『海の色は何色』30


 *


“ 平成12年 5月20日


 今日は、人生で最も嬉しいことがありました。


 第一子が生まれたのです!! 言いたいことはたくさんあるけど、まずは感謝を伝えさせてください。


「この世に生まれてきてくれてありがとう!」と。


 名前は男の子だったら和臣さんが決めて、女の子だったら私が決めることになっていたの。


 そして、今日生まれてきた子は……男の子! 元気に生まれてきました。出産時の様子とか赤ちゃんのこととかその他諸々のことは、母子手帳に書いてあるのでここでは省略。出産直後って結構辛いの。それでも日記を欠かさず書いている私って、とっても偉いわ! ……ナンチャッテ!




 彼の名前は、「伊東いとう巧海たくみ」。『巧』みな『海』で「巧海」。




“ たくみ ” って名前はよくあるけど、この漢字は珍しいと思う。


 じゃあ、なんでこの字なのかって? 実は、ちゃんと深い意味が込められているのですよ。



 字の通りの意味だと、「巧みに海を描く子になってほしい」。


 それをさらに深く読み込むと、「自由で広大な海を心の中に持って、強く生きて欲しい」。


 そんな意味が込められてるんだって。ね、いいでしょう?


 名前のことは母子手帳にも書いておいたけど、大事なことだと思ったからこっちにも書いておきました。


 この日記、いつの間にか読者に向けて書くような形になっていたけれど、これで良かったかもな。だって、私がおばあちゃんになっていつか死んでしまったときに、これを読んで私のことを思い出してもらえたら嬉しいもの。


 もっと書きたいことがあるけれど、今日は疲れちゃったから、とりあえずここまで。きっと巧海も待ってることだろうしね! ”





「ふぅ!」


 無事今日も日記を書き終えて、なんとなく安心する。


 ベッドの上で、生まれてきた我が子のことを思い浮かべる。


 生まれたての赤ちゃんって、思っていたよりも「ブチュ」ってした顔つきで、正直びっくりした。でもとても愛おしかった。可愛いかった。小さかった。


 小さいけど、ちゃんと生きてるんだな。


 しみじみと生命力の強さに感動する。


「いっぱい大きくなってね」


 そして、いっぱい幸せを味わって。

 この世界は、幸せで溢れてるから。


 悲しみもある。苦しみもある。絶望もある。殺し合いも未だになくならない。


 そして、命あるものいつかは消える。


 それでも……ううん、だからこそ、強く生きてほしい。どんなに小さくてもいいから、たくさんの幸せを感じてほしい。


 その目で、この世界を見てほしい。







 *


 一週間後。

 私と巧海は我が家に戻ってきた。……巧海にとっては、初めてのおうちになるのだろうけれど。


「おつかれ、真彩」


 我が家に着くなり、和臣さんが頬にキスしてきた。ああ、こういう甘い時間もまた戻ってくるのか。嬉しいけど、ちょっぴり気恥ずかしい。


 ほら、と言って和臣さんが頰をこちらに向ける。……ああ、唇カサカサなんだけど。私は躊躇いながらも、唇をそっと触れさせた。


 しかし欲求不満なのか、「それだけ?」と不満をあらわにした。


「でも、ふつう、初めて子供が我が家にやってきたら、そっちに構うものじゃない?」

「……それもそうか」


 そう言って、引き下がるのかと思いきや。


「じゃあ、真彩も巧海も両方独り占めっていうのはアリだよね」


「ち、ちょっとぉ……」


 私が顔を赤らめているうちに、和臣さんはあれよあれよという間に巧海を布団の上に寝かせた。そして、私のこともお姫様抱っこで運んでいく。


「ちょっと! 少し前まで妊婦だった身に、なんてことしてるの!?」


「だからこそ労ってるんだよ」


 和臣さん、巧海、私の3人で布団の上に寝転がる。川の字だ。それは、妊娠を知った時に、私が一番最初に思い浮かべた光景だった。


「巧海、かわいい」

「真彩も負けてないよ?」

「子供が一番よ」

「それもそうか」


「……ムブっ」


 今のは巧海の声。


「笑った?」

「いや、今のは自慢だな。真彩、嫉妬するなよ」

「そんなことで嫉妬なんてしないわよ」


 巧海をそっと見つめる。スースーと寝息を立てながら、気持ち良さそうにしていた。


 幸せだな、と思う。


 きっと世界中を見渡せば当たり前のような光景だろう。何億人もの命から見れば、たった一人の誕生など気にも留めないだろう。


 だけど、私たちにとっては大切な一人だ。


 そして、大切な一人の命が集まって、この世界はできている。


 だからこの世界には色が溢れている。カラフルな世界がある。


 君は?

 君は、この世界は何色に見える?


 君の瞳に映るのは、どんな世界だろう。


 君は、この世界が好きかな?


 私は大好きだよ。


 そして、この世界で生きていける君は、幸せ者だ。



「ムブっ」








 ✳︎


 そして、三年後。

 幸せ者の君は、先天性の色盲であることが発覚した。











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