『海の色は何色』16
*
翌日。
「あれ!?」
出張先の病院で、私はとある人物と再会していた。その人というのは……。
「
そう、約半年前にホテルで相談に乗ってくれた彼女だ。しかもナース姿。彼女はホテルで働いていたはずなのに、一体どういうことだろう。
そんな彼女は元々こちらが来ることを知っていたのだろう、ニコニコと笑いながら「久しぶりだね、真彩」と声をかけてくれた。
「千尋、なんでここに?」
だってあなたは……と私が言いかけたところを、千尋は「シッ」と指を口に当てて遮った。
「講習会終わったら全部話してあげるから、今は初めて私と会った設定でいてもらえる?」
「わ、わかった」
彼女の圧力に耐えかねた私は、力なく頷いたのだった。
*
「皆さまはじめまして。救急診療科の
院長さんがサラリと自己紹介をしたので、一瞬聞き逃しかけた。が、きちんと彼の苗字は耳が拾っていた。
“川口” ____千尋と同じ苗字だ。仕事柄なのか、指輪は付いていなかった。しかし、それは先程会った千尋も同じだ。
これは、もしかして、もしかすると……?
なんだか知り合いの好きな人を見ると、恥ずかしいようなワクワクするような不思議な心地がする。いつか私も、千尋と恋愛についてお話してみたいなぁ。……ええっと、最近広まった言葉、なんていうんだっけ、「恋愛のハナシ」のこと。うーんと……あ、そうだ、「恋バナ」だ! 恋愛話、略して恋バナ。うん、私、千尋と恋バナがしたい!
なんて考えている間も話はどんどん進められている。
「本日集まっていただいた皆さんには、ある共通点がございまして……どなたかご存知の方いらっしゃいますか?」
院長さんが聞いたが、みんなが首を横に振った。当然、私もおなじだ。
「実は、ここにいる人は全員『公共施設』で働いているのです」
そう言われて、改めて周りを見渡す。地区センターの職員、市役所の職員、公立の小・中学校の教員、公園の管理人さん……確かにみんな公共施設ではたらく人々だ。
「災害時の避難所となるほとんどが公共施設なんです。三年前に起きた阪神・淡路大震災でもそうでした」
阪神・淡路大震災。あのときのテレビの光景はよく覚えている。特に、横倒しになった高速道路の映像は今でもはっきりと思い出せる。
「この地域も海が近くにありますし、いつ何が起きてもおかしくない。そこで、今年度から公務員の方にも救命措置が出来るよう、病院での本格的な訓練を義務化するように決められました」
川口先生の話に私はコクコクと頷いた。大切な話だと思ったから、しっかりと先生の目を見ながら。
すると、先生はニコリと笑って「それでは実際にやってみた方が早いので、やっていきましょう!」と言った。それを合図に、看護婦さんたちが人型の人形を担架に乗せて運んで来た。
「まずですね。この地域は水害が多くなると予想されているので、人工呼吸や心臓マッサージを練習していきましょう」
そこで川口先生は「それじゃあ……そこのあなた!」と言って、指をさした。え、誰を?
