『海の色は何色』3
今日も、真彩は昨日と同じ場所で小さく体操座りをしていた。服装は、昨日よりかは綺麗めなかんじ。もしかして、僕と会うから気にしているのだろうか。……と、自分に都合の良い解釈をしてしまう。
僕は恋をしたら、割と積極的に攻めては振られるタイプだ。これは自他共に認めている。
でも、今回の恋はいつもと違う。何が違うのか答えろ、と言われると上手く言えないのだが。
真彩に対しては、「恋人になりたい」というよりかは、「この人の助けになりたい」とか「この人にとっての大切な人になりたい」という思いの方が強い。……まあ、結局は恋人になりたいってことなのかもしれないけれど。
「こんにちは、田中さん」
僕は彼女の横に座って、声をかけた。
「あ、伊東さん。こんにちは」
彼女はほんの1秒ほど、僕の方に目を合わせてくれた。どうやら、僕に対して昨日より心を開いてくれたみたいだ。
「あ、あの……昨日、借りた、コート、洗った、ので、返し、ます。本当に、ありがとう、ございました」
彼女はそう言って、コートの入った紙袋を僕に手渡した。
「あ、全然気にしなくて大丈夫ですよ。むしろ洗濯までしてもらって、恐縮です」
それにしても、今日は昨日よりも30分早く来たのに既に座っているって……一体、朝何時に起きているのだろうか。
疑問に思って、僕は素直に質問した。
「いつも、こんな朝早くから、ここに来ているんですか?」
てっきり、いつものように何かしらの答えが帰ってくるのかと思っていたが、彼女は反応すら示さなかった。そのかわり、寂しそうに笑っていた。
ああ、いけない。また僕は君を困らせてしまった。
「すみません! あの、何か嫌な思い出とかあるのなら、事情があるのなら無理に答えなくてもいいんです。無礼なこと聞いてばかりで、本当に……」
僕がそこで言葉を止めたのは、自分のジャケットの袖が引っ張られる感触がしたからだ。その感触を辿ると……真彩の小さくて白い手が袖を掴んでいた。
「あの、田中さん?」
「…………漁師の、朝は、早い、ので……」
「漁師?」
おうむ返しで僕が聞くと、彼女はコクンと頷いた。
「父は、漁師で……朝も、真っ暗なうちから、漁に出て、それから、夜、帰ってくるのも、遅い、んです」
しかも、と彼女は言葉を繋げた。
「ウチの、父の場合、は、かなり、沖の方まで、漁をするから、波も大きくて、危険、なんです。つい、この間も、父の、同僚さんが、転落事故で、亡くなった、って……」
真彩は僕のジャケットの袖を、より一層強く握りしめた。そのときの彼女の肩は、小さく震えていた。小さな背中が、さらに丸まる。
「父に、もしもの、ことが、あったら……って考えた、ら、怖くて……」
その先は、もう言葉を紡げない様子だったので、僕が逆に返答した。
「だから、毎日、こうして見守ってるってこと?」
彼女は「そう、です」と言いながら、はっきりと頷いた。
「……もし、何か、あったときに、すぐに、見つけられるように、って…………多分、私なんかじゃ、何の力にも、ならない、けれど……」
彼女は僕のジャケットの裾から、ゆっくりと手を離した。
「そ、それに、私が、こうして、海を、見て、いることが、できるのは、仕事、が、始まるまでの、朝だけ、ですから……」
彼女の言葉は小さくしぼんでいき、最後にはしゅん、と肩を落としていた。
僕はもどかしかった。彼女に対してではなく、こういうときにスラリと気の利いた言葉を言えない自分自身に対してだ。女性への口説き文句は、無意識でもスラスラと出てくるのに、大切な言葉は喉のずっと奥の方に詰まってしまう。
でも、思ったことを口することならできた。
「田中さんのやっていることは、いつか必ず形になりますよ」
「……え?」
「……僕、こういうときに、気の利いたことを言えなくて、慰めたりとかできなくてすみません」
真彩はきょとん、とした顔でこちらを見つめていた。どうやら、なんで僕が謝ったのかわからないらしい。
