『海の色は何色』15


 *




“ 君の青、僕の赤 ”




 素敵な響きだった。それでいて、本の中身がどんなものなのか、そそられる題名である。


『ライオンの空』で言うなら、この言葉は主人公目線となるのだが、決してそれに縛られる必要はないのだ。白い紙の上では、僕たちは自由に冒険できるのだから。


「それに決定だ!」


 僕は満足げに頷いたが、真彩はブンブンと力強く首を横に振った。


「いやいやいや、こんなひねりも何もない題名なんて使えないよぉ」

「そんなことないって! 僕はもうこれにする。これ以外の題名は認めない。いいね?」


 僕がはっきりと断言すると、真彩もそれ以上は言い返せないのか「うう……」と唸りながらも渋々頷いてくれた。


「じゃあ、明日からは内容設定を決めていこう」

「あ、明日なんだけど、仕事が朝早くから入ってて行けそうにないの」


 がーん。

 内心でかなりショックを受ける僕。おいおい、一日会えないだけでなんと大袈裟なんだ、和臣少年! ……もう少年の年ではないけれど。


「何か特別な仕事でもあるの?」

 気を取り直して、僕は真彩に尋ねた。

「うん。なんか避難訓練的なものをやるらしいんだけど、救助の練習とかも本格的にやるみたいで総合病院まで行くことになってるの」

「へぇ、すごいなぁ」

 そこまで徹底しているのは、本当にすごい仕事場だと思う。


「だから、次は明後日だね」

「そうなるな」


 すると真彩はこっちをチラリと見てから、「ちょっと寂しいかな」と呟いた。顔を赤くして。


 これは期待してもいいのだろうか。


 ……と希望的観測をしていたのだが、真彩はそれ以上は何も言わず「そろそろ仕事行くね」と椅子から立ち上がった。


「それじゃあ、また明後日! いつもと同じ時間に、ここで!」

「うん、気をつけていってらっしゃい」


 真彩はニッ、と満足そうに笑って小屋を出て行った。



 その後ろ姿が見えなくなるまで見守ってから、僕も原稿やらメモやらをカバンに入れて小屋を後にする。


 作家に限らずだが、クリエイターとかエンターテイナーとかいう人々は、自分の作品、あるいは自身が売れなくなると、収入はゼロになる。いわば、「職を持たない人」となるのだ。


 当然、本を出していない僕も例外ではなかった。


 そんなわけで、今は近くの古本屋でアルバイトをしている。時給500円から。仕事をもらえるだけでもありがたいご時世なのだから、文句は言えない。


「じゃ、僕もそろそろ行くとするか」




 *


 いつも通り、店のエプロンを着けてぐ、と大きく伸びをする。


 人通りの少ない場所の店だからか、あまり客が来ているようには見えない。そんなに大きくもないし、オンボロだし……正直、いつ潰れてもおかしくないだろう。



 じゃあ、なぜこの店はまだ残っているのか。それは……。


「おばちゃーん、ガム3つちょうだい!」


 ガラガラガラッ! と勢いよく店のドアを開けながら入って来たのは、常連の小学生の女の子だった。


「はいよぉ。一個10円だから30円ね」

 と応答したのは、この店の店長である三橋みつはしさん。



「もうちょっと負けてくれたっていいじゃんかぁ。おばちゃんのケチー」

「そういうわけにもいかないのよ」

「そんなにケチだから、ここのお店潰れそうなんだよ」

「でもなっちゃん、なんだかんだで毎日買いに来てくれるじゃないの」

「仕方ないから来てあげてるんだよっ」



 などと、二人は楽しそうに会話している。


 そう、ここ『三橋屋みつはしや』は古本屋と駄菓子屋がくっついているのだ。しかも、子供の多いこの地域では、古本よりも駄菓子の方が売れる始末。


「あ、物書きのお兄さん」


『なっちゃん』と呼ばれたその子は、僕を指差してそう言った。 “ 物書き ” なんて難しい言葉をよく知っているなぁ、と僕は変なところに感心した。


「君、毎日ガム買ってるけど好きなの?」


「いや、好きじゃないけど……」

 と少し言い淀んだが、彼女はすぐに先を続けた。


「ここが潰れたら、おじちゃんに顔会わせられないからさ」

「おじちゃん?」


 僕が聞き返すと、隣からおばちゃんが「なっちゃん、そんなことまだ気にしてるのかい。呆れた子だねぇ」と口を挟んだ。


「何かあったんですか?」

 あまり深く聞いてはいけない内容だとはわかっていても、気になってしまう……というか一人除け者にされるのはあまり良い気分じゃない。故に、尋ねた。


「……」

 すると、あんなにうるさかったなっちゃんが急に静かになってしまった。


 彼女を代弁するべく、店長が話し始めた。


「なっちゃんの言う『おじちゃん』っていうのは、ウチの旦那のことでねぇ。半年前にそこの海で流されたのよ」

「え……じゃあもしかして、今は」

「生きてるわ」


 亡くなったのかと思ったので、ひとまず安心する。


「生きているけど、植物状態なの」


 その瞬間、なっちゃんの顔が強張ったのがわかった。


「あの日は風が強くて、波も高かった。そんな日にがねぇ、風邪で休んでいる親友に貝殻をあげるとか言って、足場が不安定な崖の先まで登っていたのよ」


 言われなくともわかる。なっちゃんのことだ。


「そのとき、漁師をやってたウチの旦那がその子を見つけて、『危ないから今すぐ降りろ!』って声をかけたの。女の子はその声に驚いて、バランスを崩して崖から落ちた」


 その時の傷がまだ残ってる。店長はそう言って、なっちゃんの服をまくった。なっちゃんは抵抗も身じろぎも一切せず、されるがままになる。


 服の中から見えたのは、大きな手術痕の残る小さなお腹だった。痛々しくて、見ていられない。


「まあ、その女の子を庇った結果、旦那は頭部を強く打ち付けたの」


 店長は重い雰囲気を変えようと、無理に笑った。

「大丈夫よ。植物状態なら、回復の見込みがあるらしいから。これがもし脳死だったら、もうダメだったもの」


「でもそのせいで、入院費とか……」


 なっちゃんが気まずそうに聞く。


「ああもう、気にしないの。なっちゃんは悪くない。なっちゃんを助けたのは、すべて旦那の意思。旦那の責任よ」


 それにお金なら、伊東さんが働いてくれてるから大丈夫よ。そう言って店長がウィンクした。いやいやいや、僕が働いたお金は僕の元に行くんですよ? と言い返したかったが、さすがにそういう雰囲気ではない。


 給料全額、というわけにはいかないが少しなら店長に返金してもいいかなと思った。


 ああ、そうだ。

 新作ができたら、稼いだ印税を店長に渡そう。


 僕の物語を作る理由が、また新たに増える。良いことだ。


 それにもし作品がヒットしたら、かなりの大金になるはずだ。一年分の入院費くらいなら賄えるかもしれない。


 もちろんお金目当てで書くわけではないけど、それくらいの願望はいいよな、真彩。


 僕が心の中で真彩にそう問いかけている



「なっちゃんは、実は伊東さんのファンなんだよねぇ」

「ちょ、おばちゃん! それは言わない約束……」


 赤面して店長と言い争ってるなっちゃんを見て、思わず顔がほころんだ。


 そうだ、真彩以外にもまだ僕を応援してくれている人もいるんだ。




 その人たちのためにも、僕はこれからも書き続けなくてはならない。



 心に届く最高の一冊を。

 僕の全て《おもい》を託した物語を。









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