「そこの女性の方。さっき私と目が合いましたよね」
私は先刻の自分を恨んだ。そりゃそうだ。二十人にも満たないこの人数の中で、真剣に頷いて話を聞いてるやつがいたら誰だって頼りにするだろう。
「あ……え、えと……」
私は自閉症なので、上手く喋れないんです。
そう言いたいのに、言葉が出てこない。唇が半開きになったまま固まる。
「はじめまして、いきなり当てられてびっくりしますよねー! もう、イケメン救急救命士さんは気遣いが下手くそなんだからぁ」
そう言ってポン、と肩を優しく叩いてくれたのは千尋だった。周りではクスクスと笑いが漏れ、川口先生は顔を赤く染めている。
「あ、すみません……」
「いいのよー、最初は皆さん驚いて固まっちゃいますからねー。ただでさえ病院なんてところ来て緊張なさってますし。それじゃあ、私の方から説明させていただきますね!」
そう言って千尋は、ちょっぴり下手くそなウィンクをした。その後は、すぐにキリッとした仕事モードの顔つきに戻る。
「心臓マッサージの正式名称は、『
千尋が人形の前に腰を浮かして正座した。「あなたも真似して」と言われたので、私も慌てて同じような姿勢をとる。
「そして、大切なのは押す場所と回数と強さ! これを間違えると、蘇生は失敗してしまいます。皆さんもしっかり見ておいてくださいね」
そして、千尋が色々と説明をする。私は千尋の真似を隣でする。これを繰り返し行っていく形で、講習会はどんどん進められたのだった。
*
「みなさんお疲れ様でした! 解散です!」
慣れないことをしたせいか、どっと疲れが押し寄せて来た。しかし、休む間もなく後ろから「真彩!」と声をかけられる。
「あ、千尋。今日はありがとう」
「いえいえー。ていうか、こっちのセリフだよー。突然現れて、知らないふりしてとか無理難題押し付けてごめんね」
「うん、大丈夫。でも、なんで?」
「それを話したくて、今日はこれからオフにしてもらったのですよ。……というわけで、今からお茶にでも行きませんか?」
王子様風に手を差し出されたので、私もその流れで姫のように手を預けた。
「ふふ、喜んで」
*
病院を出てすぐのところにあるカフェの席で、私たちは向かい合って座った。
「こんな病院間近なところで休んでても、怒られない?」
私が心配して聞いたが、千尋は笑って「大丈夫!」と答えた。
「みんな病院のナースが年がら年中働いてるって思ってるけど、ちゃんと休むときは休むよ、さすがに」
「そんなもん?」
「ええ。まあ確かに、普通の職業に比べればキツイよ。人の命を預かっているわけだし、仕事の時間も内容もハード。でもきちんと交代制でやっているから、上手く回れてるの」
「じゃあ、今回オフにしたのも平気なんだよね?」
「だいぶ前から言ってあったからね。直前で決めるとかは無理だけど」
それからは色々と事情を話してもらった。
元々看護婦の仕事が主業だったこと。
この間ホテルで働いていたのは、従兄弟の代理だったこと。
千尋の旦那さんはやはり川口謙信先生だったこと。
川口先生は救急救命士なので、ほとんど休みなく働いていること。
「千尋はどこの科の看護婦さんなの?」
「一応担当は産婦人科。だけど、時々人手が足りなくて急遽手伝いに入ったりもするの。今回はそれで来たのだけど。ウチの病院は総合病院のくせに、キツキツでやってるからさ。よくあることだよ」
「へぇ。なんか、やっぱり病院で働く人って大変だね」
「まあね」
店内のBGMがゆったりとした曲調のジャズに変わる。
「ところでさ」
千尋がコーヒーを一口すすってから話しかけた。
「真彩が『自閉症』って診断受けたのはいつ? どの病院?」
一瞬、思考が止まる。
そして思い出されたのは、薄暗い病院の廊下。黄ばんだ骸骨の模型。消毒液の冷たい匂い。隙間風の寂しい音。
診察室でこちらを訝しげに見つめる初老の医者。
“ 自閉症と呼ばれる障害と似た症状ですね ”
“ ご両親の育て方に問題があったと思われます。心当たりありますでしょう? ”
“ 治すのは不可能です。辛いとは思いますが、自分の運命を受け入れてください ”
「……私が小学校に入ってすぐ。どこの病院かは思い出せない。だけど、ここじゃないよ。もっと暗くて怖い、小さな病院だよ」
「そこでひどいこと言われて、病院がトラウマになった?」
ヒヤリと背筋に寒気が走る。この子はなんで知っているの?
「なんで……?」
すると、彼女は「ごめん!」と謝った。
「辛いこと思い出させちゃってごめん。でも、ずっとあなたの病気のこと、気になってたから」
「何が……?」
私が首を傾げると、千尋は「順を追って話すね」と言った。
「私ね、これでも色んな種類の科を見て回ってきたし、研究に携わったりもした。その経験の中で言うけど……」
千尋と私の視線が絡み合う。彼女のまっすぐな瞳が私を捉えた。
「おそらく真彩は自閉症じゃない」
[注釈]
この話のなかでは、ナースのことを「看護婦」と表記しています。
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