『海の色は何色』18
*
「
「うん。真彩の症状は、多分それ」
初めて聞く病名に私は少しおののいた。
私は今まで自分が障がい者だと思って生きてきたし、周りもそういう認識だった。だって、医者がそう言ったから。
でもそれは違うと千尋は否定したのだ。
自閉症の症状として挙げられるのは、言葉の発達の遅れ、コミュニケーションが不可能、注意欠陥、極度のこだわりなどであるらしい。これらは家族や身近な人の場合でも例外を取らない。しかし、私の場合はコミュニケーションが取れないのは家族以外の人とだけである。それに、こだわりや注意欠陥といった症状は皆無だ。
そう言われて、私がとりあえず自閉症ではないことは納得した。
しかし、他人とコミュニケーションを上手く取れないのはなぜか。それを聞いたところ、帰ってきた答えがこの「場面緘黙症」というものだった。
「場面緘黙っていうのは、お
「そ、そうなんだ」
理解するのが難しかったが、とりあえず頷いておく。
「あとは社会不安障害とか吃音症の可能性もあるけど、まあはっきりと『あなたの病名はコレだ!』って断言はできない」
そう言われて少し落ち込む。やはり「わからない」というのはどうしても不安になるものだ。
落ち込んだ私に気づいたのか、千尋は「大丈夫!」と言って私の肩を叩いた。
「ウチの病院は、真彩が初めて行った病院みたく適当な診断は絶対にしないから。今度検診しにきなよ。もしかしたら、治療法が見つかる病気かもしれないし。ねっ?」
「ありがとう。両親にも相談してみる」
ニコっと笑う千尋につられて、私も顔を綻ばせた。
「それじゃあ、私は仕事に戻ろうかな」
「え? オフなんじゃ……」
「まあそうなんだけど、手伝いに行けるときは行かないとね。残業とかもあるっちゃあるし」
そこで気づいた。
もしかして、私の病気のことを気にかけてくれて、そのことのためだけにわざわざオフを取ってくれたのではないか。
「千尋、本当にありがとう!」
私がもう一度感謝すると、千尋は照れ笑いを浮かべ「そんくらいどうってことないから」と返答した。
「それじゃあ、また会おうね! 今度はゆっくり話そう。恋バナとかさ!」
「! 私も話したいなって思ってたの、恋バナ!」
「ふふ。真彩は伊東さんのことかな?」
その瞬間、自分の体温が上がったのがわかった。まあ、そうだよね、やっぱり。
「……バレてるよね」
「うん、わかりやすいから」
それから二言三言話して、千尋と別れた。
「よし、帰るか」
*
家までの帰り道は何通りかあるのだが、今日は海沿いの道から帰ることにした。今日は朝が早くて海に行けてないから、夕方に行って帳消しにしようかなという考え。我ながら屁理屈だとは思うが、行かないと気が済まないのだ。行けたのに行かなくて、あとで後悔するのは嫌なのだ。
海に目を向けて、すぐにその眩しさに目を細める。
夕方の海は、焼けるように熱い色をしている。燃える海は、人の命のように輝いていて、見ていると不思議なパワーがみなぎってくるのだ。
遠くで「返してぇー!!」という女の子の叫び声が聞こえた。「それだけは返してっ! 他のものは全部あげるからー! お願いだからぁ!」
気になって声のした方へ歩いて行くと、やがて三つの小さな影が見えてきた。逆光でよく見えないが、おそらく男の子二人と女の子一人だ。そして、さっきの声から推測するに、女の子は男の子二人に何か大切なものを取られたに違いない。
「やっぱいらねぇ! こんなボロボロの布切れなんて、持ってたら逆に呪われそうだ」
「じゃあ返してよ! それ、おばあちゃんの手作りのお守りなの!」
「ふーん。じゃあ、返してやるよ。ほーい」
男の子がお守りを投げた。しかし、女の子の背の高さよりもはるかに高く投げたため、女の子を通り越してお守りは海岸の先の方まで飛んで行った。
「ひどい! これじゃあ、取りに行けないよぉ」
「あ? 甘ったれんな。自分のモンは自分で取りにいけよ」
「それに、お守りのパワーでおばあちゃんが助けてくれるんじゃねぇの?」
うわっははは!!!
男の子たちは大声で笑いながら逃げて行った。
一人取り残された女の子は、しばらくの間呆然と立ち竦んでいたが、やがて涙を拭い、海岸まで降りて辺りをキョロキョロした。
私も探すのを手伝おうと思い、海岸まで降りる。
「あれ?」
海岸に降りたが、そこには彼女の姿はどこにもなかった。ほんの数十秒前までいたはずなのに……。
帰っちゃったのかな。そう思い引き返そうとした瞬間、視界の端で風で揺らいだスカートの裾を捉えた。
「……あの子、あんなところに!」
さっきの子は、小さな崖のような岩の上によじ登りながら手を伸ばしていた。その手の先の岩には、赤いお守りが引っかかっている。
下は海。高さは3メートルほど。
しかし、その周りは硬い岩で囲まれているので、万が一落ちてしまったら体を強打する可能性がある。
(助けなきゃ)
だけど、体が動かない。
どうしよう。あのままじゃ危ない。だけど、私が助けに行っても何もできない。もしかしたら、自分も落ちてしまうかもしれない。怖くて動けない。
だれか助けてくれないかと辺りを見渡したが、夕方の海辺にはあいにく
その時、一際強い風が吹いて女の子の体制がグラリと歪んだ。
迷いはなかった。
考えるよりも先に、体が動いた。
崖の上に登り、女の子の手をグイっと引っ張る。
女の子は一瞬びっくりして岩を掴んでいた手を離した。しかし、そうなっても良いように私はきちんと彼女の腕を掴んで引っ張ったので、彼女が落ちることはなかった。
ひとまず助けることができて、安心する。
しかし、お守りは依然として崖の上にかかったままである。
何か声をかけなければと思うのだが、上手く喋れそうにない。それでも私は、彼女に話しかけた。
「あ、あの、お守り……大事、な、やつ、なんだよ……ね?」
私が代わりに取りに行ってあげる。
そう伝えた。女の子を安心させるつもりだった。
しかし……。
「ダメだよ! 私が、おばあちゃんのお守りは呪いなんかじゃないって、証明しなきゃ!」
女の子は再び崖に登り、足場の不安定な岩に体重をかけた。
「ダメ、危ないから!! もうやめて!!」
必死に叫んだけど、女の子の耳には届いていない。
彼女はどんどん遠くへ行ってしまい、先ほどのように手を伸ばしたら救い出せる状況ではなかった。
どうしよう。私じゃ助けられない!
だれか、お願いだから!!
「真彩っ!!」
私が求めていた、助けは。
その助けにいつも応えてくれるのは。
“ ____私たち家族を守ってくれるのは、いつも彼だった。雄のライオンは狩りはせず、群れを守るためにいる。守るものがあるライオンは、誰よりも優しくて、それでいて気高くて、何より、心の芯から強いのだ ”
ライオンの空が、輝いていた。
「お願い助けて! 和臣さん!!」
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