようやく読み終えることが出来た。
原作の本は映画よりもさらに、セリフが心に刺さった。今度はセリフだけじゃない。すべての文章に、いろんな感情を抱いた。
それからも、ちょっとずつではあるけれどその人の作品を読むようにしている。
そして今、そんなすごい人がママとつながりを持っていたことがわかったのだ! 喜びでいっぱい、というのはこういうときのことを指すのだろう。
「で、その人がどうしたの?」
と聞くと、ママはちょっぴり下手くそなウィンクをしてにっこり笑った。
「今度ね、その人が講演会を開くんだって。その、作家としてじゃなくてね、色覚の悩みを抱える人として」
そう言って、ママは一枚のチラシを見せてくれた。
『色覚に障害を持つ人たちへ~あなたは、ひとりじゃない~』
なるほど、なんとなく話が見えてきた。
「それでわたしにお誘いが来た、ってわけだね」
「そゆこと!」
どうする? とママが無言で合図を送ってきた。ママはすごい乗り気みたいだ。
そりゃあ、答えはもちろん……。
ママが心配そうにこっちを見つめている。
「ごめんね、彩美の気持ち、全然考えてなくて……」
わたしはゆっくり首を振る。
「ママは悪くないよ。あの人たちがいけないんだ」
あの後、わたしはママから受話器を奪い取り、その作家さんに文句を言った。
「あのですね、あなたが色盲で同じ悩みを抱える人たちの力になりたいというのはよくわかりました」
ふう、と息を整える。
「ですが、あれはなんなんですか⁉ 侮辱とか差別っていうんですよ、アレは! 障『害』って言葉は!」
一息で言ったので、息が切れる。ゼーゼーという。
そのとき……。
「……あのチラシは、俺のマネージャーが作ったんだ」
少しかすれた、低い声が聞こえた。
「でも、きちんと確認しなかった俺も悪かった……申し訳ございません」
急に敬語で話始めてきた。
……えっと、なんかこちらこそごめんなさい。
「この件は今すぐに、担当の方に対策していただきます。……できれば、あなたにもこの講演会に参加していただきたい。ですから、その……」
はい、考えておきます。
「それでは、失礼します」
わざわざ、すみません。
ツー、ツー、ツー……。
電話が切れた。
電話でのやりとりを思い出しながら、ママに自分の思いを伝えた。
「でもねママ、やっぱりあの作家さんはいい人だったよ」
礼儀正しくて、自分は悪くないのにきちんと謝罪する。
「ああいう人だからこそ、立派な物語を作れるんだね」
きっと、そうだ。
「わたし、講演会に行きたい!」
……だって、あの人のこと、もっと知りたいから。
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