自分でも、ここでその謝罪はいらないだろっ! と思わず心の中で突っ込んでしまった。
でも、そんなことは気にしている場合じゃない。言葉がどんどん、どんどん、心の底から溢れ出てくるから。止まらない、止められない。
「だけど、田中さんの、お父さんに対する強い思いは、いつか必ず届きます。必ず、形になります。だから、大丈夫です」
「それ、根拠は……あるん、ですか?」
「根拠はないです。けど、僕が保証します!」
しばらくの沈黙。
あ、これはマズイ。絶対スベった。キモいやつとか思われた。あぁぁぁ、最悪。バカだ。「精神的に向上心のない者は、ばかだ」って有名な台詞があるけど、僕の場合は単なるバカだ。
僕が一人で身悶えしていると、隣から「ぷっ……くふふっ」と微かに笑い声が聞こえてきた。
「え、た、田中さん? あの……」
すると、彼女はにっこりと笑いながらこちらの顔を覗き込んだ。
「今、気の利いた言葉、言ってたじゃないですか。自覚してないだけで、伊東さん、良い人ですよ」
その瞬間、時が止まったかのように感じた。
僕の耳では、彼女の言葉がリプレイされていた。
「ま、待って、田中さん。あ、あの、今! 普通に、は、話せて、た……よね?」
僕は、やっとの思いで言葉を出せた。しかし、「あっ、確かに!」という、僕の驚きに比べるとかなりリアクションの薄い反応が返ってきたので、拍子抜けした。
真彩は先を続ける。
「私、家族とか、仲の良い人とか……あとは話しやすい人とかは、ゆっくりなら、きちんと会話ができるんですよ。伊東さんは、話していてテンポがちょうど良いんだと思います」
「え、いや、あの……それは、ど、どうも」
嬉しいのと、驚きとが頭の中で爆発して、僕は思考回路が上手く回らなくなっていた。その様子がおかしかったのか、彼女にまた笑われた。
「なんだか、昨日の私と、伊東さんの立場が、逆になったみたいに、なっていますよ」
「だっ、だって……そりゃあ、誰だって、びっくりするし、嬉しくなりますよ」
ましてや、恋をしている相手に認めてもらえるなんて。
僕が嬉しさを、心の中で噛み締めていると、真彩はくるりとそっぽを向いた。
「……?」
僕が無言で彼女の顔を覗き込むと、彼女はまた顔を逸らした。
「急にどうしたんですか?」
「……い、今、顔を見られたら恥ずかしくって……」
「恥ずかしがるような会話、ありました?」
やや沈黙があってから、蚊の鳴くような声で彼女は言った。
「よ、喜んでもらえて、私も嬉しかった、んです……よ……。それで、今、絶対、顔赤くなってるから……」
そこで、僕の魔が差した。こんな可愛い子、いじらなくてどうする。
「えぇ!! 田中さん、こんなので照れてるんですかぁ?」
ウブですねぇ、とさらに拍車をかけると、彼女は首をブンブンと勢いよく横に振った。
「……べ、別に照れてなんか、ないですっ! 伊東さんこそ、照れてるでしょ」
「僕は純粋に喜んでいただけです。田中さんに認めてもらえたんだなって」
「ま、また、そういうこと言う……」
彼女は耳まで真っ赤にしていた。今まで他人と、ましてや異性と話すことなんて少なかったから、すぐに照れてしまうのだろう。
僕はさらに攻めてみた。
「真彩さん?」
「……っ!!」
彼女は声にならない叫び声を上げていた。
もう一度、ゆっくり彼女の名を呼ぶ。
「ま・あ・や・さ・ん?」
「ちょっ……きゅ、急に何ですか!?」
その慌てぶりに、僕は思わず笑ってしまった。
「……今のあなた、めちゃくちゃ可愛いですよ」
そこには、彼女を口説くための策略も下心も一切無かった。僕の素直な言葉が流れ出ただけだった。
そのあと彼女に思いっきり砂をかけられたが、その姿もまた可愛かったのはここだけの話だ。
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