四年前――小学校六年生の秋③
悪い予感は当たっていた。
その家に着くと、確かに「竹井」という表札があったのだ。しかし、その表札もちょうど目の前で撤去されてしまった。
呆然と立ち尽くしている私のところに、タイミング良く浩介ママがやってきた。
「あら、彩美ちゃんじゃない。……浩介から何か聞いたの?」
何も聞かされてなかった。
「いえ、何も……。ただ、この前、ちょっと私のせいでもめちゃったから、それが気がかりで……来ただけなんですけど……」
正直に伝えた。
「お引越しされるんですか?」
おそるおそる聞くと、浩介ママは「ええ」と短く答えた。
「浩介に三つ上の兄がいるのは知ってるよね?」
「はい、
涼介さんとは、一度会ったことがある。背が高くて、坊主頭でもさわやかな雰囲気のお兄さんだった。涼介さんも野球をやっていて、すごく上手くて強いというのは、浩介から何度も聞かされた。
「そう……その涼介が今度高校に入学するんだけど……東北の強豪校に推薦で選ばれたの」
東北……私の中では、すごく遠くにあり、寒いところのイメージだ。
「でも、寮に入るとお金かかっちゃうから……この際、引っ越しちゃわないか、って話になったのよ」
それは、嘘だというのは私からはバレバレだった。というのも、浩介ママは息子が大好きなのだ。だから、一年生のときに私が浩介を平手打ちしたときもすごく怒っていた。
つまり、息子と離れ離れになりたくない気持ちがあるのだろう。でも、子どもの夢は全力で応援したい。それで、引っ越しという案に達したのだ。
「でも、なんでこの時期に?」
「ああ……高校の先生がもう練習に参加してもいいって。もちろん、あくまでも中学生の遠征として、だけどね。でも、毎日来ていいと仰られたから……だから、浩介の修学旅行が終わり次第引っ越そうって」
だからか……。
だから……浩介はすぐ言わなきゃと思って、急いで気持ちを伝えたのか……。
もっと、私にも答えようがあったはずだ。あんな態度を取るのは良くなかった。
「あの……もう引っ越しちゃいますか?」
「ええ、今浩介は練習に行っているから……それが終わり次第……」
「今、浩介くんどこで練習していますか!」
あまりにも必死だったので語尾が強くなってしまい、浩介ママが一瞬たじろいだ。
「いつもの野球場よ……午前中で終わるらしいから、もうすぐじゃないかしら」
腕時計を見ると、十一時半くらいだった。
こっから自転車をとばして、二十分くらい。まだ、間に合う!
「ありがとうございます! あと、引っ越しされても、お元気で! 今までお世話になりました!」
と、深くお辞儀をしてから急いで自転車に乗った。
野球場に着くと、ちょうど野球少年たちがわらわらと出てきたところだった。低学年から高学年までいて、入り口はごった返していた。
どうしよう。これじゃ見つけられないし、見つけられたとしてもゆっくり話せない!
ひとり焦っていると、クラスメイトの
「こ、ん、どーう!」
近藤の名前を呼ぶ。すると、向こうもこっちに気が付いて手を振った。
「彩美、何しに来たんだ?」
「ちょっと、浩介に届け物があるって浩介ママに頼まれてて……。浩介知らない?」
サラリ、と嘘をついておく。
「おお、浩介なら早退するとか言って三十分くらい前に帰ったぞ」
「え、マジ?」
ありがと、と近藤にお礼を言ってまた自転車に乗る。
浩介、お願いだから……待って!
私は浩介の家ではなく、あの雑木林に向かった。
そこに、浩介はいた。
むかしからそうだった。なんかあるときは、必ずこの雑木林に来るのだ。この間の告白未遂事件(と名付けることにした)もここで起きたし、それ以外にも何度も何度もここで浩介は、悩み続けた。
「浩介」
いつも通り、呼びかける。浩介はゆっくりと、振り返った。
「彩美……どうして……」
「謝りに来たのと、本当のこと伝えに来たのと、別れを告げに来た」
まだ「告白しにきた」と言う勇気はなかった。
「謝る、って何をだよ」
「この間、ビンタしたこと」
「……あんまし思い出したくねぇんだけど」
と顔を濃くした浩介がかわいくて、ああ、やっぱり私、好きなんだな、と思った。
「そう怒んないで聞いてよ……私さ、一部の女子に嫌われてて悪口言われてんの。『浩介と仲良くしすぎだ』って」
浩介が目を丸くした。
「浩介、自分で気づてないと思うけど、けっこう女子からの人気高いんだよ? それで、浩介のこと好きな女子が嫉妬だかなんだかで、私を悪く言うの」
浩介は完全に言葉を失っている。
「だから、ほんとは浩介のこと……き、嫌いじゃないし、すっ……好き、だけど、悪口言われたりとかひとりになるのとか怖かったから」
顔が熱い。今なら、少女漫画のヒロインの子の気持ちがよくわかる気がする!
「だから、ああやって言っちゃった。ごめん」
頭を下げる。しばらくの間、その姿勢を保っていた。
すると……。
「なあんだ! よかったぁ、俺、彩美に嫌われたわけじゃねえんだ! そっかそっか……!」
思わず顔を上げると、目の前に浩介の笑顔があった。
それを見たら、なんだか安心しちゃって……。
「あ……あれれ?」
涙がぽろぽろこぼれ落ちた。
笑って送ってあげようと思ってたのに……。
すると、浩介がタオルを差し出してくれた。練習で使ったばっかりの、おそらく汚いタオル。
「汚っ!」
「も、文句言うなよ……それしかねえから、しょーがねえじゃん。ないよりか、マシだろ」
「えー」
使うか使わないか迷ったけど、使うことにした。少し湿ってたけど、別に汗臭くはなかった。ていうか、むしろ洗剤の香りがするくらいで……。
「もしかして浩介、練習中泣いてた?」
「え、おまっ……なんで知ってんだよ?」
「だってさ、タオルは確かに濡れてるけど、汗ってかんじじゃないからさ」
図星だったらしい。浩介は黙り込んでしまった。
「まあ、よくよく考えれば……私たちずっと一緒にいたもんね。多分、学校の友達の中では一番付き合いが長いよ」
私がしみじみと言うと、浩介が何か大事なことでも思い出したかのように顔を上げた。
「あの……昨日の告白はなしでいいか?」
「え……なんで?」
てっきり、これから遠距離恋愛の生活が始まるのを期待(覚悟?)していたのだが。
「だって、理由はあっても……振られたことには変わりない」
確かにそうだが……今さら気にすることか?
「実は、兄ちゃんが高校卒業したら、またこっち戻るんだ」
「ほんとに!?」
「うん。だから、そのときにきちんと告白する。今よりもっと、いい男になって」
それは……ちょっと嬉しいけど……。
「でも、中学生の間にお互い、新しい出会いがあるんだよ?」
ましてや、浩介は人気があるから多分新しい学校に行っても……。
「そんときはそんとき。でも、俺は……お前一途だからな。たとえ、彩美に彼氏できてたとしても、ちゃんと告白する」
ちょっと、小学生の恋愛とは思えないほどスケールが大きくなってしまった。なんか、聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
でも、すごくうれしくて……。
こういうとき、少女漫画のヒロインのセリフは大体決まっている。
「うん、待ってるから」
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