『海の色は何色』28
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結婚して、三ヶ月が経とうとしていた。
私は今、マンションのベランダから景色を眺めている。
二十階からの景色は、空がいつもよりずっと近くて、その代わりに街が遠い気がした。
朝8時。人が行き交う町並み。通勤通学ラッシュ。天気は晴れのち曇り。洗濯物を干す主婦の姿。
そして、遠くの方でさざ波の音。
私の要望で、ベランダから海が見える場所に住むことになり、その結果この部屋になった。
遠くの方で優しく揺れる海を眺めながら、私は物思いにふける。
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“あの、寒くないですか?”
最初は自分なんかに話しかけられているとは思いも寄らず、その言葉に反応も示さなかった。しかし、自分の肩を優しくたたかれ、振り返ったら、一人の男性____和臣さん____が立っていたのだ。
一瞬目が合い、でもすぐにそらしてしまう。
あのときの私は、急な出来事に驚いてしまい、ろくに和臣さんのことを見れていなかった。だけど、初めて会った時から、彼の声は私の心に届いていたと思う。
きっと、その瞬間からずっと好きだった。
ただ、その感情の名前をまだ知らなかっただけ。自分の気持ちに、素直になれなかっただけだろう。
“田中さんの、お父さんに対する強い思いは、いつか必ず届きます。必ず、形になります。だから、大丈夫です”
大丈夫。
そのありふれた言葉が、私にとっては勇気をくれる大切なものになっていた。
“アンタに何がわかるんだ!”
喧嘩をした。まだ、上手く気持ちを伝えられなかった。拙い言葉で、だけどお互い全力で反論した。
あのあと、たくさん泣いた。辛かった。だけど、それは喧嘩をしたからではない。
“生きるためには、自分の嫌な仕事もやらなきゃいけないんだよ”
和臣さんの辛そうな表情が、悲しかったんだ。
“ありがとう。こんなに僕の作品を愛してくれて……僕のことを思って、本当は違うのに『嫌い』だと言ってくれて”
その日の夜、私たちは仲直りをし、そして、和臣さんの「やるべきこと」を私がサポートすると約束した。一番嬉しかったのは、私が和臣さんの作品が好きだということをちゃんとわかってもらえたこと。あのときは、恥ずかしくてあっさり流してしまったけれど、今でもあの嬉しさは心に残っている。
“……『君の青、僕の赤』”
我ながら、気取り過ぎなタイトルだなと思った。というより、本気で考えたタイトルではなく、直感で思い浮かんだものだったから、なんだか申し訳ない気がしたのだ。
でも、和臣さんはすごく気に入ってくれたみたい。
“真彩っ!!”
助けて、と心の中で強く願っていた。他の誰でもない、和臣さんただ一人を思い浮かべながら。
彼は、来てくれた。
でも、その代償に、彼は自分の命のリスクをおかしたのだ。
人工呼吸をした。口を合わせた。だけど、それは恋愛感情でするようなものではない。
ただ、生きてほしい。
それだけを、ひたすらに願って、祈って、私は
“伊藤和臣は田中真彩を
愛しています”
青色の風が吹き抜けた病室の空間は、もう二人だけの世界となっていた。互いの心は通じ合っていて、二人で同じことを思って……キスをした。
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過去を振り返っている途中、インターホンが鳴ったので、慌てて玄関へと向かう。出版社の方から、届け物がきていた。
そう。結婚して直ぐに、和臣さんは再就職をして、無事、出版社に勤めることになったのだ。作家が出版社で働く、というのも不思議な話だが。
表向きで出版社に勤める
駄菓子をよく買いにきていたなっちゃんは、中学生になった。忙しいのか、ここ最近はほとんどお店に顔を出していないらしい。でも、店長旦那さんのお見舞いには欠かさず行っているみたい。
私はというと、主婦であり公務員である、というスタンスで生活中だ。仕事を続けていても支障はなかったので、以前と同じように働いていた。
それから、父からのライトの合図も毎日ちゃんと受け取っている。実家に比べたらかなり海から離れている。だけど、お父さんからの信号はきちんと私の目に届いているよ。いつもありがとう。
さてと。
そろそろ、仕事の時間だ。
そう思って、身支度を始めた時だった。
電話が鳴った。
外では、あんなに晴れていた空から、たくさんの涙がこぼれ落ち始めた。
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「はい、伊東です」
「三橋ですが、和臣さんはいらっしゃいますか?」
例の、古本屋さんの店長さんである。
「すみません、今は外出していまして……」
あらそう、と三橋さんは静かに言った。
不吉な予感がした。
そして、その予感は不幸にも当たる。
「旦那が、亡くなりました」
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