『海の色は何色』22


 *



 海での事故から今日で一週間が経った。


 あのあと、なっちゃんと光ちゃんは二人とも元気にしていて、学校にも通っていた。


 和臣さんはというと、念のため一週間入院することになったのだ。そして、今日が退院日。


 現在、午前10時20分。待ち合わせ時間の10分前である。


 なんとなく空を見上げると、青い空が一面に広がっていた。まさに退院日和だ。


“ 僕が海の青なら、真彩は空の青だね”


 病室での、和臣さんの熱のこもった言葉を思い出す。



“ 海の一番近くで、優しく見守ってくれている色だ ”



「……むふふっ」


 思い出したら、なんだか嬉し恥ずかしくて、笑ってしまった。なんとか抑えようとしたけど、どうしても漏れてしまう。……むふふっ。


「なに笑ってんの?」


「ひゃっ!」


 背後からの声に驚いて、思わず声を上げる。わ、聞かれちゃった? もしかしてだけど、聞かれちゃった? 変な人だと思われた!? で、でも、別に思い出し笑いだし、純粋に喜んでるから悪いことじゃない! 私は悪くないもの!


 私が必死に脳内で弁解の言葉を考えていると、パシっと頰を叩かれた。その相手の顔を見ると、相変わらず下手くそなウィンクをしていた。


「ほらほら、ニヤけてる時間はないよ。全く、のんびり屋さんなんだから!」


がセッカチなだけだよぉ」


 そう。この時間の約束の相手はズバリ、川口千尋だ。







 *


 以前一緒にお茶をした喫茶店に、今日もまた訪れた。


「いやぁ、懐かしく感じるね。まだ一週間しか経ってないのに」

「うん」


 本当に懐かしく感じる。そのくらい、長くて目まぐるしい一週間だった。


「それにしても!! 人工呼吸の訓練をした直後に好きな人が倒れるなんて、すごく偶然すぎませんかねぇ」

「……本当にそうだよね。こんなの、おとぎ話でしかあり得ない展開だと思ってたのに。まさか、自分がその本人になるなんて……」

「まあこの場合、真彩が助ける側だけどね」

「ふふ、確かに」


 王子様を助けるお姫様。そんなお話があっても悪くない。私はお姫様のように、絶世の美女ではないけれど。


「それに、人工呼吸がファーストキスなんて、もう恋愛漫画じゃない! 誰しもが憧れるような展開よ!!」

「これがまた、嘘のような本当の話」


 すると千尋は、「そうだ!」と手を叩いた。


「この話、伊東さんに頼んで小説にしてもらいなよ。そして、漫画家さんに描いてもらうの! そしたら私、絶対買う!」

「そんな大げさな……」


 こんなかんじで、私たちは長い間、色々話していた。


 千尋の恋バナもたくさん聞いた。馴れ初めから、ちょっと大人な経験のことまで、全部。千尋の話から見えてきた、旦那さんの印象はとにかく無愛想。だけど、実はものすごく優しい。優しすぎて逆にいじりたくなるくらいだ、と千尋は言っている。


「あー、たくさん話した! 今何時?」


 そう言われて、私は買ったばかりの腕時計を見た。「11時半だ」


「うげ、もうそんな時間!? もっと色々話したかったのに……これから仕事だよ、仕事! 夜勤のはずなのに、なぜかまだ太陽が昇ってるなぁー。あれれ、おっかしいなー」

「それも覚悟で医療系に勤めた、ってさっき言ってたじゃない」

「アンタ、嫌ぁ〜なところだけ覚えてるね?」

「全部覚えてるよ!」


 ジョーダンジョーダン! そう言って手をヒラヒラと振る千尋の指先は、いつも綺麗だ。


「千尋って指、綺麗だよね」


 私がそのままの感想を言うと、千尋はクスクスと笑った。


「何がおかしいのよ」

「いや、ウチの旦那と同じこと言ってるなって……ふふ。やっぱ、真彩は良い友達だ。あのときホテルの助っ人に行ってよかったわ、本当」


 私も会えて良かった。


 そう言おうと思ったけど、なんだか今生の別れみたいで辛気臭い気がしたから、やめた。


「……少しは元気になった?」

「え……?」


 私が首をかしげると、千尋は「いや、まあ」と頭を掻きながら口を開いた。


「ここ何日も、真彩が疲れた顔してたからさ。一緒にお茶でもしたら、元気出るかなぁーなんて思ってたけど、杞憂だったかしら」

「……!」


 確かにこの一週間、私は疲れていたし、和臣さんのことが心配で仕方なかった。でも、できるだけ顔に出さないよう、笑顔で振る舞っていたのだが、千尋には気づかれていたらしい。


 嬉しいけど、なんだかちょっとだけ悔しい。


「ありがとう、おかげさまでとっても元気」

「なら良かった」


 会計を割り勘して払い、店を出る。カランカラン、とキレのいい鈴の音がドアの真上から聞こえてきた。


「伊東さんによろしく伝えといて」

「うん。じゃあ、お仕事頑張って」


 千尋は、背筋をピンと伸ばして病院へと向かう。私は、午後から退院する和臣さんへの花束を買うために花屋へと向かう。


 向かう場所は反対だけど、お互い気持ちは同じ。だれか大切な人がいて、その人のことを愛している。そして、目の前のことに、全力なのだ。


「よし!」


 私もピンと背筋を伸ばし、気合いを入れた。







 

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