『海の色は何色』31


 ✳︎


「先天性色盲?」


 病院で巧海が診断された症状を、僕は馬鹿みたいにオウム返しすることしかできなかった。


「はい。先天性とは、遺伝的なものが関係していてですね……」

「でも、和臣さんは後天性だから遺伝は関係ないんじゃ?」


 真彩が首を傾げると、医師せんせいはコホン、と咳払いを一つした。


「色盲の遺伝というのはですね、主に二種類のパターンに分けられていまして。一つ目は、ご両親どちらもが色覚異常をお持ちの場合。そしてもう一つは、隔世遺伝……つまり、巧海くんの祖父母の方の遺伝の場合です」


 祖父母。


 そう聞いてまさかとは思ったが、ある考えが頭を離れなかった。


「僕の、父……かもしれません」


 僕の言葉に、真彩もコクリと頷いた。おそらく彼女の両親に心当たりがなかったからであろう。消去法で辿ると、僕の両親しかいない。


「ねえ、なに? おれ、なんか、わるいの?」


 巧海が、僕と真彩の顔を交互に見ながら、不安そうな表情で尋ねてきた。


 僕らは互いに顔を見合わせてから____「巧海は何も悪くないよ」。


 巧海は、僕らの薄っぺらな言葉にとくに気にする様子もなく、「そっか!」と笑顔を見せた。その笑顔が、どうしようもなく辛かった。


 医師せんせいもこれ以上は何も言わない、という姿勢だった。


 とりあえず、詳しい事情は僕と真彩だけでまた今度ということになった。




 ✳︎


「ねぇ、アイスはー?」


 車で帰宅している途中、後ろのチャイルドシートに座っている巧海が、僕の座席を足で蹴りながら催促してきた。


「……あ、ああ。そういえば、約束してたな。スーパー寄るか」


 家の近所のスーパーマーケットに車を停めようとする。すると真彩が、自分が巧海に付き添うから先に帰ってていいと言ってくれた。


 おそらく、気を遣ってのことだろう。


 僕は二人を降ろしてから、まっすぐ家に向かい、マンションの地下駐車場に車庫入れをした。残念ながらそこまで運転が得意ではない僕は、スムーズには入れられなかったが。


 そして、真彩が作ってくれた時間を無駄にしないよう、部屋に着く前から僕は最近買ったばかりの携帯電話を取り出した。


 電話帳から、父の名前を探し出して通話ボタンを押した。


「もしもし、父さん?」

「……和臣か。急にどうしたんだ」


 実はさ、と切り出してみたものの、僕は容易にその先の言葉を繋げられなかった。今はもう、盲目の身となった彼に失礼な質問ではないか。そもそも、今更すぎるのではないか。


 懸念事項はたくさんある。しかし、巧海の色盲の原因を調べるために、父の情報は必要不可欠なのだ。


 そういえば、結婚を報告するときもこんなかんじの緊張をしていたなぁ。あんなに長く感じた沈黙の時間も、今となってはもう遠い昔のようだ。


 そんなことを考えていたら、不思議と緊張がほぐれてきた。言いたいことも、なんだかちゃんと言えそうである。


 大丈夫、あれから四年も経ったのだから。


「父さん、今更かもしれないけど聞きたいことがあるんだ」


 彼はとくに驚いたりすることもなく、ただ、「ああ」と短く答えた。でも、その声は冷たくも尖ってもいなかった。父さんも、昔のままじゃない。人は何歳になっても成長する。常に前を向く生き物なのだから。


「父さん、先天性の色盲を持っていなかった?」


 電話の奥が、しん、と静まった。


 その静けさは、携帯電話から自分の手のひらにまで伝わった。


 父は、どのような思いで僕の質問を捉えているのだろうか。



 すると、すぅー、という息を小さく吐く音が聞こえてきた。父の呼吸を整える仕草は、どうやら昔からの癖であるようだ。


「ずっと黙っていて、すまなかった。急にその話を持ち出すということは、もしかして、巧海に色覚異常が発見されたのか?」


 さすが、視力を失うギリギリまで働いていた仕事人だけあって、話を先読みする能力は鋭かった。


「……うん。第1色弱、いわゆる赤色弱のこと。別名、先天赤緑色覚異常せんてんせきりょくしきかくいじょう


「なるほどな」


 また電話の先が静まる。僕と父の会話は、いつもこんなかんじだ。変わることもあるけど、変わらないこともある。



 その沈黙の間に、僕は自分が調べてきたことを思い出した。


 色盲は、錐体細胞または桿体細胞の欠陥の具合によって、人それぞれ色の見え方が変わる。だから、白黒しか見えない全色盲などの症状が重い人から、多少識別が不可能なだけという症状の軽い人まで様々である。

 そして色盲のパターンは、先天色覚異常と後天色覚異常の二種類。先天は遺伝が関係していて、生まれつきのもの。後天は病気や事故などによって起こったもの。ちなみに日本人で先天色覚異常を患うのは、男性が約5%、女性が約0.2%の割合らしい。


 そして、色盲の人は大抵 視力が低く、中には視力を失う場合もあるという。



 父は、その典型的なパターンだったのだ。


「お前は、三歳の時に色盲になったんだよな」


 耳元で急に声が聞こえ、あやうく買ったばかりの携帯を落としそうになった。


「え、ああ、そうだけど。なんで?」


「色は好きか?」


「え、まあ好きだけど」


 父の言おうとしていることを、うまく掴めないでいる僕。


 そんな状況を察して、父はさらに言葉を重ねた。


「この世界は、目に見えるものだけ、色だけが全てじゃないだろう?」


 そこで、ようやく父の伝えたいことがわかった。


 父は、僕に……そして、巧海に…………。



「ありがとう。電話できてよかった」


「ああ、こっちも伝えることができて安心したよ」






 ✳︎


 巧海と真彩が帰ってきた。僕はアイスを頬張っている巧海の前に、12色の色鉛筆を並べる。


「おとーさん、どうしたの?」


 僕は巧海に、にこりと笑いかけた。


「巧海は、この中で、どの色が一番好きかな?」


「えーっとね、これ!!」


 そう言って巧海が手にとった色は……。


「赤色?」


 赤色は、巧海には上手く識別できない色だ。おそらく、緑と同じように見える。それなのに、一瞬でそれを見分けた。まだ文字を読めない巧海は、それが「あか」だとはわからないはず。なのに、なぜ?


「うん! だってこれ、アバレッドのイロだもーん」


 そこでガクリ、と肩を落としてしまった。そりゃそうだ、この子はまだ三歳。ぱっと見、勢いがあって格好良いキャラクターの色が好きに決まっている。


 しかし、そうではなかった。


「このイロね、こっちのイロ……えっとぉ、はっぱイロとおんなじにみえるけど、はっぱイロより、アバレッドのイロのほうが、がつよいんだよ」


 ふんふん、なるほどね。と相槌を打ってから、ふと不思議な言葉に引っかかった。


「え、巧海、『音』って言わなかった?」

「いったー」

「赤色から、音が聞こえるの?」

「うん……ううん、アカイロじゃないやつもきこえるー。あとね、たべものからもきこえるし、いっぱいきこえるよー」


「へ、へぇ」


 少し理解し難い話だが、巧海にはどうやら音が聞こえるのだという。



 でも、それなら安心だ。

 見た目だけで、判断するような子にはならないだろう。たとえ、色盲という壁にぶち当たっても負けないで進めるだろう。


 父の伝えたかったことは、僕から伝えずとも既に巧海の中に眠っているようだ。




 僕も心なしか、赤色の色鉛筆から楽しげな音が聞こえた気がした。












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